蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

補陀落渡海

以前沖縄の宗教を調べていた時に偶然知ったのですが、日本にはかつて補陀落渡海(ふだらくとかい)という命を賭した修行(捨身行)があったそうです。

 

補陀落渡海とは何か。以下、和歌山県のHPから引用します(和歌山県那智勝浦が補陀落渡海の地として有名です)。

 

  

勝浦湾に広がる熊野灘はかつて「補陀落の海」と呼ばれていました。熊野には、海の彼方に理想郷があるという「常世信仰」があり、それが観音信仰と結びついて渡海が行われるようになったと考えられています。南海の彼方に観音の浄土「補陀落山」がある、その浄土を目指して何人もの人々が船出していったと言う。

 

男女を問わずすべての者の願を聞き、救いの手を差し伸べてくれるという観音菩薩の住むところが補陀落山でした。補陀落渡海の出発地であった補陀落山寺には、苦しみを逃れて渡海に望みを託そうとする人々が全国から集まったといわれています。

 

最も古い渡海は868年、補陀落山寺の僧、慶竜上人によるもので、渡海は18世紀初頭まで続けられました。

 

一ヶ月分の食料を積み、外に出られないように扉を釘付けにした小さな船に閉じ込められ、伴舟にひかれ、経文を唱えながら補陀落をめざして海へ出て行く生きて再び帰ることのない旅、補陀落渡海。太平洋の彼方に人々は浄土をもとめたのです。

 

http://www.pref.wakayama.lg.jp/nettv/p_ch7/ch7_movie/04_kumano_kenbunroku/2008/04_fudaraku_no_umi.html

引用終わり

 

 

補陀落渡海周辺の信仰観に詳しいわけではありませんが、この様な修行が存在したことに衝撃を受けました。

 

何故そこまでしたのか、観音の浄土(理想郷)に到達出来ると本気で信じていたのか、苦しみを逃れて自殺する理由が欲しかったのか、海に出てから閉じ込められた狭い船内で何を考え思ったか、出港後に後悔しなかったか……

 

想像し考えたところで答えは出ません。推察するだけで狂気に染まりそうです。ちなみにですが、強要されて無理やり渡海させられた例もあるそうです……。

 

補陀落渡海では海の機嫌任せに数日から最大で一ヶ月程度、小さな船内に閉じ込められて海上を漂うことになります。海が荒れれば溺死、荒れずにご機嫌なら餓死か渇死。

 

経を唱えながら確実な死を一人孤独に待つ。その様な行動に出た人物が複数人いるだけでも十分驚きなのですが、歴史の魅力はその上をいきます。補陀落渡海を生き延びた人物がいます。

 

1500年代に補陀落渡海に挑んだ真言宗の僧侶日秀は、那智勝浦からはるばる1000キロほど漂流した後、琉球王国(現在の沖縄県)にたどり着き死を免れたそうです。

 

日秀は琉球王国に漂着した後、宗教活動に励み、寺社の創建や再興に関わったという記録が残っています(後付けの伝承もあるそうですが)。最後は再び海を渡って薩摩藩(現在の鹿児島県西部)において没したそうです(薩摩の地においても宗教活動に励んだ)。

 

日秀の詳しい研究

http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6437/1/oki37_takahasi.pdf

 

日秀が補陀落渡海に挑んだとき何を考えていたのかは分かりませんが、琉球王国にたどり着く……などとは想定していなかったでしょう。そもそも琉球王国と言う存在を知っていたかどうか。

 

死ぬことをほぼ確定させた人物が生き永らえ、想定外の場所でその専門性を発揮、功績を残す。その陰には誰にも看取られず海に消えた人物が何人もいるわけですが、歴史が動く時、人知は及ばないのかもしれません。