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蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

大御本尊と日蓮本仏論の文献学的な考察に触れない場合

日蓮正宗創価学会の教義変遷に関して、大御本尊と日蓮本仏論の文献学的な推察に触れることなく評価するとどうなのか。少し書いてみます。何らかの参考になりましたら幸いです。(ある方のブログに投稿した私のコメントを基に記事にしています)

 

 

前提条件ですので、大御本尊の真贋論争および日蓮本仏論の文献学的な推察に触れません。日蓮末法の御本仏、出世の本懐=大御本尊は日蓮仏法の化法であり、日興以来日蓮正宗はその化法にのっとり活動してきたと仮定します。その上で話を進めます。

 

日蓮=大御本尊である…1

各人が拝する曼荼羅本尊は大御本尊の分身散体である…2

よって、曼荼羅本尊=人法一箇の本尊…3

 

上記1-3の教義が一般的に運用され始めたのは、比較的近年、戸田城聖入信以降だと思われます。情報の出典が創価大学の宮田教授のHPからなので、人によっては価値の無い情報かもしれませんが(あるいはとっくにご存知かもしれません。その場合はすみません)、日蓮正宗においては、文字曼荼羅=法本尊、日蓮御影=人本尊としてきた歴史があるそうです。

 

この、文字曼荼羅=法本尊、日蓮御影=人本尊、という発想は、日蓮が御影本尊を信仰の対象として奨励していない以上(そういう遺文を私は知りません)、本尊義(化法)をその後の法主が勝手に変えたことを意味していると思います。

 

創価学会では、戸田城聖以降、上記1-3の教義が一般的になりましたが、日興以来日蓮正宗が実践、主張してきた日蓮仏法の化法とは言えません(文字曼荼羅=法本尊、日蓮御影=人本尊という歴史を経ていますので)。

 

日蓮末法の御本仏、出世の本懐=大御本尊、日蓮=大御本尊、曼荼羅本尊=大御本尊の分身散体、曼荼羅本尊=人法一箇の本尊」を日蓮仏法の化法であると条件設定すると、今の創価学会の教義(2014年以降)は日蓮仏法ではありません。真贋に関係なく、大御本尊を受持の対象としない時点で、化法に手を付けています。

 

ですが前述したように、日蓮正宗は、日蓮末法の御本仏、出世の本懐=大御本尊を採用していたと彼らが主張する時代においても、本尊義に手を付けています。創価学会誕生以前から日蓮正宗は化法とされる部分に変更を加えています。

 

また、創価学会日蓮正宗の伝統教義を踏襲したわけではありません。戸田城聖は、それまでの本尊体系(大御本尊、文字曼荼羅日蓮御影)を「大御本尊‐文字曼荼羅」に集約したわけですから、かなり化法に近い部分を変更していると思います。加えて、牧口常三郎は、日蓮御影を保有していたそうです。化法の部分において、牧口≠戸田だったと言えるかもしれません。

 

以上のように、大御本尊と日蓮本仏論の文献学的な考察に触れなくとも、日蓮末法の御本仏、出世の本懐=大御本尊は日蓮仏法の化法であり、日興以来日蓮正宗はその化法にのっとり活動してきた(そしてそれを創価学会が受け継いだ)という主張は、成り立たないのではないでしょうか。

 

補足

以前にも少し書きましたが、私は、研究者ではなく信仰者でいるというのならば、つまり日蓮なり法華経なりに何らかの信仰上の価値を見出し、それを判断したいというのならば、文献学の成果だけに拘束される必要はないと思っています(私自身は、文献学的な成果をそれなりに尊重する気質です)。ですが、自説の正当性を主張するために歴史を捏造し、遺文の真偽を避けるような態度は厳に慎まなければなりません。そのような態度を認める日蓮ならば、日蓮に価値はありません。

 

 

弓谷照彦と青春対話

近年の創価学会でスキャンダルを起こした人物といえば、元全国男子部長の弓谷照彦氏です。弓谷のスキャンダルは女性スキャンダル、簡単にいうと多重不倫です。

 

