蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

創価学会の推移と考察(Ver1.0)

私から見た簡単な年表を作りました。順次アップデート予定です。間違い等あれば指摘してください。何かの参考になれば幸いです。

 

 

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補足

小樽問答の表記が違っていたので、画像差し替えました。

「創価学会の平和思想」に関する本質的な課題

結論から言いますと、日蓮を根本に「平和思想」を展開するのは困難です。困難であると同時に不毛です。

 

以前にも指摘しましたが、日蓮の残した文章にはかなり過激な文言が残っています。

 

建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」 

(撰時抄)

 

「涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う」

(守護国家論)

 

撰時抄には真筆が現存し、守護国家論もかつて身延に真筆が存在していたと言われる信頼のおける文章です。日蓮という人物は、積極的な殺生や殺戮を推奨しないまでも、武力行使そのものは否定しない人物でした。

 

日蓮自身、護身を目的に帯刀していたと推測されています(あくまでも推測です)。日蓮と刀に関する文献としては、「善悪二刀御書」がありますが、真筆は存在しないようです。身延に入山する際に「数珠丸」という刀(重要文化財)を護身用に所持していたとされていますが、日蓮自身は言及していません。

 

弟子の日興は日興遺誡置文において、

 

「刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事」

 

と残しているように、正当防衛 (仏法守護)の為の武力行使を肯定しています。

 

池田名誉会長はスピーチの中で該当する日興遺誡置文を以下の様に解説しています(1992年、関西最高会議でのスピーチ)。

 

「この条目について、日亨上人は「ある一時的のもので、戦国時代物情騒然たる時の自衛のための武器である」と仰せになっている。私どもは「仏法守護の為」と記された日興上人の厳たる御心を拝さねばならない。いかなる危険な状況のなかでも、「仏法を守る」ためには命を惜しんではならないのである。その意味で、社会の荒波に身をさらし、広布開拓の最前線で、大難を受けながら、仏法を守り抜いてきた学会こそ、この御遺誡の心の実践者なのである。反対に宗門は、学会の「仏法守護」「外護の実践」に甘えに甘えて、腐敗した。「仏法守護」の心など、かけらもない。あるのは「保身」だけである」

 

刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事」という文章から、

 

いかなる危険な状況のなかでも、「仏法を守る」ためには命を惜しんではならないのである。その意味で、社会の荒波に身をさらし、広布開拓の最前線で、大難を受けながら、仏法を守り抜いてきた学会こそ、この御遺誡の心の実践者なのである」という解釈を導き出すのは中々に無理があるのではないか。

 

日蓮、日興の思想を「鎌倉時代の日本」という時間・空間的な制約によって生じたものとして現代風に解釈することも出来ますが、限度があります。更に言えば、時間・空間的な制約を理由にしてしまうと、時代や場所に依存して「平和思想・平和主義」の解釈が変更され得ることを認めることになります(今の創価学会には都合がいいかもしれませんが)。

 

そもそも、平和思想、平和主義に比重を置いて先行さるならば、敢えて日蓮(場合によっては法華経)に拘る必要がありません。

 

池田名誉会長は日蓮(と法華経)を一般化、現代化させる過程で「人間主義」「平和思想」との融合を進めましたが、「人間主義」「平和思想」を最重要視するならば、日蓮固執する利点は特に無いのではないか。700年以上前の人物の思想を現代風にモディファイすることに、組織防衛以上の価値があるのか。

 

私は特に、日蓮に信仰的な価値を見出している人物が平和思想を推進することを否定しているわけではありません。私が言いたいのは、敢えて両者をリンクさせる必要は無いのではないかということです。

 

日蓮(とその先に法華経、その他経典)の21世紀における価値創造を、現代的な思想との迎合によって成し遂げる必要性は特にないと考えています。

 

現在の創価学会の存在意義を問いただすことになりますが、創価学会が今後も何らかの価値を提供できる組織として存続したいのならば、「創価学会の平和思想」が抱える宗教的な課題に対して、深く思索する必要があると私は考えています。「平和思想」に限らず「人間主義」に関しても同様のことが言えるでしょう。

 

 

補足

池田名誉会長のスピーチ部分は、冊子に印刷されたバージョンを所有していますが、非売品です。池田大作全集に収録されているかどうかは把握しておりません。

 

日興遺誡置文には真筆がありません。これは創価学会にとって大きな課題のはずですが、触れられることはありません。散々利用してきましたから……

 

不透明な平和思想

今回は、池田名誉会長の平和思想に関して思うところを簡単に述べます(具体的な内容、書籍や提言の真偽性・有効性等には言及しません)。

 

