蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

創価学会の歴史(1979年前後)

創価学会日蓮正宗は第一次と第二次の宗創問題を経て分裂しました。分裂しただけでなく、お互いに罵り合う犬猿の仲となりました。そのためか分かりませんが、創価学会日蓮正宗は1979年以来一貫して険悪なムード、冷戦状態にあり、1990年前後に双方の不満が爆発して別れたと捉えている方が多いです。私は少し違うと考えています。

 

第一次宗創問題前後において創価学会日蓮正宗は衝突しましたが、この時、創価学会を主に攻め立てたのは活動家僧侶と言われる第66代法主日達に近い立場(日達の弟子)の若手僧侶集団です。彼等は日達を旗印に、日蓮正宗教学からの逸脱という点で創価学会を攻め立てます。創価学会側は内部統制の混乱もあり基本的に防戦一方でした。池田大作は会長を辞任させられ、また多数の学会員が創価学会を脱会、法華講員として反学会の尖兵となります。会長が第四代北条浩になっても、活動家僧侶達は攻撃の手を緩めません。創価学会側としては、池田大作の首を提出したのだから手打ちと考えたのでしょうが、活動家僧侶(と恐らく日達)にとっては関係ありません。彼等にとって敵は池田大作だけではなく、創価学会の提唱した教義解釈と、それに従った信濃町幹部および学会員です。

 

創価学会は、池田大作辞任後に特別学習会テキストという小冊子を発刊します(私も所持しています)。その中で、過去の創価学会(と池田大作)の指導を日蓮正宗側からの指摘に答える形で、訂正しています。創価学会は宗門に下り、彼等の教義解釈をそのまま受け入れ、自分達の解釈の非を認めます。1979年から第二次宗創問題発生までの10年ちょっと、創価学会日蓮正宗の教義解釈が少なくとも表向きは一致します。このまま創価学会日蓮正宗のコントロール下に置かれるかと思った矢先、誰もが想定していない事態が発生します。日達法主の急死です。

 

日達の急死は、創価学会日蓮正宗の双方にとって不測の事態でした。もし日達が後継の法主を指名した状態で死んでいたら、今日の創価学会日蓮正宗の関係はかなり違ったものになっていたでしょう。日達の次は日顕が第67代の法主となりますが、この時、日達からの後継者指名があったかどうかという問題が発生します(血脈相承疑惑)。

1979年前後に創価学会と敵対した活動家僧侶達ですが、彼等にとっての指導者(法主)は日達です。日達が、明確に後継者(新法主)を指名していたのならば、活動家僧侶達も日達指名の新法主の下に集まったかもしれません。

活動家僧侶達は自称法主である日顕を新法主とは認めず、最終的には血脈相承に関連して裁判まで起こします。

 

現役の法主に反抗することとなった活動家僧侶の多くは第67代法主日顕に擯斥され日蓮正宗の統制下から離脱します。活動家僧侶たちは1980年に正信会を結成し、日蓮正宗とは別の道を歩みます(正信会は今もあります)。

 

1980年代前半、創価学会の主敵は日顕ではなくこの正信会となります(顕正会もですが)。その正信会は、後に創価学会の主敵となる日顕と敵対していました。多くの学会員は知らないのか忘れているのか不明ですが、最初に創価学会と衝突した集団は日顕の敵であり、第二次宗創問題の発生時には日蓮正宗の統制下にありません。創価学会にとって第一次、第二次宗創問題共に紛争相手は日蓮正宗ですが、日蓮正宗側の構成員はまるで異なります(創価学会側も異なります)。創価学会が第一次宗創問題で主に争った集団は、第二次宗創問題発生時、日蓮正宗のコントロール下にありません。

 

活動家僧侶にとって、新法主日顕)は相承を受けていない偽物であり、前法主日達の死に付け込んだ盗人です。正信会にとっては、創価学会日蓮正宗も、争うべき敵でした。あれだけ争った創価学会日蓮正宗は、日達の急死により共通の敵を持つことになります。

 

1980年代前半、創価学会日蓮正宗日顕)は、表向きは共同歩調をとります。日蓮正宗側にとっては、最大信徒団体(つまり一番のお得先)である創価学会をこれ以上刺激しても旨味が無く、自分達の法主を否定する正信会の敵に対して攻勢に出ることは、正信会の理を助け、藪蛇となりうる状態です。創価学会サイドは、日達法主が死んだとはいえ日蓮正宗側に下ったばかりです。自らの過ちを認め、大将(池田大作)の首を差し出し、その原因を作った連中が日蓮正宗と争っているのですから、この時点で日蓮正宗日顕)と争う必要性も能力もありません。創価学会日蓮正宗両首脳陣の思いは一つ、これ以上のトラブルを発生させるな。お互いに不信感を持ちつつも、共通の敵の存在が仲を持たせる。1980年代前半とはその様な状態です。

 

創価学会首脳部は、この辺りの事を意図的に隠蔽しています。山崎正友などの創価学会を離反した人物が、正信会を経て日蓮正宗に変節したこともあり、池田大作辞任から第二次宗創問題の勃発まで、創価学会日蓮正宗は紛争状態と考えている人が多いですが、実際は違います。第一次宗創問題で大きく争った後、創価学会日蓮正宗は内心では互いに憎しみ合っていたかもしれませんが、会内&宗内で波風が立たないように気を付けていました。だからこそ、その後10年間一緒に活動できたのです。

 

独自の教義解釈を掲げ始めた創価学会は、日蓮正宗の一部僧侶集団(活動家僧侶)と衝突する。幾度かの衝突を経て、1979年、最終的に池田大作は会長を辞任させられる。池田大作の会長辞任後も活動家僧侶達は、創価学会への攻勢を続けるが、日達法主の急死という予想外の事態が発生する。活動家僧侶達は日達の次に新法主となった日顕と仲違し、日蓮正宗の統制から外れることになる。

第一次宗創問題を簡単に纏めるとこの様になります。

 

創価学会池田大作)と日蓮正宗日顕)は最初から紛争状態にあった訳ではありません。正信会と一部の脱会者が緩衝材となり、不安定ながらも共同歩調をとっていた時期があります。この共同歩調期間(約10年間)に貯めこんだお互いのうっ憤が爆発し第二次宗創問題が発生、創価学会池田大作)と日蓮正宗日顕)は喧嘩割れすることになります(この辺りの歴史も要検討だと思います)。

 

 

補足

とにかく今の創価学会は歴史を教えない。自分達が何をしてきたのか教えようとしない。薄い物語を提供するだけ。自分達の歴史を良いも悪いも認めていく作業は辛いものですが、その作業を怠れば、組織内に無責任・無反省がはびこることでしょう(既に手遅れな感もありますが)。