蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

日寛本尊は三番手以降だった(宮田教授のHPより)

以前、創価大学の宮田幸一教授のHPに記載されている第二次宗創問題裏話を紹介しました。

 

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

実は同じページに、日寛本尊授与の前に日蓮本尊、日興本尊の確保を模索していたとの話が書いてあります。これまた興味深い話なので引用して紹介したいと思います。日本語のHPであり、宮田教授のHPにアクセスすれば誰でも読める文章ですので、一部だけ紹介します。全文を読みたい方はリンク先を参照してください。

 

 

多くのスタッフは教義とは無関係に日蓮曼荼羅を欲しがっていた。それで実際に候補になりそうな本尊を探したところ、あるにはあったが、摸刻本尊で、当然オリジナルの本尊は別のところにあるから肖像権の問題があり使用できそうになかった。もう少し準備期間があれば、創価学会の財力に物を言わせて、日蓮筆の曼荼羅を何らかの手段で購入するか、肖像権を購入することはできたと思われるが(その場合は堀日亨も言及しているが、埼玉の日蓮宗寺院に安置されている南条時光授与の本尊が第一候補となるかもしれない)、なにせ突発事故みたいなものだから、泥縄式に探すしかなかった。

 

それで次善の策として日興筆の本尊を探すと栃木浄円寺に日興筆の曼荼羅があったという情報が伝えられた。これは『日興上人御本尊集』にNo. 223と表示されている本尊だが、そこには写真版も図版も記載されていず、未調査の曼荼羅とされている。ところがその後の情報では、御厨子に入れるときに、御厨子曼荼羅よりも小さかったために、曼荼羅の上部が一部分切り取られていて、どうも本尊として使用するには具合が悪いということのようで、この話も立ち消えになった。

 

その後の経過は知らないが、最終的には日寛の曼荼羅を使用することになった。」
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper20-1.html

 

 

日寛本尊は三番手だったということです。

 

多くのスタッフは教義とは無関係に日蓮曼荼羅を欲しがっていた」という記述は創価学会の本質を良く表していると思います。スタッフ、つまり創価学会の中心者達は、教義の問題を無視して日蓮真筆に拘っていた。

 

当事の創価学会の教義を考えると、大御本尊にリンクさせ辛い日蓮本尊を会員に授与する……というのはリスクある行為だと思いますが、スタッフの方々は気にせず日蓮本尊を欲したのでしょうか。大御本尊、一機一縁、分身散体。興味なかったんですかね。

 

しかし準備不足から日蓮本尊を手に入れることが出来ず(まぁその後に入手済みかもしれませんが)、この話はお流れに。もし入手出来ていたら、今頃学会員は日蓮本尊を拝んでいたかもしれません。

 

その次に探したのが日興本尊。「それで次善の策として日興筆の本尊を探すと栃木浄円寺に日興筆の曼荼羅があったという情報が伝えられた」にでてくる「栃木浄円寺」は、栃木県小山市にある「淨圓寺」。日寛本尊の提供元「淨圓寺」のことでしょう。

 

「淨圓寺」所有の日興本尊は具合が悪かったようで(曼荼羅の上部を一部分切り取ったのはいつ頃なのだろうか……)、「淨圓寺」側が“申し出た”としても、それを各会員が目にすることは無かったでしょう。加筆修正しなければね……

 

で、最後は日寛本尊に落ち着いたと。日寛本尊の授与経緯についてはこれまでに様々情報が流れています。私は直接何か聞いたことはありませんが、日蓮-日興本尊を探して駄目だったから日寛本尊授与になったといういきさつことを考えると、果たして本当に「淨圓寺からの真心の申し出」だったのか疑わしいです。

 

もしどこかで少し順序が違えば、日寛本尊ではない別の本尊を授与することになっていたと。創価学会の中枢にとって、本尊・教義の扱いはその程度のものなのでしょうかね。

 

第二次宗創問題後、「仏法の本義にかなう 学会の御本尊授与」なるパンフレットをもって、日寛本尊授与の意義を主張した創価学会。そこでは、弘安2年の大御本尊との関係にも触れています(今は関係なくなりましたが)。

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もし日蓮本尊の授与になっていたら、全く別のパンフレットを作って上手いこと解釈と意義を主張したことでしょう。