蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

ラーメンとラーメン屋、旨い不味いと原産地

同じラーメン屋で食事をするなら動機、そのラーメン屋をチョイスした基準も同じかと言えば必ずしもそうではありません。

 

店のラーメンが単純に好きな人

ラーメンのうたい文句に惹かれている人

ラーメン以外のサイドメニューが好きな人

店長や店員の人柄に惚れている人

客同士の交流が好きな人

全体的な店の雰囲気に愛着がある人

店に通った良い思い出のある人

家の近くで何となくという人

などなど。もちろん、複合的な動機の方もいると思います。

 

逆にラーメン屋を批判する場合も、その理由・根拠・観点が同じとは限りません。ラーメン屋のラーメンが悪いのか、店の雰囲気や店長、店員の問題なのか。客層なのか、営業時間帯なのか。ラーメン屋なのにラーメンを疎かにし、サイドメニューにばかり力を入れているからか。様々です。

 

通っていた店から人が離れる理由も多様です。「店員の態度が悪かった」「隣の客がうざかった」「店長が変わった」「味が落ちた」「最近味をころころ変える」「雰囲気が悪くなった」「値上げした」。

 

国産大豆醤油と秘伝のタレをベースにしたスープ、それがあるラーメン屋の提供するラーメンのうたい文句だったとしましょう。更に店独自の調理法が厳格に決められていて、作法を守らなければ本当の味は作れないと宣伝していたとします。

 

ところがある時、国産ではなく輸入品の大豆を用いた醤油を使っていたことが判明する。

 

「旨いからそんなの関係ない」と言う人もいるかもしれません。「国産だろうと輸入品だろうとこの店のラーメンが好きだ」と主張する人もいるでしょう。「誠実な店長が嘘をつくわけがない、国産のはずだ」と考える人もいるかもしれません。

 

「輸入品の大豆を用いたが、輸入先の農家は日本式の農法で、国産大豆と同じ品種だから国産大豆と解釈できる」と反論する人もいるかもしれません。

  

どの様に感じ取るか、判断するかは各人に委ねられます。ただ、国産大豆が輸入品であった事実は変わりません。その先の解釈は自由ですが。

 

秘伝のタレが秘伝でも何でもないただの市販化学調味料だったら、調理法が他店舗からの(一部でも)借り物だったら、決められているはずの調理法が守られていないことが判明したら、やはり批判されるでしょう。

 

ラーメンが旨いか不味いかと、原産地の偽装表示とは次元が違う問題です。国産大豆醤油が実は輸入大豆醤油であったと指摘することと、ラーメンの味を非難することは違います。

 

ラーメン屋(店長と店員)への批判には繋がるでしょうが客(とその味覚)を非難しているわけではありません。ましてや、店への愛着を蔑んでいる訳でもありません。

 

店長と店員。知っていたのか知らなかったのか。知っているなら何時からか。知っていて黙っていたのかどうか。そこは批判の対象になるでしょう。国産大豆醤油はどうした?秘伝のタレは?厳格な調理法が守られてきと言っていたではないかと。

 

先代から店を継いだ店長。事情があったのかもしれない。何か考えがあったのかもしれない。先代の指示か。知らなかったのか。それは推測するしかありません。店長が店先に立たないなら尚更です。

 

店員は店の売り上げを気にするからか、店長からの指示なのか、または客への配慮なのか、多くを語りません。客側が勝手に判断するしかないでしょう。

 

「味の旨さは大豆産地とは関係ない」というスタンスを取るのも自由です。「旨ければそれでいい」それもありです(味覚には個人差があります)。

 

ただ、他人に勧めるとなると話が難しくなります。ある店のラーメンを勧めているのか、あるラーメン屋を勧めているのか、両方なのか。その点も問題になります。

 

ラーメンの話をしているのか、ラーメン屋なのか、旨い不味いの感想なのか、原産地を問うているのか。意識したいものです。