蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

「内側から見る 創価学会と公明党」ー「創価学会と会社」は「道徳教」の分派

前回に引き続き、「内側から見る 創価学会公明党」に関して記事にします。今回は議論されている具体的内容に切り込んでみたいと思います。

 

最初に断っておきますと、私は著者の教学理解レベル、政治及び宗教に関する知識量を把握していません。著者の人格・性格に関しても全く把握していません(創価学会に愛着があることは書籍内容から把握しています)。また、私は本書で引用・参考にされている文献全てに目を通している訳ではないです。

 

前回記事においても記載しましたが、著者が「内側から見る 創価学会公明党」を執筆した目的、動機、執筆方針・守備範囲は以下の通りです。

 

目的

社会と学会の双方が「創価学会公明党というテーマ」をともに論じるための足場を構築すること

 

動機

創価学会公明党を論じた本でまじめに読めるものがきわめて少なかったから

 

執筆方針・守備範囲

会員にも同意してもらうため退会者や露骨な批判者の証言資料はできるだけ採用しない

「とある幹部筋」「学会の内部事情」などの暴露話の類は資料として採用しない

活字化された資料を軸に議論する

会員へのインタビュー資料はあまり使用していない

歴代会長等リーダー達の発言・執筆内容には触れる

発言・執筆内容がどの様に会員達に解釈されたかに関しては限定的にしか触れない

創価学会という運動体における地域差・世代差・男女差への言及は今後の課題とする

 

「議論の足場を構築すること」が目的であった以上、構築された足場の上で議論が展開されることを著者は望んでいる……と考えるのが妥当でしょう。誰かが歌うこと踊ることを期待せず舞台をセットアップしたというならばかなりマニアックな趣向の持ち主です。

 

そこで本記事では、具体的な書籍内容に切り込んで私自身の考えを投げ込み、用意して頂いた「足場」の上で拙いながらの演舞を披露しようかと思います。著者が書籍に設定した執筆方針・守備範囲を理解した上で、それを飛び越えることになります。ご了承ください。

 

手始めに、第1章の執筆内容である「創価学会と会社」に関して意見を述べます。「内側から見る 創価学会公明党」のメインコンテンツは創価学会の政治参加に関するものです。今回記事で触れる部分は書籍の導入部分です。2章以降の内容については、私自身の考えをまとめた後、いずれ記事にしたいと思います。

 

書籍引用部分はカッコ内に青字表記します。

 

第1章「創価学会と会社」について

第1章において、「創価学会と会社は都市部に現れた新しい村である」という著者の仮説が検証されています。先行研究のデータを引用しつつ、大きく以下四点を指摘・検証しています。

 

高度経済成長期に特異的な地方から都市部への人口流入創価学会発展の構造的要因であったこと、創価学会は地方から流入してきた労働者を吸収・組織したこと、創価学会と会社は高度経済成長期を共に補うように発展してきたこと、70年代の超安定社会形成以降は会社(と核家族)に創価学会は顧客を奪われたこと。

 

高度経済成長の中で部分的に生じた軋みや歪みを下から支える社会的アブソーバーとして創価学会は機能した」という著者の簡潔にまとめられた意見は非常に妥当だと思います。

  

創価学会が末端労働者を吸収組織したこと自体は事実として、先行論者の多くが余り指摘しない点が1つあります。創価学会は初期段階から「それなりの人材」を擁していたという観点です。正確な数を追ってみないといけませんが、経済的な上下はともかく、草創期から幹部陣の多くは大卒者(あるいは同等の教育機関)ではないでしょうか。

  

創価学会は地方出身労働者の受け皿として機能しましたが、指導層は最初からある程度整っていた。1950年代から(人口流入以前から)、会員数という点では東京が最多であり、流入者を指導するコアメンバーを育てることに成功していた。そのコアメンバーを育てたのは戦前から比較的立場の高い層だったのではないか……と私は推測しています。

 

創価学会は都市部に出来た村かもしれないが、初期村民の一部はテクノクラートだった。戸田会長の政治コネクションは言わずもがなですが、完全更地のゼロから村を開拓したわけでは無かったと。

 

一つ極端な例を紹介しますと北条雋八氏(北条会長の叔父)。戦前貴族院議員を務め、家柄も全国レベルの名家です(遡ると伊達政宗に連なるレベル)。途中で離縁することになりますが、戸田会長の事業家仲間もそれなりのメンツだったのではないでしょうかね。今風に言えば、創価学会のスタートアップメンバーですか。

 

