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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

宗創問題と石田次男(2)

石田次男に関して、調べたことの続きです。

 

私が石田に興味を持ったのは、「革命の大河‐創価学会四十五年史」という1975年に出版された書籍を読んだ時です。創価学会史から、石田の存在がほぼ抹殺されています。石田の経歴を考えれば、1975年出版の書籍(つまり第一次宗創問題前)から存在が消されるのは異常です(多少の記載はあります)。「革命の大河」には「大白蓮華」発行に関するエピソードがあるのに対し「聖教新聞」発行に関すエピソードが殆どありません。石田を登場させたくなかったのでしょうか?

 

ネットで石田次男を調べていると、戸田城聖の後継者候補の一人が石田だったという記述がちらほら見つかります。その辺りの事情があるのかもしれません。池田大作の権力基盤にとって都合の悪い人物だったのかもしれません。

 

私個人は、創価学会の三代会長は池田大作で正解だったと思います。運動の音頭を取れればそれでよいのです。行動第一の池田流儀は、戸田城聖と同じく、終戦直後の日本社会には必要かつ有用だったと思います。

 

石田は、正信会という1980年代前半の創価学会の主敵に理論的な援助を行った人物です。1980年代に創価学会を批判した集団(正信会)の教義的な支柱です。2005年頃までに出版された第一次宗創問題関連の書籍(学会側)には、石田の名前は殆ど出てきません。

 

黙殺されていた石田は、突然創価学会史に呼び戻されます。2006年頃から出版され始めた「池田大作の軌跡」(全四巻)という書籍の中で、若い頃の石田次男が「酒癖が悪い、子分を作る、不愛想」などの「悪人」として紹介されます。更には「“魅力的”な池田大作と比較して、石田は冷たい人物だった」という趣旨の証言まで書いてあります。

 

当人(石田)が亡くなって15年以上経ってから、若い時の振る舞いを少し取り上げ、悪口を並べるのが創価学会クオリティです。創価学会は死体蹴りを何とも思いません。

 

池田大作の軌跡」の中においても、1980年代に創価学会をもっとも締め上げた勢力(活動家僧侶、正信会)と石田の関係は語られません。彼の教学内容に対する反論もありません。若い時代の癖や態度を今更非難するくせに、本当に対峙すべき部分(正信会との関係、彼の教義解釈)には触れません。

 

創価学会の、こういう姑息な行動知るたびに、私の中の創価学会池田大作への信頼は減ってきました。