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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

公明党は右傾化したか

これまでの選挙活動にたいする自身のスタンスを述べた上で、現在の公明党に関して考えていることを簡単に述べたいと思います。

 

以前紹介しましたが、私にとって初めての選挙支援は未成年の時でした。成人した後、友人への投票依頼(いわゆるF活動)を何回か行いましたが、支援活動への参加理由は私の親族に公明党市議会議員経験者がいたからです(私が成年した時には既に他界)。支援活動を断ると罰が当たるかもしれないという不安もありました。また、もしかしたら功徳が貰えるかもしれないという期待もありました。他の会員からの目線を気にしていた部分もありました。

 

私にとって選挙活動は、個人的な情、罰への恐怖、功徳への打算が入り混じった活動でした(学会活動全般に言えます)。今は一切の選挙支援活動、創価学会の組織活動をしていません。悩みが消えたわけではありませんが、罰に悩むことはなくなりました。

 

公明党への投票依頼方法は「身内に議員がいたからよろしくお願い」とシンプルに“情に訴える”やり方でした。個々の政策には、立場による利害や恩恵の差があるものだろうと考えていたので(今も考えています)、公明党の政策や実績を深く人に勧めるようなことはありませんでした。支援の数字に関しては大して取れず、30人連絡取れれば良い方だったと思います。

 

支援活動に関連して政策議論や勉強会も多少行いましたが、熱心ではありませんでした。私は、個々の具体的な政策よりも根本的な問題、例えば日本人のライフスタイルの変化、政治と宗教の関係(創価学会に限らず)、問答無用の暴力にたいする宗教団体の役割等に興味がありましたので、細かい政策論争に価値を感じることがありませんでした。

 

今回は公明党の原点を探るという意味で、創価学会が初めて選挙活動を展開した、1955年(昭和30年)の地方選挙前後を少し調べてみました。公明党の結党は1964年ですが、創価学会としての選挙支援のスタートは1955年、今から60年以上前の話です。

 

創価学会が政界に進出した理由は、戸田城聖日蓮立正安国論を現代的に解釈し、選挙に出て政治にかかわる必要があると考えたからです。戸田城聖は日本中を創価学会で染め上げようと本気で考えていた節があるので、当然と言えば当然の帰結です。

 

「広布の礎、文化活動」という戸田城聖の講演(昭和30年、鶴見支部第四回総会、星薬科大学講堂)の一部を以下に紹介します。この講演は創価学会初の選挙に先立つもので、文化部員(地方選挙立候補者)の出陣のあいさつと言っていいかもしれません。

 

広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、または、これに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども、会社の小使といえども、皆、御本尊様のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、また、この御本尊様のありがたさを知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。
 これがためには、なまじっかの闘争では、けっして広宣流布はできない。そこで、この一端として文化部が創設され、文化活動のうちの政治活動が、最初に打ち出されたのです。”

 

上記の講演内容は、講演全体の中でも特に過激と思える部分を抜粋していますが、戸田城聖の目指した政治活動、その本気度が伝わってくる内容ではないでしょうか。

 

公明党は右傾化したか?私は本質的には違うと思います。戸田城聖が志向していた、原理主義的な信仰活動を放棄した一つの成果が今の公明党です。創価学会国立戒壇や国教化を捨て、現実路線に舵を切った時から、公明党も時流(話題のトピックや政局)を強く意識するようになりました。かつては反戦平和が世論の主流だったので宣揚し、今はトレンドが“右翼的”なので受け入れているだけではないのか。現実路線の維持という点で、公明党は変化していないのではないか(支持者の変化に関してはまた考察したいと思います)。

 

私は、戸田城聖路線を賛美する訳ではありません。ただ、原点となる創価学会の選挙活動が何を目指していたのかを無視して、細かい公明党の政策を云々しても意味は無いと思います。信濃町フィクサー気どりの連中の暗躍にしても、政治活動における初心を忘れた結果です。

 

最後に、先程の戸田城聖の講演の続きを掲載します。

 

“ただ、ここに一言ことわっておかなければならないことは、文化部員の闘争は政治のための政治ではないということです。ある人は、そういうのもならば、創価学会党というものができて、そこで広宣流布するのではなかろうかと考えるかもしれませんが、けっして政治のための政治ではありません。一党一派に偏するものではありません。文化部員のなかで、ひとりが社会党であり、ひとりが自由党であり、ひとりは民主党であり、なかには共産党がいても、いっこう、さしつかえないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治であるからです。

 この意味におきまして、このたびは、どうか、じゅうぶんに悔いなき闘争ができるようにと、日夜祈っているしだいであります。”

 

 

補足

前述したように、私は、公明党の政策や理念に惹かれて選挙活動をしたことはありません。だからこそ、細かい政策に拘りなく話が出来るのかもしれません。それぞれの世代で平和活動なり、文化・教育路線なりに本気になった人の努力を否定するつもりはありません。また、戦後の混乱期に青春時代を重ねた池田大作、それを支えた一部側近達は、平和・文化・教育活動にある程度本気だったと思います。現実的な改革路線に舵を切った中で、主張できそうなことを主張してきたのではないでしょうか。

 

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