不祥事を起こした有名人物(幹部)は何人もいるのですが、弓谷に関しては話が世間バラまかれるという珍しい落ちが付きました。普通は、地方の墓苑とか外郭団体とかに飛ばされ、気が付いたら表に居ないという方法で決着がつきます。不祥事審査員の一人には、元某党委員長の弟さんがいるそうです。

 

弓谷に関しては、学会組織から抹殺されると同時に週刊誌に暴露記事が出たあたり、意図的に外に情報を流した人物がいるのかもしれません。金庫事件の中西治雄氏もそうですが、組織の不祥事を隠蔽する創価学会にあって、不祥事が表に出てくるケースは “宮廷闘争”絡みだと勘繰りたくなります。マスコミを使って外から影響を与えようとするのは、山崎正友からの伝統的手法です。まぁ末端の会員には関係ないですが。

 

そんな弓谷ですが、私は会合での彼の記憶があまりありません。彼の話を聞いていたはずですが、全国幹部が誰かなんてことに興味を持っていなかったからか記憶に残っていません。2005年、彼が男子部長を辞任した当時も、特に彼のことを気に掛けることはありませんでした。私が彼に興味を抱いたのは、弓谷スキャンダル発覚後に「青春対話」という書籍を読み返した時です。

 

「青春対話」とは、池田大作が未来部担当の幹部達と対話する形式をとっている、未来部洗脳マニュアルです。創価学会未来部に対する指針が書いてあります。似たような書籍に「希望対話」という書籍があります。「希望対話」の方が、より低学年用に調整されています。

 

弓谷は、全国男子部長という肩書以外にも、全国高等部長という役職を持っていたことがあります(2000年前後)。未来部担当の全国幹部だったからでしょうか、ハードカバー版「青春対話」の2巻にて、全国女子高等部長と共に池田大作と約90ページにわたり対談相手となっています。

 

この「池田・弓谷対談」を見た時、私は思いました。池田大作は、弓谷という問題幹部を見抜けなかったか、あるいは学会内部の幹部クラスともまともに対談せず「対談集」を出版していると。

 

まぁ、数十分から数時間の対談とやらで相手の性格を見抜くなど難しいかもしれない。しかし、池田大作は弓谷がどういう人物か、知ることが出来なかったのだろうか。弓谷の女好きは学生時代からかなり有名だったようで、知っている人は知っていたはずです。人の目がそこら中にある創価学会で、多数の逢引きを隠し通すのはかなりの困難が予想されます。もし本当に「池田・弓谷対談」が行われているならば、池田大作には、幹部の不都合な話は入らないということでしょう。あるいは、創価学会の全国幹部は、よほどの悪事をしても池田大作には気づかれない。

 

しかしまぁ弓谷に限りませんが、本当にしょうもない人物は、周りの人に感づかれているものです。情報が漏れ伝わってきます。私も八王子周辺で、ある有名全国幹部の子息のしょーもない話を複数人から伺いました。まぁ、私人扱いなので名前は伏せますが(親もそっち方面酷いって話だから血筋ってあるのかな)。

 

池田大作には都合の悪い話は入らず、悪党幹部を炙り出すことは難しい。あるいは、池田大作は全国幹部とすら対談していない。弓谷と言う人物は私にそんな教訓を残してくれました。

 

ちなみにですが、この「青春対話」、普及版と言うソフトカバー版が後に出版されるのですが、普及版では対談相手の名前が全て消されています。永遠の師匠が「ケダモノ」と対談した歴史は無かったことにされました。こんな書籍で子供を教育するのだからたまげたもんですよ。

 

 

学会本部および関連職員に関して(教育システム)

学会本部職員、関連団体職員をみていて思ったこと、彼等から聞いたことを書いていきます。

 

私の職員への所感は、「会員への教育システムが悪い」の一言に尽きます。若い世代は完全に被害者です。採用する側の年いった連中は故意犯です。仏法や教義を学ぶ機会を意図的に減らし、師弟論を基に組織の忠犬を作りあげ、職員として採用しています。

 