池田名誉会長の思想性は、提言や書籍からだけでなく公明党の動向からも考察出来ますが、公明党の政策に池田名誉会長がどの程度口を出し、影響力を行使してきたのか、今の私は判断に迷っています。

 

以前紹介したように、池田会長(当時)と公明党委員長(竹入氏)は随分早い段階から仲違していました。一方で、矢野絢也公明党委員長の書籍には、池田会長(名誉会長)からの政策干渉が「側近幹部を介しての指示」「公明党の頭越しに自民党と話をする」等記載されています。

 

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時節と政策毎に干渉の有無・度合は違ったかもしれませんが、少なくとも、創価学会(池田会長)=公明党の図式が常に成り立っていた訳ではない事は確かです。

 

米国公文書にも(年代によりますが)、「公明党の政策に池田会長が大きな影響を与えている」と米国側が考えていることが示されています(池田会長と米国のダイレクトな政策論議は確認できていません)。

 

以前紹介したように、現会長の原田会長は直接的に米国と安全保障に関する議論を行っています。その内容からは、公明党代表(山口氏)以上に“積極的平和主義”に前向きであることが伺えます。

 

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原田会長の政治介入が池田名誉会長の指示のもと行われていたのだとすれば、池田名誉会長は“二枚舌”の誹りを免れないでしょう(種々の提言等から推察するならば、池田名誉会長が自衛隊の海外派遣・活動範囲の増大に積極的に賛同するとは思えません)。また、公明党は自立させるという言葉も嘘になります。

 

提言や書籍に書いてあることが池田名誉会長の本心であると仮定した上で池田名誉会長を肯定的に捉えれば「信仰者として考えていることを、自身の持つ政治的影響力が悪影響を与えない範囲で平和提言にしている」「現実的な課題と理想的な平和主義の間でバランスをとっている」「現実問題に対処する上で必要あらば公明党に干渉する」と評することが出来るでしょう。

 

逆に池田名誉会長を否定的に捉えれば、「平和提言は建前」「信仰者としての意見と政策議論のダブルスタンダードに負い目が無い」「支持団体のボスとして公明党に干渉するが支持者にそれを公表しない」という見方も出来ます。

 

多くの創価学会員には受け入れがたいと思いますが、「提言や書籍に書いてあることは全部嘘」「平和主義は組織防衛の為に体裁を整えただけで、その思想に何の価値も見出していない」「池田名誉会長に信仰心は無く、政策議論も公明党を存続させるため」という可能性もあります。

 

一人の人間を全肯定or全否定で捉えることは危険な(愚かな)ことですので、「池田名誉会長も時代と共に考えを変化させた」「試行錯誤の中で揺れてきた」「信念はあったがブレもあった」「失策もあれば筋を通すこともあった」と各々のトピック毎に判断するのが妥当かもしれません。

 

池田名誉会長の平和思想と公明党の乖離。これは様々な立場の方が批判の対象にしますが、公明党の政策決定構造(池田名誉会長の影響力)がはっきりしない限り、判断するのは難しいかと思います (年齢・健康問題を考慮すれば、現在、池田名誉会長が公明党の政策に影響力を行使している蓋然性は低いです)。

 

具体的な内容や会員内部での認識を議論する以前に、池田名誉会長の平和思想には判断し辛い「不透明な部分」が存在します(「不透明な部分」がいずれクリアになるかは分かりません)。

 

次の投稿では「創価学会の平和思想」に関する本質的な課題について言及したいと思います。

世界広布は進んでいない(SGI-USA会員の大幅な減少)

日本の創価学会組織が衰退傾向(会員数の減少)にあるのは地域を見渡せば感覚で分かると思います。地域に何人未来部が居るか?新入会者が何人いるか?未来部員や新入会者の顔は明るいか?少し気にかければ、現在の創価学会の状況を認識できるかと思います。

 

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では、海外組織(SGI)は実態としてどうなのか。会員数が頭打ちの日本と違って進捗傾向にあるのか?それとも停滞しているのか?