宗教団体に限定することなく、創価学会は戦後の混乱期にありながら一定の人材を擁していた。それがその後の拡大を支える骨組みになったと言えるのではないかと思います。「戦後タケノコのように出現した」と評されることもある新興宗教の中で、初期メンバーの充実度はそれなりだったのではないでしょうか。

 

言ってしまえば、創価学会は会社に負けたのだ。裏を返せば会社こそ戦後もっとも成功した新興宗教であるとも言えるかもしれない。」とは著者の率直な感想だと思いますが、その先にあるものを考察して頂きたいですね。

 

それは「道徳」。

 

何を言っているのかと思う方もいるかもしれませんが、「道徳」は事実上日本の国教です。正確に言います、この国の宗教教育は「道徳」という名の授業で賄われています。選択性も多層性もありません。あるいは選択性も多層性もないおかげで、情操教育のはずの「道徳」が宗教として機能しています。

 

先進国と呼ばれる様な国においても未だに宗教の授業が義務教育期間中に存在します。米国は有名ですが、ドイツやイギリスにも存在します。基本はキリスト教について学ぶことになる訳ですが、非キリスト教の家庭に生まれている場合は「非キリスト教系の宗教授業」を選択する事も出来ます。この辺りは国や州によって異なります(調べている最中です)。

 

公共の場から宗教性を排したフランスには情操教育は存在しても宗教の授業は存在しません。但し地域のコミュニティ(家庭含む)で、情操教育とは別に宗教を学ぶチャンスがあります。

 

日本以外の「先進国」においては、宗教教育or情操教育に選択性あるいは多層性が確保されています(内容を詳しく調べないといけませんね)。

 

創価学会は会社に敗れたのではなく、会社が新興宗教なのでもなく、そもそも「創価学会と会社」は「道徳」という国教の分派ではないか。

 

「道徳」を戦後新興宗教扱いしても良いのですが、教育勅語との絡みなどを考えるとかならずしも「戦後」新興宗教とは言えない気がします。

 

日蓮や三代会長の言葉を引用するにせよ、その内容・方向性は「道徳」で価値的とされるものを止揚していることが多く、「道徳」を学会流(法華・日蓮・三代会長)にアレンジして再解釈していると。創価学会マインドの基本は、法華経でも日蓮でもなく、「道徳」ではないか。私は常々そういう疑問を抱いてきました。

 

「青春対話」「希望対話」などの未来部向け書籍を読むと良く分かります。内容は「道徳の教科書」です。そもそも初代牧口会長が道徳を重視する方でした。

 

歴代会長、特に池田会長以降は今で言うところの「道徳」を戦後トレンドの「人権・平和」を抱き込んだ形で運用した側面が強い……と私は考えています。法華経日蓮はその権威付け、宗教団体としての表装に過ぎないと。中身は戦後「道徳」教育と大差がないと。

 

日本人は道徳以外の宗教教育or思想教育を受ける機会が無いので、時代が安定し、戦乱・貧困・病気と様々な縁から思想・哲学・宗教に興味を持つチャンスが減るにつれ、会員が自分で宗教を学ぶ機会が減るにつれ、その傾向は強くなったと。

 

3章、4章の戒壇論の遷移にもつながりますが、創価学会は「道徳」というこの国の国教に逆らうことを止め、徹底的に同一化したと。そして生き延びた。与党になれた。

  

SGIと日本の創価学会に差を感じるとしたら、それぞれの会員が受けた宗教教育の差ではないでしょうか。日本人は選択性も多層性もない宗教教育(つまり刷り込みや洗脳に近い)を受けています。おそらく「道徳」を宗教教育と考えることも無いくらいに染まっています。

 

じっさい日本企業の努力主義と創価学会のそれとの類似性・親和性は多くの論者によって指摘されていた」と著者は記していますが、両者とも「道徳」という国教の教義を重んじた結果ではないですかね。先行論者の指摘がどこにあったか把握していませんが、この国の宗教教育としての「道徳」を意識すれば自明の話かと思います。

 

 

なぜ創価学会が世間に迎合していったのか、自民党と親和性を強めることが出来たのか、企業文化と比較されるのか。

 

創価学会は「道徳」という宗教のブランチになったのです。学会に限らず、日本の宗教団体の大半は「道徳教」のブランチです。場合によっては「道徳教」の異端派です。会社・学校は「道徳教」の教会みたいなものです。

 

 

定量的な統計データから道徳教育が創価学会員に与えた影響を検証するのは難しいと思いますが、次の書籍があるならば、日本の思想教育との比較の中から創価学会を捉えてほしいかななどと思ったりしました。

 

簡単ですが今回は以上となります。次はもっと深く切り込みたいですね。