蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

第二次宗創問題の裏で(宮田教授のHPより)

創価大学の宮田幸一教授のHPを読んでいたら、興味深い記述を発見しましたので紹介したいと思います。日本語のHPであり、宮田教授のHPにアクセスすれば誰でも読める文章ですので、以下一部だけ紹介します(文中の「私」とは宮田教授のことを示しています)。

 

「それがどういう事情かはいまだによく分からないが、第二次宗門問題が生じた。その問題が生じてまだまもない翌年の1月に、創価学会の組織センターの幹部であった東大の先輩から、日蓮正宗の僧侶と新宿の居酒屋で会うから同席して欲しいと言われ、私と中野毅が同席した。そのときの会談の相手は現在教学部長をしている水島公正であった。水島は第一次宗門問題のときは、創価学会批判の中心人物の一人であったが、阿部日顕創価学会攻撃中止命令を出したとき、自分が出家するときに世話になった師匠から、本山の法主を護るようにという遺言があったため、理としては納得できないが、法主には従うという趣旨の弁明文を『大日蓮』に掲載して、その後正信会とは分かれた経緯を持っていた。

 会談の始め頃に、水島は思い出話を始め、僧侶になりたての若い頃、創価学会の青年部と一緒に折伏活動をしたことを懐かしそうに語り、言外に創価学会との争いはできれば避けたいという寺持ち住職としては当然の意志を示した。そこから話は本題に入り、一体日顕上人はどこまでやるつもりかということを、情報収集を任務としていた先輩幹部が尋ねた。すると水島は自分にもよくわからなかったので、正月になってからある会合で日顕上人に、今回のことは教導が目的なのか、それとも別の意図があるのか、と質問したら、日顕上人から、お前が何をとぼけたことを聞くのか、という顔をされたので、これは本気だなと思ったという話をした。(このときには日蓮正宗にC作戦があったということは知られていず、水島もそれには関与していなかったと思われる。)私も中野もできればどこかで手打ちをしたいのだが、その可能性があるだろうかと尋ねると水島は両方のボスが先頭切って戦い始めたら誰にも止められない、創価学会でもだれか池田名誉会長を止められる人がいますか、所詮創価学会も宗門もボスが右向けといったら、私もあなたも右向くしかないでしょうという趣旨の話をした。なおも私は食い下がって、江戸時代には法主でも法義に反して造仏をした人もいたでしょうと『随宜論』を持ち出したが、水島は、あれは単純にそうは読めないという趣旨の話をして、『随宜論』に関しては論争する意志があることを匂わした。7時頃から始まった会談も終わったのは12時近くになり、私は終電もなくなり、幸い多摩センターまでの高速バスがあったので、それで終点まで行き、その後30分ほど冬の寒空を仰いで、まだ理論的準備も整っていないのに、日蓮正宗と戦争するのかという、暗澹たる気持ちで、歩いて帰ったことを思い出す。」

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper20-1.html

 

 

末端の会員と法華講員が、血みどろの戦いを繰り広げることになる直前、創価学会の教学関係者(宮田教授、中野教授)が宗門の幹部(後に教学部長になる人物)と会談を行っていたとは。しかも両サイド共「できれば争いたくない」という想いを抱いていた。

 

宮田・中野両教授は、東洋哲学研究所の関係者であり、学者という立場です。彼等が創価学会日蓮正宗の戦争を望まなかったのは自然なことだと思います。教義論争の危うさと社会的なインパクトの大きさから、紛争が両団体を疲弊させることを予見していただろうからです。

 

また、末端会員とは信仰に対する態度や感覚も違ったことでしょう。冷静な学者としてのスタンスが末端の熱狂的な会員と一致しないのは頷けます。現場の活動に邁進する末端会員と、知的作業で創価学会を支える知恵袋幹部では、見ている風景が違ったと。

 

日蓮正宗の水島氏も中々興味深い発言をしています。日蓮正宗の僧侶ならば「先頭を切って」創価学会との闘争を宣言してもよさそうなものですが。日蓮正宗側においても、冷静な判断の出来る人は、そこまで創価学会と戦う気はなかったということでしょうか。

 

さらに突っ込んで言えば、話題にしている『随宜論』とは17世日精の仏像造立問題に関連するが、この時点で創価学会側、日蓮正宗側の解釈は異なっています。それでいてその場で本気の教義論争はしない。本来、信徒側の創価学会が違う解釈を述べているのだから「教導」する必要があるのだが……

 

この会談から数年後、信徒同士が遺文召喚バトルを熱心に繰り広げることを考えれば、なれ合いとも妥協とも取れます。両陣営の教学関係者からすればその程度の感覚だったということでしょうか。

 

水島氏が発言したとされる「両方のボスが先頭切って戦い始めたら誰にも止められない、創価学会でもだれか池田名誉会長を止められる人がいますか、所詮創価学会も宗門もボスが右向けといったら、私もあなたも右向くしかないでしょう」という内容は、現実的にはその通りだったのかもしれない。

 

しかしながら、その後の創価学会日蓮正宗の末端信徒同士の血みどろの紛争を考えると、余りにも空しい。末端信徒が非難の応酬をしている中で、教義的な問題の中心人物の何人かは紛争そのものを望んでいなかった。宗創問題でいくつの人生が滅茶苦茶になっただろうか。

 

以前の記事でも述べたように、私は創価学会日蓮正宗は分離する運命にあったと考えていますが、もう少しマシな別離の仕方があったようにも思っています。その可能性を破壊した一人が山崎正友なのかもしれませんが……

 

現在の創価学会では、日蓮正宗との闘いは池田名誉会長を中心に皆が望んだこととされています。しかし実態は違うのでしょう。それぞれの立場で思うところはあったが、ボスの意思と末端会員の熱気に押された。日蓮正宗の方も、日顕氏はともかく、創価学会との紛争を望まぬ者もいた。

 

今もなお、創価学会活動家と日蓮正宗法華講員は様々な場所で教義論争、遺文召喚・解釈バトルを繰り広げていますが、両団体の教義関係の幹部陣の何人かはそもそも紛争に否定的だったことを記憶しておくべきでしょう。上は元々そこまで熱心ではなかったのだと。

 

 

補足

引用した部分以外にも興味深い記述があるので、別の機会に紹介するかも知れません。