蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

池田会長と公明党の不一致(1975年、竹入公明党委員長の池田会長批判)

公明党の変質はいつから始まったのか。以前、公明党は右傾化したかという記事において、宗教政党という看板を下ろして以降は時流に乗っていただけで、現実路線の維持という点で、公明党は変化していないのではないかと記述しました。

 

では、原理主義的な宗教政党からの離脱を公明党の再スタート地点とし、具体的な政策の変遷を評価するとどうか。

 

公明党の代表的な政策変遷の一つに日米安全保障条約(と自衛隊憲法9条)に対する評価の変化があります。

 

公明党は当初、日米安全保障条約の段階的撤廃を訴えていました。1978年頃から主張に変化が見え始めますが、大きく動いたのは1981年。部分的にですが、公明党のHPにも掲載されています。以下、引用します。

 

 “公明党は1981年12月の党大会で、党のそれまでの安全保障・自衛隊政策を現実的に見直す安全保障政策を発表。日米安全保障条約の存続を容認するとともに、領土、領海、領空の領域保全に任務を限定した「合憲の自衛隊構想」を提起しました。”

https://www.komei.or.jp/news/detail/20140918_14951

 

 

私が興味を持ったのは、この政策変更の判断に池田会長(名誉会長)はどの程度影響力を与えていたか。はっきり言うと、池田会長(名誉会長)の指示で政策変更を行ったのかどうかです。

 

池田会長(名誉会長)の公明党への影響力はどの程度なのか。これは多くの人物が気にかけていることではないでしょうか。

 

公明党が非難される時は創価学会が非難され、そのターゲットは池田大作という一人の人物に集中してきました。そこには、公明党は池田会長(名誉会長)の指揮下にあるという世間の認識がありました(今もあります)。

 

また、創価学会員が公明党を支援する理由の一つは「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」というものです。

 

もし、池田会長(名誉会長)が公明党に対して影響力を与えていなかったとしたら、公明党支援と池田大作という人物を短絡的に結びつけるのは難しくなります。また、世間の批判の大半も的外れのものになります。

 

何かヒントになるような文章は無いかと、例によってアメリカ公文書館のデジタルデータを漁っていましたら、1975年、竹入公明党委員長(当時)が初めて駐日アメリカ大使と会談した時の公文書を見つけました。

 

驚くべきことですが、公文書から推察すると、1975年当時、池田会長(当時)は竹入公明党委員長に全く影響力を与えていない。命令や指示を下していない。少なくとも、コントロールできていない。

 

池田会長時代には、ある程度公明党に指示や影響力を行使していたと私はイメージしていたので、かなり驚きました。

 

以下、該当公文書PDFへのリンクです。

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=316726&dt=2476&dl=1345

 

Document Number:1975TOKYO13532

Draft Date(原稿作成日):1975年9月25日

SUBJ: AMBASSADOR'S MEETING WITH CGP CHAIRMAN TAKEIRI

(題名:大使と公明党委員長竹入の会談)

 

 

全文を通して興味深い内容が多いのですが、何点かに的を絞って取り上げます。ちなみにですが、文章の機密レベルはConfidentialです。

 

まずは文章の要約部分とその和訳を紹介します。和訳は()内に示します。

SUMMARY: DURING HIS FIRST MEETING WITH THE AMBASSADOR, CGP (CLEAN GOVERNMENT PARTY--KOMEITO) CHAIRMAN TAKEIRI URGED US SUPPORT OF UN UNIVERSITY, DESCRIBED IKEDA-MIYAMOTO MEETING AND 10-YEAR SOKA GAKKAI/JCP COEXISTENCE AGREEMENT AS A "MISTAKE," UNDERLINED THE IMPORTANCE OF US RELATIONS TO JAPAN, AND PRONOUNCED HIMSELF DEEPLY AWARE OF CGP RESPONSIBILITIES AS A POTENTIAL LDP COALITION GOVERNMENT PARTNER. TAKEIRI CAME ACROSS AS SINCERELY PRO-AMERICAN, BUT THERE ARE CLEARLY POLICY NUANCES, IF NOT DIFFERENCES, WITHIN CGP.

(要約:公明党委員長の竹入は、大使との初めての会談中、国連大学の支援を要請し、池田‐宮本会談と創共協定を過ちだと表現し、日米関係の重要性を強調し、潜在的な自民連立政権のパートナーとしての公明党の責任を深く認識していると発言した。竹入委員長は心から親米的という印象を与えたが、もしその印象が違わない場合、公明党内には明らかな政策の差が存在する)

 

竹入委員長は、公明党自民党連立政権のパートナーになり得ると考えていたようです。1975年頃の公明党は、表向きは反自民党の要素も強かったはずですが……自民党との連立政権が現実となっている現状においては、何とも感慨深いものがあります。

 

 

創共協定に関するコメントは興味深い内容が多いので、少し詳しく紹介します。

TAKEIRI SAID IT WOULD BE CORRECT TO UNDERSTAND SOKA GAKKAI/JCP COEXISTENCE AGREEMENT (AND PRESUMABLY THE MIYAMOTO-IKEDA CONVERSATIONS) AS A "MISTAKE."

