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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

宗創問題と石田次男(1)

私なりに石田次男に関して調べてみました。

 

石田は、創価学会青年部で初めて創価学会理事になった男です。教学力が非常に高く「折伏経典」の執筆にも携わっています。初期の聖教新聞発行においても重責を担いました。聖教新聞の初代編集長です。

 

親族構成ですが、石田の母親は初代の創価学会婦人部長、兄の石田幸四郎公明党の委員長経験者(石田次男も政治家を一期だけやります)です。義弟に創価学会第五代会長の秋谷栄之助がいます。

 

山崎正友が謀略に使ったことで有名な「ある信者からの手紙」という文章があります。簡単に言えば、創価学会の危険性、教学的逸脱性、池田大作の野心を日蓮正宗側(日達周辺)にアピールした文章です。山崎正友はこの文章を活動家僧侶に紹介し、創価学会攻撃を煽ります。この文章中、創価学会側の造反者として唯一名前が挙がっているのが石田次男です。「ある信者からの手紙」を創価学会サイドがどの段階で手に入れたかは分かりませんが、山崎正友が用いたもっとも強烈な謀略文書に名前が入っているにも拘らず、創価学会は第一次宗創問題で、石田に言及しません。

 

第一次宗創問題があらかた収束した後、石田は創価学会を離れ正信会に身をおきます(日蓮正宗ではない)。独立した個人として、知恵袋、理論構築の要として、従属しない立場であったと思います。学会からの除名では無く、本人からの脱会宣言のようです。

 

山崎、福島、原島等の造反組、竹入、竜などの政治家造反組が口汚く罵られる中、石田は明確な造反者であるにもかかわらず、表立って非難されることは殆どありません。それどころか、創価学会を離れた後も、聖教新聞社から嘱託で給料を貰い続けていたらしいです。

 

石田は創価学会離反後、創価学会日蓮正宗の双方を「教義的」に批判し続けます。正信会の盟友らしく、創価学会池田大作)と日蓮正宗日顕)、その両方に対して否定的な立場をとりました。正信会をべた褒めしていたのかと言えばそうではなく、真摯な学究者として、言うべきことを言う人物であったようです。

 

石田は間違いなく第一次宗創問題における第一級の当事者です。それでいて何故か創価学会から非難されることはありません。1980年代に、創価学会池田大作)、日蓮正宗日顕)、その他宗教を、あくまで教学的に批評し続けた石田。彼と真っ向勝負できなかったあたり、第一次宗創問題が単純な教義紛争でなかったことの証なのかもしれません。