信心が信頼できること。これは本部職員、関連団体職員として採用される為の絶対条件です。信心の信頼基準は、折伏成果と組織活動(役職等)で評価されます。組織活動は、組織での役職や各種人材グループへの参加を通して評価されます。私の記憶では、新卒採用19人中少なくとも12人が学生部の部長経験者です。

 

各種人材グループや学生部の部長、幹部に採用される為の基準も折伏成果と組織活動です。学生部の部長、幹部への登用は、若い学生部幹部(大体職員)によって判断評価されます。彼等の判断基準は、会合への参加率、学会活動への積極性です。組織への従属度の高い人物が自然と幹部に選ばれる様に出来ています。組織に従順な人物を輩出するシステムが完成しています。

 

学生部の会合で、教義や教学を学ぶ機会は殆どありません。あっても、信濃町流の教学を暗記させることが主目的です。遺文研究などやりませんし、会合を主催する幹部の方に遺文研究や教義の疑問に対応できる人物がいません。昔は自分で遺文を研鑽する変わり者がまれにいたみたいですが、今は殆ど見かけません。宮田教授のゼミ生でもない限り、創価学会の教義に疑問を感じるチャンスすらありません。

 

私は、20歳前後の若者に仏法の深い知識や教義判断力を求めるのは無理があることだと思います。個人が行うには、研鑽すべき資料の量が膨大過ぎます。問題は、若い世代に日蓮や教義に関する史実ベースの教育を施さないことです。若い学生部の活動家の多くは、池田大作の言葉と多少の遺文を知っているだけです。まともに研鑽できる資料が身近な範囲に無い状態では仕方ありません。日蓮の歴史、仏法史に関して、信濃町サイドが学生側に正確な資料を提供することは絶対にありません。信濃町は忠実な活動家だけを欲しています(池田流儀の末路です)。

 

忠実な活動家を作る為の魔法の言葉が「師弟」です。「池田先生、師弟」と言われた瞬間、思考が停止するように訓練されます。教育する側も、池田大作と師弟以外に思想的(教義的)コンテンツが残らなかったので、「師弟」を連呼する以上のことはできません。池田大作の権威を利用し、創価学会に忠実な活動家を育成します。その中から選ばれたものが、幹部に登用され、職員になります。

 

女子職員だか女子部幹部の会合で長谷川某が教学力の無さを怒ったことがあるそうですが、そもそも信濃町側が教学・教義の指導にそこまで興味があるとは思えません。今の信濃町で、女子部が本当の教義、教学に興味を持ち始めれば、体制を維持できません。

 

女子職員に求められることは、先輩幹部に逆らわないこと、ニコニコ笑っていること、それぞれの地域で活動の中心者でいてもらうことです(あとは、男性職員のお見合い相手になること)。信濃町側がそういう人物を求めています。意見を言う人物は絶対に採用されません。女子職員や女子部が独自に教義研究を行うようになれば、創価学会の風向きも少しは変わるかもしれません(まぁ無いだろうけどね)。

 

男性職員に求められることは、先輩幹部と組織に絶対服従であることです。活動自体は離れる人もいます。地方に飛ばされた職員の1/3から1/2が活動から離れると聞いたこともあります。実際、「折伏が決まらない苦しさから、昼の唱題会に参加するのが精一杯だった時期が職員でありながら1~2年間続いた」というある職員の体験談を会合で聞いたこともあります。

 

創価大学出身者を中心に非難されることが多い職員ですが、元凶は会員への教育システムにあります。師弟論を中心に活動し、目に見える成果(折伏・選挙)のみを追い続ける会員はそのシステムを陰に陽に支えています。負の人材循環が出来上がっています。

 

 

補足

最近は、中途採用の職員が増えました。組織への忠誠心が保証されている人物、逃げ辛い年齢など信濃町の要望にかなっています。また、2011年度が2012年度の事だったと記憶していますが、新卒採用数をそれまでの半分程度に減らしました。若い職員を減らし、年老いた職員幹部を養うつもりですね。

学会本部および関連職員に関して(内定者から聞いた話)

