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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

創価大学における言論の自由

Twitterでも呟きましたが、創価大学内における言論の自由表現の自由に関して見たこと、聞いたことを記事にします。あくまで私が見た、聞いた範囲です。

 

創価大学内では公明党信濃町の方向性に反対するような活動は監視の対象になってきました。

 

かつて、自衛隊イラク派遣に反対する趣旨の展示を国際連合研究会というクラブ団体が企画しましたが(たしか2004年)、大学側から圧力がかかりました。大学の自主判断ではなく、信濃町からの指示かと推測されます。

 

公明党が推進する政策を正面から非難するようなことは認めないということです(教員か学生か、内部か外部かで対応が分かれたりします)。

 

後から聞いた話ですが、展示を企画した国際連合研究会の主要メンバーを危険人物として学会本部の第一庶務に報告した教員もいたそうです。しかもその教員は「善意」によって自らの意思で行ったそうです(教員の名前までは聞きませんでした)。

 

個人的な見解を述べ、思想的に反抗しそうな教員は監視の対象になっています。かつては、リスクのありそうな教員(独自の見解で学生を感化させそうな教員)の授業に学生を忍び込ませ、講義内容を記録させるようなこともしていました。

 

この講義の盗聴は、心ある教員集団の嘆願によって、今は無くなったと聞いています。

 

私の印象ですが、理系の教員はともかく、文系学部の中年以上の教員には反権力の気風がある程度備わっていると思います。それを表立って公表するかどうかは別ですが。

 

活動家を兼任する若い教員は組織に忠実な傾向がありました。組織を勝たせるために訓練されてきた方が多く、個々の案件に拘りを示す場面をあまり見ませんでした。

 

ある40前半の教員に「安保法について率直にどう思うか」を尋ねた際は「池田先生が何も反論されないのだから……」と返ってきました。

 

話を聞いた若手教員の方に限らず、今の創大の教員からは、どこかトラブルを恐れて、自分の意見を公表することを躊躇っている雰囲気も感じ取りました(あくまで私が見た範囲です)。

 

政治的発言に限らず、創価学会や教義問題に関しても同じことが言えます。質問をすると歯切れの悪い返事が返ってくることが結構ありました。露骨に話をそらされたこともありました。

 

大学職員は論外です。特に中年以上の職員が駄目です(性悪と言いたいわけではありません)。学会組織においても要職についている方が多く、信濃町の意向にさからうこと、独自見解を述べることはまずありません。

 

正直なところ、大学職員、特に若手職員の方に関しては、心優しい方、学生の面倒をよく見てくれる方も知っているだけに、あまり批判はしたくないです。学生部組織などで私が直接お世話になった方もいます。

 

教員同様、若手職員の方からも、集団の前で独自の見解を述べること、自分の意見を話すこと、型にはまらない指導をすることを躊躇い、恐れている雰囲気を感じました。

 

若手職員で、既に組織にどっぷり染まっている方もいました。以前に比べ、打ち出しに狂信的な若手職員が増えた気もします。ノリや勢いがあって音頭は取れるけれど、柔軟な対応が出来ないタイプの方が増えたのではないでしょうか。

 

教職員が独自性を発揮しない結果、型通りの指導で対応できない学生が疎外されていきます。政治・思想的に独自のセンスを持つ学生は、まず型通りの指導で対応できません。私がそういう学生でした(笑)

 

集団から外れた学生を助けることが出来ないのが今の創価大学の特徴です。私が居た頃は何人かの“癖のある方(大学教職員とは限らない)”が対応してくれましたが、今はどうでしょう。中央集権的な空気が一層強くなったのではないでしょうか。

 

池田大作が表にでていた当時から、創価大学には本当の意味での言論の自由はなかったと思います。根は深い問題です。

 

言論・表現の自由と個人的な友誼・信頼関係を両立できないことを、私は非常に残念に思います。

 

現在の創価大学が抱えている状況を伝えることが、このブログを始めたきっかけの一つでもあるので、是非とも拡散して欲しい内容です。