蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

宗創問題と創価学会独立

第一次宗創問題の評価に関して私の意見を少し述べたい。

 

第一次宗創問題は、昭和52年路線から始まる創価学会の独立あるいは創価学会による日蓮正宗乗っ取りを意図していたという主張(創価学会アンチの方に多い主張)。これはあり得ないと思います。本尊模刻の件などから主張される方もいますが、独立するには余りにも準備不足。特に、大御本との関係を明確にできない状態で当時の創価学会が独立することは不可能です。池田大作に指導された会員だけでなく、戸田城聖時代をよく知る会員も多数いたわけで、創価学会が寺と分離するということに納得できる状況ではありません。実際、第一次宗創問題前後に学会を辞めて檀家になった方も多数いるわけです。

 

昭和52年を独立準備の開始と考えることもできますが、1972年に正本堂を建立した直後に独立する意味がありません。当時、正本堂はただの大きな礼拝所ではなく、大御本尊を安置している本門戒壇、教団として外すことのできない場所でした。それを寄進した後独立を図る理由がありません。

 

日蓮正宗乗っ取りですが、これも考え辛いです。何故か?創価学会サイドに旨味がありません。ブログ上で何度も述べているように、創価学会日蓮正宗の教義の危うさをよく知っていました。また大石寺の土地問題など、組織としての日蓮正宗前近代的であることも知っていました。日蓮正宗を取り込んだところで、それは将来の爆弾でしかありません。

 

金銭的な力量によって裏から日蓮正宗を支配するという発想もありですが、当時は本尊授与に法主の存在が必要不可欠でしたので、金を見せつけたところで本尊を奪えばそれまでです。実際に第二次宗創問題では、本尊下付の停止と破門宣言が行われ、少なくない学会員が日蓮正宗側に渡りました。金銭の力は、支配する力としては不十分です。

 

戸田城聖が亡くなってからまだ20年。当時の創価学会が進んで寺と紛争を起こす意味はありません。利益もありません。日蓮正宗日蓮唯一の後継団体であると宣揚してきた時代です。日蓮正宗本体の危うさを熟知しつつも、日蓮正宗を責めることはあり得えません。それはそのまま自分達に刃として帰ってきます。日蓮正宗の一部僧侶や、組織形態を糾弾出来ても、日蓮正宗本体を非難することは出来ない時代です。

 

第一次宗創問題の時点では、創価学会日蓮正宗からの分離独立を意図していません。様子見の段階です。第一次宗創問題とそれに続く混乱は、創価学会の独立意識を高めることになってしまいました。

 

補足

1974年に作成された北条報告書なるものがあるそうですが、作成に山崎正友が絡んでいる時点で信用できません。山崎を中傷したいわけではないですが、彼は余りに無節操過ぎます。首尾一貫した不首尾一貫人物です。何を意図して作成したかが不明瞭です。北条報告書には「長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。」と北条理事長(当時)の感想があります。1980年前後は、長期的と言うには近すぎます。やはり第一次宗創問題の時点では、創価学会日蓮正宗からの分離独立を意図していなかったと判断できます。ちなみに、創価学会サイドの主張では、この北条報告書は、池田大作に採用されなかったとのことです。まぁその辺は闇の中だな。

 

この北条報告書だとか様々な内部文書を用いて創価学会を批判していた連中(正信会)は、当時日蓮正宗の敵でもあり、日蓮正宗は、創価学会と表面的には共同歩調だったわけです。それが平成3年以降、正信会由来の文章を用いて創価学会攻撃に回るとは、皮肉なものですな。