私はこの10年程の間に、学会本部(地方会館配属、聖教新聞配属含む)および関連団体(大学、ニット、第三文明等)に新卒で採用された方を思い出せるだけで19人知っています(男性15人の女性が4人)。現役の職員、関連団体関係者はカウントしていません。あくまで新卒採用を得た方の累計です。その方達を見ていて思ったこと、彼等から聞いたことを書いていきます(年度によって募集人数等が違いますので、聞いた話が常に当てはまるとは限りません)。

 

私が聞いた話では、関連団体職員というのは単体での募集はしておらず、本部職員の採用試験を受けた人物の中から選ばれるそうです(つまり関連団体での採用は、本部職員としての不採用が前提になる)。ちなみに、親族が本部職員として採用されていると本部職員にはなれず、関連団体にまわされるそうです(大学職員とか有名幹部の2世がそれなりに居た)。

 

私の印象では、本部職員と関連団体、採用される人物像に若干の違いがあります。本部職員として採用される人物の特徴は“普通”の若者です。少し変わった方が関連団体に回されます(もう一度言いますが、あくまで私の感覚です)。聖教新聞配属になった人物は、本部採用者の中でも少し毛色が違う気がします。

 

私が感じた19人の性格ですが、私個人と相性の悪い奴は何人か居ましたが、性悪に当たるようなクズは特にいませんでした(繰り返しますが私の感覚です)。多少素行が荒い人物が数人いましたが、採用決定後に大人しくなりました。人あたりとノリが良い人物が多かったです。生真面目タイプの方もいましたが、無口、寡黙な人物は少なかったです。私生活に関しては、飲みも遊びも程々に経験しています。普通の若者です。

 

筆記試験が1回、面接は平均して3‐4回あるそうですが、本部職員の最終面接は意思確認に近い面接だった聞いています。本部職員の最終面接では、原田会長含む最高幹部の面々が担当になるそうです(私が聞いた方が言うには、最終面接は30秒くらいで終了したとのこと)。

 

採用が決定されると、国政選挙などの大型行事が突然発生しない限り、4月の入職前に約半年間、月1回の指導会が開催されます(だいたい10月くらいからスタート)。指導会は、男女別で行われます。かつては本部職員と関連団体職員で別々の指導会を設けていたそうですが、2009年頃に一本化されました。恐らくですが、学会本部を中心とした中央集権型組織構築の一環です。

 

女子は、幹部の話を聞き指導を受けるだけの比較的緩い指導会です。詳しい内容はそこまで聞きませんでしたが、恋愛に関する指導、池田大作と自分の間に誰も入れてはいけない等の指導を受けるそうです。

 

男子の方はそれなりに厳しい指導(信濃町への忠誠心を養うための追い込み)があるそうです。入職前半年間で折伏(本尊流布)1世帯の達成が義務付けられています。折伏を決着できるように、内定者2人あたり1人の職員が担当者として配置されます。

 

男子の指導会では、人間革命等の著作を読んでの読書感想文(決意文)の発表があるそうです。創価学会が大好きな、決意を言わせて追い込む方法が採用されています。人によっては、顕正会対策の「破折音声」などが渡され、対論訓練も始まります。

 

ある年度の職員内定者が集まる最初の指導会で担当幹部が「今すぐ敵と対論出来る人はいますか」と内定者に質問した時、内定者が誰も手をあげることが出来ず、質問した担当U氏がブチ切れ、別の担当者がそれをなだめるという“アトラクション”があったそうです。その年はそれ以降、全ての質問に対して内定者全員が挙手したそうです。美しい師弟の絆ですね。

 

指導会で日蓮仏法の検証や、創価学会史の検討などは行われません。創価学会の教義に疑問を持つ様な人物は続けていけない世界です。様々な矛盾を気に掛ける人物もいましたが、「先生のため」の一言でそれを飲み込める人間だけが職員を続けられます。新入職員を教育する側(信濃町)の都合が全てです。

 

