蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

教義の一貫性

教義の一貫性について一番述べたいことは一つ。

日蓮を絶対的正確に継承した団体など存在しないということです。

 

我こそは唯一の継承者であると自称することは出来ても立証することは出来ません。

何故でしょうか?日蓮が既に故人だからです。日蓮系団体を唯一絶対的に評価できる人物は、日蓮唯一人です。

歴史上の人物としての釈尊を連れてきても良いのですが、彼の場合、法華経への評価から始める必要があり(釈尊在世に法華経は成立していないので)、日蓮継承者を評価するのは難しい立場にあります。

もっとも、釈尊ならば日蓮を評価することは可能です(それがどのような意味を持つかは、今の私には判断しがたいです)

また少し調べれば、各教団とも教義や組織の運営、法主の行動などに一貫性が無かったことは直ぐにわかると思います。

故人である日蓮の振る舞い、日蓮の文章が変化しない以上、生きた団体が一貫性を保つなど不可能です。

日蓮の遺文を用いて変化することを正当化しても良いのですが、その変化が正しいかどうかの判断を出来る人物は、やはり日蓮ただ一人です。

不二の後継者であることは自称出来ても立証出来ません。オリジナルがこの世に存在しないからです。不二であることを証明できる人物がいないのです。

師弟不二という言葉を好む学会員には、ぜひ留意してもらいたい点ですね。

 

創価学会日蓮正宗の教義を用いてきましたが、そもそも日蓮正宗自体に教義の一貫性はありません。創価学会の教義の一貫性はこの時点で既に詰んでいたと言えます。

例えばですが、いまでこそ多くの信徒が文字曼荼羅を唯一の本尊としていますが、昭和の中期頃までは日蓮御影も同時に信仰の対象としていました(余談ですが日蓮御影の中に文字曼荼羅を収納した、腹籠り本尊なるものも存在したようです)。御影を人本尊、文字曼荼羅を法本尊、としていた時期があるのです。また、寺院間での差異もあったようです。詳しくは、創価大学宮田教授のホームページ等を参考にしてください(宮田氏は創価大学所属の教員ですが、創価学会に不都合な歴史的事実も記載してくれています。彼への評価は様々ありますが、忌憚なく話をする研究者であると私は考えています)。

日興、日有、日精、日寛、などの有名人物の時代と比較するまでもなく、創価学会誕生前後ですら日蓮正宗の教義には一貫性がありません。

 

日蓮正宗の信徒団体として誕生した時点で、創価学会の教学は詰んでいます。

特に2014年の教義解釈変更で、日蓮から一本の線で創価学会までを結ぶことは出来なくなりました(自分達の教義解釈の上ですら不可能になったという意味です。前述したように、日蓮を絶対的正確に継承した団体など存在しません)。

 

創価教学の現状を評価する前にこの辺りの事を押さえておくことが大事かと思います。