蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

創価学会オリジナルの物語(中心は婦人部)

前回、前々回と、創価学会を物語としてとらえる記事を書きました。

 

その中で、創価学会は幾つかの恵まれた条件に囲まれて発展したこと、「仕事と家族」という「日本社会物語」を上手く会内に取り込み、心地よい「創価学会員物語」を構築・共有することが出来たことを述べました。

 

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

 

前述した内容は、創価学会が独自に抱えていた物語ではありません。戦後日本社会に関連して紡いできた物語であり、戦後共有というシチュエーションの中にありました。

 

特に、前々回記述した以下四つの項目は、戦後日本社会の推移(主流)を考える上での前提条件でさえあると思います。

 

敗戦による権威の損失→旧権威の否定

焼け野原の平等→不幸の共有

人口増加・復興と経済成長→成功体験の獲得

中流階級の増加→ライフスタイルの規格化

  

では、創価学会オリジナルのシチュエーションは存在するでしょうか?

 

幾つかあると思います。その中でも日本社会と比較して一番の差異、私が考える創価学会独特のシチュエーション、それは婦人部の存在です。

 

創価学会は、本来ならば物語の大半を家庭の中で創る「専業主婦層(婦人部)」に、「学会活動」というステージを与えることで、「仕事と家族」以外の物語を展開させることに成功したのではないか(勿論、専業主婦以外の婦人部の方もいます)。

 

男性にも「学会活動」というステージはあった訳で、婦人部だけが特別扱いされるのはおかしいと思われるかもしれませんが、「学会活動」に行使できる時間の総量が違います。昼間から活動できる婦人部は、物語を作る場として「職場と家庭」に対等な舞台として「学会」が追加されます。

 

世間の専業主婦の大半が家族の中で物語を作っている事と比較すると、「学会活動」の存在はかなり特異的です。

 

「専業主婦層(婦人部)」に「学会活動」というステージを提供したこと。これは一般的な「日本社会物語」とは一線を画す物語を創価学会内外に提供する下地になっています。

 

例えば、かつて婦人部主体で行われた平和活動や反核運動は、一部の「革新系」団体のシンパは別にして、一般的な専業主婦がそこまで熱意を捧げるテーマではありません。

 

また、婦人部(特に活動家)は、世間一般の専業主婦とは比較にならない程、「良くも悪くも」他人の人生(家族・家庭)に介入してきました。恐らくは、日本一の世話焼き(お節介)集団だったのではないかと思います。

 

そして何と言っても「選挙」。アメリカの公文書すら認める創価学会婦人部の選挙力です。

 

https://wikileaks.org/plusd/cables/07TOKYO2947_a.html

の文章より以下引用。

 

The Women's Bureau is the primary get-out-the-vote machine for Soka Gakkai, and the ruling parties cannot win without their support. 

(婦人部は創価学会にとって最上位の投票推進運動機構であり、与党は彼女達の支援無しで勝利することは出来ない)

 

ちなみに文章のタイトルは以下の通りです。

“LDP-KOMEITO COALITION LIKELY TO LOSE UPPER HOUSE MAJORITY”

(自公連立は参議院過半数を失いそうである)

 

標準的な日本の専業主婦は選挙活動なぞしません。創価学会の婦人部は、選挙活動を通して独特の物語を創価学会内外に提供した(提供している)と思います。

 

 

創価学会オリジナルの物語、それは婦人部が中心ではないか?そんなことを考えています。

 

 

補足

もう一つ、創価学会オリジナルのシチュエーションに言及すると、本来ならばレジャーや趣味に時間を費やす青年層を「学会活動」というステージにあげたことです。婦人部と青年部。池田名誉会長が最も言及した層ではないかと思います。少し意味深です。

 

学会活動(選挙活動含む)には、功徳を求めた部分、つまり「仕事と家族」の充実化という部分も大いにありましたが、活動そのものに物語(意味・価値)を見出している方も沢山いた(沢山いる)かと思います。


 「仕事と家族」の充実化、功徳に直結しない学会活動に熱心な会員がどの程度いたのか(いるのか)、この辺りも考えないと駄目でしょうか。つまり純粋な「信仰活動」に物語を感じた層がどの程度いたのか。

そして池田名誉会長の存在。創価学会員物語には欠かせない存在のはずです。

 

まだまだ考察し甲斐がありそうです。適宜考えたことを記事にしたいと思います。