指導会の欠席は基本出来ません。事故扱いになります。学生の本部着任等もそうですが、授業を休んででも参加する必要があります(学会行事関連での欠席に関しては、複数の創価大学教員から抗議の声があがっていますが、権力は信濃町の方が強いです)。これまた余談ですが、春休みに最後の思い出としてスキー旅行に行き、そこで事故(スノーボードで怪我をした)を起こしたがために、職員の内定を取り消された人物がいるそうです。

 

4月を迎えるとそれぞれの職場に配属されます。本部職員の場合、3月の終わり頃から入職前研修が行われるそうです。本部職員の場合、午前の入職式で辞令を貰い、地方会館勤務などの場合は午後の新幹線で東京を離れるそうです。

 

 

信仰の試行錯誤

私は現在、自分の信仰、信仰を持つ必要性、心の在り方など、様々思索、試行錯誤の途中です。今考えていることをざっくり書きます。

 

 

私は、信仰者が真偽問題を無視するのは危険であると思いつつも、信仰を歴史的な事実のみで構成し、普遍化する必要性はないと考えています。信仰という、個人における価値基準を、普遍化することは不可能です(究極的に言って、信仰に限らず、価値基準を普遍化することは難しい)。科学や学問を駆使して一般化させる作業が有益であるとは限りません。

 

以前、教学全般についての記事

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

で少し触れましたが、古い宗教団体に歴史的な真偽問題はつきものです。仏教に限った話ではありません。キリスト教最古の聖典は、イエス没後数十年程度経過して記述されたといわれています。イエスが直接書き残した言葉はありません。コーランはどうかというと、コーランの研究、真偽の検証を行うこと自体が非常にデリケートな行為です。

 

信仰を学術ベースで云々するという態度は、世界のどこでも通用するわけではありません。真偽問題、遺文解釈に熱を上げる人は、「無私の研究者」を意図的に目指していない限り、無意識のうちに近代科学思想にかぶれていることを自覚すべきです。宗祖と呼ばれる人物が、生き死にという人類すべての共通問題を扱っていたならば、物証を基にした学術研究が人類すべての共通解でないことを把握するべきです。

 

一方で、歴史的な真偽をぼかすことで、自宗の権威を保ち、人を隷属させるような悪質な宗教もあります。伝説的な遺品(聖骸布とかもその類かね)が、人々を惑わすこともあります。そういった“負”の部分を排除するために、宗祖と呼ばれる人物の志が引き継がれることこそ大事なのではないでしょうか。宗祖と呼ばれる人物の志が気に食わない場合は、離れるか、新しいものを自分で作ればよいのです。

 

宗祖の志や意図がどこにあったかを検証するためには、厳格な史実ベースの研究が必要不可欠だと私は考えています。史実の宗祖が何を考え、何をしたかったのか。この部分を見誤った瞬間から、宗教は分裂と紛争を繰り返し、安定後は堕落します。

 

難しいのは、多くの宗教が、先行宗教の発展の上に成り立っているという事実です。一つの宗教を検証する行為が、他宗教の検証をも必要とします。そして、古い年代の宗教には、いつ、誰が編纂したか不明な経典が沢山あります。始まりを求めても終わりは見つかりません。必ずどこかで推測が混じります。

 

日蓮に関して言えば、日蓮自身が法華経(天台智顗の法華経解釈‐智顗の文章のいくつかは弟子章安のオリジナルとも言われる)の再解釈、日蓮正宗日蓮宗日蓮の再解釈と評価することもできます。解釈に解釈を重ねた存在です。法華経含めあらゆる宗教が、先行宗教の再解釈と言えるかもしれません。

 

自然科学などの学術分野も同じで、先行研究の上に新発見を重ね発展してきました。全てがオリジナルなどあり得ません。全くの無から何かを作り出した人物はいないのです。誰が言った(書いた)以上に、何の為に言った(書いた)か。言った(書いた)ことは、今役に立ちそうか、宗祖の志に合致しているか。この部分が大事だろうなと、今は考えています。

 

 

池田大作は創価学会の中心にあらず

創価学会の中心者は池田大作であると考えられています。確かに、創価学会は池田中心ですが、実務上の権限はすべて現役の会長、今では原田会長が保有しています。池田は、1979年以降、創価学会の中心でありながら中心ではありません。

 

創価学会の現役の会長、それは会則や学会本部の規定に後ろ盾された、実務上の「権力者」です。判りやすく言えば、現役の会長は、会社の社長にあたります(名目上、創価学会は会社ではありません)。創価学会というシステムのトップです。

 

では、名誉会長である池田は、実務上の権力(権限)を何か持ち合わせているのか?

