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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

池田大作についての所感

池田大作について、感じたこと、考えていることを素直に書きます。

 

私は特に池田大作を信奉していません。永遠の指導者とも、極悪人とも考えていません。昭和3年生まれの日本人ががむしゃらに暴れまわったという認識です。

 

陰謀家、策略家として非難されることもありますが、池田大作は策を練るようなタイプではないです。正確に言うならば策を立てることが出来ない性格です。細かいマネージメント、知識の補填は部下に任せます。やろうと思ったことをまずやってしまう。過程や事後のことは、責任者に任せます。

 

支配者として認識されることもありますが、末端会員を直接隷属させるようなことはありません。一方で、周りにいる側近幹部は池田に振り回されることも多かったのではないかと考えています。

 

昔の方の話を聞くと、小さな会合での指導はかなりはじけています。着飾るような指導をすることはなく、本人も自分の癖や失敗を隠しません。大きな会合や要人との対談では創価学会の長としての機能を果たすべく、一定のキャラを演じていたように思えますが、基本は現場の人です。末端会員が惚れ込んだのはそういう部分かと思います。組織の長としての池田大作と人間池田大作、基本は同じです。公私の分別を多少は演じますが、そういうことが嫌いな(出来ない)人物です。会長なんてなりたくなかったという彼の述懐は、本音だと思います。

 

池田大作は行動の人です。若い時代に深く思索することはあったかもしれませんが、創価学会の会長になった後は、活動家です。その流儀が今の創価学会を作っています(良くも悪くもね)。より活動しやすいように、教義を変える。これは創価学会の教義変更の基本です(ただし、この傾向は戸田時代からある)。別に日蓮仏法を研究した成果から変えるわけではありません。まず変える方向性があって、それが日蓮的に、法華経的に、仏法的に、大幅にずれていないかを検証します(専門集団がね)。

 

池田大作の動機や目的がどこにあったのか。それは本人しか分かりません。周りの人間の評価は所詮推測です。毀誉褒貶が激しい人です。私の池田認識は、先にも述べたように「昭和3年生まれのがむしゃらな日本人」です。動機や目的は「とにかく日本を変えてやろう」くらいの物じゃないかと思います。それに付随して「多くの人を救おう」があれば大人物だと思います。それ以上に明確な目的や目標があったのか、今の私には判別できません。

 

池田大作には、人情の機微を知る、苦しんでいる人へ同苦する、同志愛を大切にするという部分は強くあったと思います。私は池田大作神話の様な物を宣揚する気は全くありません。ですが、日本全国で無数の会員の目に触れているわけですから、キャラを作って演技できるとは考え辛いです。素の性格が受けたからこその池田人気だったのだと思います(それが影響して組織は池田色に染まった)。

 

私が池田大作を好きか嫌いかと言えば、創価学会の会長、名誉会長としては好きでは無いです。池田流の組織のお陰で(正確には池田流の組織文化に染まった家族かな)、非常に気分の悪い思いをしてきました。今もしています。創価大学の創立者としては、特に嫌いではないです。ただまぁ古い人なので、21世紀の感覚とずれているなと思うことが結構ありました。学生のことは愛していたでしょう。

 

逆らったらいかん相手だと、小さい頃から刷り込まれてきたので、怖い人だとは思っていました。私にとっての池田大作は、好きになれない怖い人ですかね。

 

20世紀後半の日本社会を駆け抜け、日本内外に多大な影響を与えた人物、池田大作。今は世間に姿を見せないまま、彼が愛したはずの大衆に近況を知られることなく年を重ねています。本人が今何をしているか、考えているか、さっぱりわかりません。私は、池田の性格を考えれば、元気な状態であるならば表に出てくるだろうと思います。