(竹入委員長は、創共協定(とおそらくは池田‐宮本会談)を過ちと理解することは正しいだろうと述べた)

 

REFERRING TO NON-GAKKAI/CGP SPECULATION, TAKEIRI NOTED POSSIBLE IKEDA MOTIVATIONS: (A) THAT IKEDA WAS SIMPLY OUTSMARTED BY MIYAMOTO;(B) THAT JCP HAS SOMETHING ON IKEDA; (C) THAT IKEDA'S MEETINGS WITH WORLD LEADERS HAVE MADE HIM EGOISTIC AND ARROGANT; AND (D) THAT IKEDA IS INTENT ON NOBEL PEACE PRIZE.

(竹入委員長は、非学会/公明党系の推測に言及し、池田会長の(創共協定に対する)考えられる動機に言及した。

(A)池田会長が単純に宮本委員長にしてやられた。

(B)日本共産党は池田会長の弱みを握っている。

(C)池田会長の世界の指導者との対談が、池田会長をわがままで傲慢にした。

(D)池田会長はノーベル平和賞に執心している)

 

 

1975年の時点で、公明党委員長と池田会長がここまでずれているとは思いませんでした。竹入委員長の池田会長評価はボロクソです。創共協定の是非はともかく、池田会長は竹入委員長を全くコントロール出来ていない。あるいはコントロールしていない。上記の(A)~(D)のコメントを竹入委員長の口からアメリカ大使に伝えて、池田会長に都合の良いことは何もないでしょう(普通に考えればマイナスでしかない)。

 

 

最後に、アメリカ大使側のコメントの一部を紹介します。

WHILE HIS COMMENTS GENERALLY WERE LITTLE DIFFERENT THAN WHAT WE HAVE HEARD PRIVATELY OVER THE YEARS, HIS CRITICAL REMARKS ABOUT IKEDA STRUCK US AS BREATH-TAKINGLY CANDID AND INDICATIVE OF PROFOUND POLITICAL DIFFERENCES BETWEEN THE TWO MEN.

(竹入委員長のコメントは、概して、ここ数年間、非公式に聞いてきたものとほとんど違わなかったが、彼の池田会長に対する批判的な発言は、我々に、あっと言わせるような率直さと、池田会長‐竹入委員長間の深い政策差を印象づけた)

 

 

1975年に竹入公明党委員長は、アメリカ大使を前に池田会長批判を行っていたこんなにも早い段階で、公明党委員長と池田会長は相違していた。1975年と言えば、池田会長に一番力があった時期ではないでしょうか。

 

推察するに、1975年の時点で、池田会長は公明党の政策に非干渉であった。あるいは、影響力が及ばなかった。1975年の時点で、政策面において、池田会長と公明党委員長は意見を相違させていた。

 

上記の事実は「公明党の独立性」という点では評価出来ますが、「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」という学会員の選挙モチベーションを完全に否定する内容です

 

また、最初に記述したように、池田会長(名誉会長)が公明党に対して影響力を与えていないならば、公明党のトラブルを理由に池田会長(名誉会長)という人物を批判するのは的外れです。

 

党は独立させると言っていた池田会長の言葉は、対外的な釈明・建前論では無かったと推測してもいいのではないでしょうか(竹入委員長の発言は、その後の公明党の政策変化を暗示しています)。

 

この竹入委員長とアメリカ大使の会談の場には、竹入委員長以外にも公明党議員が少なくとも一名、参加していたことが記載されています。その公明党議員は、池田会長と公明党委員長の間に意見の相違があること、公明党委員長が池田会長に批判的な態度をとっていることを知っていたことになります(おそらくは、他の公明党議員も知っていたでしょう)。

 

竹入委員長は、1990年代、朝日新聞への回想録の公表を発端に、“裏切り者”として、糾弾された人物です。“裏切り者”として批判された時、竹入委員長が非難された内容は金銭問題や学歴問題でした。

 

1975年当時から池田大作批判を行っていたこと、公明党委員長の見解が当時の一般的な公明党支持者(学会員)と異なっていたことが批判されたことはありません(少なくとも私は見たことがありません)。

 

学会幹部と公明党議員は、知らなかったというのでしょうか?竹入委員長だけ個人的な見解だったと逃げるのでしょうか?その後の公明党の政策変更も含め竹入委員長個人の判断だったというのでしょうか?(公明党日米安全保障条約に関する政策変更と、竹入・矢野両名の関係を示す公文書も見つけましたので、いずれ紹介します)

 

もし創価学会が竹入委員長を“裏切り者”として批判するというならば、1975年当時、池田会長と意見を相違していたこと、池田会長批判を行っていたこと、そういう人物が率いる政党を支援していたことを会員に表明するべきです(創価学会の理屈から言えば、その点こそ裏切り行為にあたるので)

 

その上で、「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」という理屈で選挙活動を行ってきた人達に謝罪し、「池田先生と公明党は必ずしも意見を一致させていません」と宣言すべきです。

 

 

追記:

名目上、創価学会公明党は独立した別の団体です。選挙活動のモチベーションが信仰基盤にある必要は特にありません。池田名誉会長に拘る必要もありません。誰もが好きなように、己のスタンスで政治に関わることが出来ます(それは信仰と矛盾しません)。また、選挙活動に関わらないというのも自由です。

 

この公文書は様々興味深い内容です。より正確に内容知りたい方は、是非原文をお読みください。