 

そんな物は存在しません。池田大作創価学会の会長を辞任させられた後、実務上の権限を持っていません。池田大作に、実務上の権力が存在していたのならば、会長辞任後、学会本部に入れない、自分の部屋がない、機械室で仕事をするなどという事は起きないでしょう。

 

 

池田大作は、2001年9月25日の毎日新聞のインタビューにおいて、以下のように答えております。

 

 

北村(インタビューアー)「創価学会は70年を超えました。今、創価学会はどういう段階にあるのでしょうか。長年、指導者の立場にある点をどうお考えですか。」

 

池田大作「ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤が出来上がったと見ています。当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。とともに、皆に責任を持たせ、青年を育てていかなければ、どんな団体であっても安定と発展、持続はできなくなるものです。独裁などあり得ないし、時代遅れです。学会の運営は、役員会議・中央会議などを中心に、民主的にみんなの意見を最大に尊重して行っています。会議も私があまり出ると皆が遠慮してはいけないと思い、原則として出ないように心がけています。」

 

岩見(インタビューアー)「何か新しい独裁みたいな感じもしますが。(笑)」

 

池田大作「どう見られても、私は構いません。全部、自由ですから。ただ、私も名誉会長として、会則通りに働いています。独裁であれば人は育ちません。世界にも開けません。独裁は臆病です。必ず滅びます。」

 

 

 

創価学会のHPには、創価学会の会則が掲載されています。その中で、名誉会長に関する項目は、以下の一文です。

 

(名誉会長)

第8条 この会は、総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる。

 

創価学会の会則条項において、名誉会長に関する記述はこれだけです。 一方、会長の方はどうかというと(9条以降に会長に関する会則条項が続くので一部を抜粋して載せます)、

 

 (会 長)

第9条 この会に、会長を置く。

(地 位)

第10条 会長は、「三代会長」を継承し、その指導および精神に基づき、この会を統理する。

(教義・化儀の裁定)

第11条 会長は、教義および化儀を裁定する。この場合、師範会議および最高指導会議に諮問するものとする。

(会務の執行)

第12条 会長は、次に定める会務を行なう。

1) 御本尊に関する事項を司る。

2) 儀式行事を主宰する。

3) この会則の定めるところにより、理事長、主任副会長、副会長等を任免する。

4) 総務会を招集する。

5) 会則の改正を公布する。

6) 前各号のほか、この会則およびこの会の規程で会長の権限と定められている事項ならびに他の機関の権限に属さない一切の事項

 

 

創価学会の会則は、会長に多くの権限が集中していることを示しています。ほとんど全権を把握していると言ってもいいです。それは会則に従う限り、名誉会長である池田は、現役の会長の最終決定を受け入れるという事です。

 

会則上、名誉会長である池田には実質的な権限はありません。会則に従うならば、創価学会の現役の会長は、名誉会長である池田よりも遥かに強い権限を持っています。会長の意思が、組織としての創価学会の方針を決定します

 

池田大作には1979年以降、実務上の権限はありません。しかし、会員が教義よりも法主よりも池田大作を見ていたので、多大な影響力を保持し続けました。池田大作に頼らなければ創価学会を機能させることが出来ず、周りの側近幹部は池田を無視できませんでした。池田の方も、復活(復権)に向けて、積極的に現場会員の中に入っていきました。

 

池田は会員からの強烈な支持を武器に、周りの幹部を間接的にコントロール、牽制していました。池田から敵と認定されれば、多数の会員を敵に回し、創価学会に居場所が無くなります。幹部にとってこれほど怖いことはありません。実際、会員は深く考えることなく、池田から敵と認定された人物を憎み、罵しってきました(非難されるに値するしょうもない奴も確かにいましたよ)。

