蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

創価学会と日蓮正宗の教義は、どの段階まで一致していたのか

 

結論から言うと厳密に創価学会日蓮正宗であった時期はありません。創価学会は創立以来、日蓮正宗の教えをそのまま受け入れたことはありません。強いて言うならば、1979年から1990年にかけて、第一次と第二次の宗創問題の間だけです。

 

創価学会の創立者であり初代会長の牧口常三郎は、三谷素啓という日蓮正宗の強信者に折伏され日蓮正宗の信徒となります(今の創価学会はこの辺ですら教えない)。牧口常三郎は元々教育者で、独自の教育体系、教育哲学というものを保有し、それを実証しようと活動していました。

 

牧口は日蓮正宗の教えを受持しましたが、その解釈部分において日蓮正宗と同一ではありません。牧口自身がその点言及しています。詳しくは、牧口の『尋問調書』に書いてあるそうです。

 

古い資料の常として、『尋問調書』そのものを証拠として(つまりオリジナルの文献を)提示しているHPを発見することは出来ませんでした。多くのHPは孫引きや、デジタル文章のみです。確証をもって調べたいならば、国会図書館等に出向くしかないでしょう。

 

牧口常三郎全集の10巻には『尋問調書』の抜粋が掲載されているそうです。また、宮田教授のHP内にも、牧口の日蓮仏法解釈が伝統的な日蓮正宗の解釈とは違うことが指摘されています。他の方のHPにも同様の記述がります。)

 

では二代会長の戸田城聖日蓮正宗の教義解釈をそのまま継承したでしょうか?あるいは、牧口の解釈を採用したでしょうか?

 

これも違います。戸田は日蓮遺文を講義する際、日蓮正宗を唯一の日蓮継承教団としつつも、講義内容そのものは戸田の解釈によって行っていました。日蓮正宗の僧侶を呼んで、講義を拝聴したわけではありません。戸田流の講義(日蓮講義に限らず、仏法全般、社会情勢など多岐にわたる講義を行った)を行いました。また、戸田は牧口の価値論を独自に補訂しています。牧口の全てをそのまま受け継いだわけではありません。

 

1958年に戸田が亡くなり、1960年に池田大作創価学会の第三代会長に就任しますが、戸田=池田であったかというとこれも違います。細かい指摘をすればキリがありませんが、明治生まれの戸田と、昭和生まれの池田には感覚面において随分差があります。また、牧口は行動する学者、戸田は事業家兼探究者ですが、池田は本質的に運動家です。

 

何度も書きますが、絶対的正確な継承などありえません。原理主義はこれを目指しますが、達成できません。理由は前述したように、継承を唯一絶対的に評価できる人物が故人だからです。個人、組織、生きているうちは変化の連続です。故人の思想、残した文章をそのまま(つまりオリジナルの人物の意図するまま)運用することは出来ません。

 

私自身は、変化があることを悪いことだとは思っていません。むしろ、原理主義的な発想は無意味かつ無価値なものだと考えています。

 

先師が故人である以上、新しい課題には自分達なりの解釈を提供しなければなりません。例えば、再生医療の是非を日蓮遺文なり法華経にそのまま求めることは出来ません。日蓮遺文、法華経にIPS細胞は出てきません。文章を解釈して判断することは可能であっても、明確に文言として掲載せれてはいません。新しい解釈が必要になります。

 

話を創価学会日蓮正宗に戻します。絶対的正確な継承などありません。

日蓮日蓮正宗、牧口≠日蓮正宗、戸田≠日蓮正宗、牧口≠戸田であり、戸田≠池田。そして、池田≠日蓮正宗です。この場合の≠は≒でも良いです。重要なのは、=ではないということです。この最後の部分、池田≠日蓮正宗が強烈にクローズアップされたのがいわゆる第一次宗創問題です。

 

創価学会日蓮正宗の信徒団体として誕生しながら、牧口≠日蓮正宗、戸田≠日蓮正宗でなかった時点で、日蓮正宗との分離は必然だったのかもしれません。但し、別れ方はもう少し穏便に出来たように思えますし、交流が途絶える必要性もなかったように思います。