蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

物語の成立条件

創価学会員は物語を追いかけてきた。学会員に限らず、生きるということは物語を作る事なのではないかと思います。価値創造、価値を見出すということは、(都合の良い)物語を作るということではないか。

 

思想や教義はあくまで、生活(人生)に意味解釈を与える上での説明書・プロットの様なものとして機能しているのではないか。純粋なる思想集団が存在することはまれで、正確には思想をプロットにした物語共有集団が存在しているのではないか。

 

創価学会は、各会員が共通した物語を見る為の恵まれた条件に囲まれていたと私は考えています。戦後日本と創価学会内部に存在した条件をそれぞれ、大まかに記載したいと思います。

 

戦後日本全体が抱えた条件として、以下大きく四つを共有してきたように思います。

 

敗戦による権威の損失→旧権威・既存宗教の否定

焼け野原の平等→不幸の共有

人口増加・復興と経済成長→成功体験の獲得

中流階級の増加→ライフスタイルの規格化

 

創価学会内部に存在した条件としては、以下大きく四つを共有してきたように思います。

 

戸田城聖の政治コネクションと投獄体験→政権との絶妙な距離感

正本堂(大御本尊)という聖地→信仰・教義の単純化を形成

池田大作というカリスマ指導者→信仰者のモデル(キャラクター)を提供

選挙という祭り→定期的な啓発機会

 

 

少子高齢化の加速。ライフスタイルの多様化。政権与党化。大御本尊の否定による会員間教義論争の激化。池田名誉会長の高齢化による名誉会長の解釈を巡っての争議。選挙疲れ。上記した前提条件を基にした物語の維持、あるいは補修作業は限界を迎えつつあると思います。

 

各会員が共通した物語を見る為の条件は、崩壊、あるいは崩壊しつつある。そう判断せざるを得ません。各会員が異なった物語を見る様になれば、自然、創価学会と言う組織は分裂します(すでに一部していますね)。

  

信仰と言う観点で言えば、「不可能を可能にする」「仏法と申すは勝負をさきとし」と思われるかもしれませが、「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」と言う部分に目を向ければ、この先創価学会がどうなるかは容易に想像できると思います。

 

 

補足

年代ごとに共有していた物語、あるいは創価学会がプロモーションしていた物語は異なります(いずれ詳しく考察したいと思います)。

 

組織が掲げる壮大なテーマ(世界広布等)が、個人の中に主体的なストーリーとして組み込まれる過程についても、今後考察したいと思います。