 

今は、池田が表に出なくなった(会員に直接意思を示さなくなった)おかげで、原田会長とその仲間を中心にした、池田の名を借りた管理体制が完成しました。ようやく指揮系統が、会長一本にまとまりました。「池田の意思」と言ってしまえば大半の会員は従うので、信濃町にとっては非常に都合が良いです。その上、池田大作の息子、C1こと池田博正氏が、父(永遠の師匠)の権威の保証人かつ宣伝人になってくれています(池田博正氏の本心がどこにあるかは不明です)。

 

 

選挙活動の思い出(投票率報告)

私自身の選挙活動の思い出を一つ話します。と言っても、公明党や政治に関しては当初より一般的な創価学会員とは別の意見、感覚を持っていたので、そこまで熱心に選挙活動をしたことはありません。選挙活動をしていたモチベーションも、親族に公明党の地方議員経験者がいたからです。

 

私が初めて創価学会関連で選挙活動に参加したのは、18歳の時でした。当時は、選挙権は20歳からなので、未成年の状態です。

 

当時私は、学生部と言う創価学会の学生組織に所属していました。簡単に言うと、18-22歳くらいの学生が、同じ宗教団体に所属している(創価学会)という理由で、定期的に集会を開く組織です。集会を開くだけでなく、そこで打ち出された内容を各々の学生が遂行します。選挙で電話したり、折伏(勧誘活動)したり、だいたい組織からの打ち出しで行われています。本人が自発的に行う場合もあるのですが、会合での場の圧力、志願制(空気読もうね)的な部分もあります。熱心な人は能動的に、勝手に活動します。

 

私は当時、創価学会に逆らうと罰が当たるという非常に残念な考えの中に居ましたので、何とか活動を好きになろうと努力していました(結局、心の底から創価学会を好きになることは一度もありませんでした)。参加すると功徳が貰えるとかそういう気持ちもありました。活動することが集団内での評価につながるという俗っぽい感覚もありました。

 

選挙期間中(参議院選挙)のある日、普段から真面目に会合に参加していた私は熱心な活動家の卵だと思われたのか、ある学生部の先輩から連絡を貰いました。「1時にある会議室に集合してほしい」こんな感じのメールが届きました。

 

指定された時間に会議室に行ってみると、幹部数名(25歳くらいの大学職員)と20人前後の学生が集まっていました。

 

集められた学生は全員未成年でした。選挙権はありません。軽くお互いに自己紹介をした後、幹部の人は、それぞれの学生の交通手段を尋ねました。で、幹部の人は集まった学生に指示を出しました。「選挙日当日の投票率の推移を各投票所で随時聞き取って報告してほしい。どこの地域の投票率が足りない把握したい」

 

今考えてみると、これは学生部組織直接の指示ではなく、四者(壮年部、婦人部、男子部、女子部)が学生部組織に与えた指示だったと思います。地域の投票所の投票率が関係するのは、地元組織、つまり四者(壮年部、婦人部、男子部、女子部)の組織です。地元に密着している創価学会の組織ならではの発想です。票に絡まない暇な未成年を使い地域の投票率を把握することで、投票当日の選挙活動を効率的に行いたかったのでしょう。投票日の選挙活動は禁止されていますが、創価学会は「投票への感謝」を伝える電話(「確認」「念押し」の連絡です)を行います。

 

私は指示通り、選挙日当日の投票率を、2時間おきに、朝9時くらいから投票終了直前まで、学生部の幹部に報告し続けました。小学校卒業後に、小学校のベンチで休日を過ごすというレアな体験をさせてもらいました(私の担当投票所が下宿から少し離れて居たため、投票所の小学校敷地内で読書していました)。

 

法律で未成年の選挙活動は禁止されていますので、今考えるとなかなかグレーゾーンの行動でしたね。選挙活動(投票の呼びかけ)は駄目ですが、それ以外はどの様に規定されているのでしょうか。

 

創価学会の組織的な選挙活動は様々な点から議論の対象になります。その辺のことも適宜話せたらと思います。