 

噂話はともかく、実際の会員数が情報として流れてくることは殆ど無いので、現実的なSGIメンバーの趨勢を把握している方は少ないのではないかと思います。

 

1976年、聖教新聞社から細谷昭(当時の国際センター事務局長)名義で発刊された書籍に「世界の宗教 日蓮正宗創価学会」というものがあります(細谷氏はその後副会長になりましたが、現在の動向は分かりません)。

 

「世界の宗教 日蓮正宗創価学会」には、当時の海外メンバーの人数が国別に幾つか記載されています。具体的なメンバーの数が記載されるのは近年では珍しくなりましたが、当時は上り調子だったからか、気前よく数字が記述されています。

 

そこでは、NSA(日蓮正宗創価学会アカデミー)、今でいうところのSGI-USAのメンバーが約23万人と記載されています。

 

1976年当時の23万人という数字がこの40年間でどう変化したか。アメリカでの例に過ぎませんが、海外における創価学会組織の動向を考える上で一つの指標になるかと思います。

 

1976年と比較するために、現在のSGI-USAの会員数がどの程度なのか様々調べてみましたが、創価学会のHP等からは、信頼できる数字を発見することは出来ませんでした。

 

国内会員数の表記を、827万世帯から変動させない(どう考えても多すぎる)今の創価学会では、当たり前の行為かもしれません。信濃町がまともな数字を公表することは殆どありません(選挙結果くらいでしょうね)。

 

そこで何かヒントになるような文章は無いかと探していたところ、以下の文章を発見しました。http://www.iop.or.jp/Documents/0010/machacek.pdf

 

タイトルは「Soka Gakkai in America: Supply and Demand of SGI(2)」です。邦訳すると「アメリカの創価学会―SGIにおける供給と需要(2)」となります。

 

リンク先アドレスからも分かるように、東洋哲学研究所の英語版HPが親元となっています。調べたところ、David W. Machacekという宗教研究者の方が行った講演内容を、Journal of Oriental Studies(東洋学術研究)という東洋哲学研究所が発行している研究誌に掲載したものでした(掲載年は2000年)。

 

探したところ、日本語翻訳版もありましたので、以下リンクを貼り付けておきます。

http://www.totetu.org/assets/media/paper/t145_168.pdf

 

Machacek氏の調査によれば、アメリカにおける活動家メンバーの数は約3万6000人だそうです(学会出版物を予約購読している人数と、調査回答者の世帯あたりの平均人数を基に計算しているそうです)。

 

東洋哲学研究所発行の雑誌に掲載されているので、信頼のおける数字(少なくとも学会側が大きく否定できない)であると考えてよいかと思います。敵対他宗や、週刊誌が報じている内容ではありません。

 

この講演内容が雑誌に掲載されたのが2000年なので、調査結果は2000年付近の数字だと思いますが、1976年の23万人から大幅にその数を減らしています。1976年当時の15%にまでメンバーが減少しています

 

アメリカにおける創価学会員は、25年の間に嘗ての15%にまで数を減らしていた。活動的でない会員や、多目的な会員(他宗との掛け持ちだろうか?) 、入会したての会員は3万6000人の中にカウントされていないとのことですが、それでも驚くべき減少です (Machacek氏は、SGI-USAメンバーは現在も増加しつつあると推測していますが) 。

 

以前、噂話程度で、SGI-USAが大きく会員数を減らしていると聞いたことがありましたが、ここまで酷い状況になっていたとは思いませんでした。

 

文章の中には「アメリカSGIは発展と衰退のサイクルを経験して、長期にわたる発展が長期にわたる衰退より勝っていた」とありますが、一度大きく発展し、その後大きく衰退したと考える方が自然です。

 

恐らく、二度にわたる宗創問題に関連して現地で何かあったのでしょう。1976年に報告されている23万人が水増しされていた可能性も勿論ありますが、それにしても余りに大規模な後退劇です。

 

2000年から17年ほど経ちましたが、23万人の規模(1976年の状態)に回復しているとは考え辛いです。宗教的無関心が増えるアメリカで、17年間で3万6000人から5倍以上の拡大を達成するのはかなりの困難が予測されます。

 

一例に過ぎませんが、世界広布なるものを標榜している創価学会は、国内組織だけでなく、アメリカにおいても大きな打撃を受けていた。世界宗教なんて夢のまた夢です。

 

他の地域の具体的な状況は今のところ分かりませんが、具体的な数字を発表しない辺り、他のSGI組織も「一度大きく発展し、その後大きく衰退」している可能性があります。

 

人数が多ければそれで良いとも思いませんが、日本における創価学会の現状含め、そろそろ本当の話をすべきではないかと思います。

 

議論をする前に

2014年に行われた創価学会の教義会則変更に疑問を抱いている、あるいは反対している学会員は少なからず存在します(無関心な会員の方が圧倒的に多いですが……)。疑問を持つ方、反対の立場の方、少なからず存在しますがその理由は様々です。幾つか列挙してみますと、

 

  • 大御本尊を除外した
  • 会則変更の説明に矛盾・欠陥を感じる
  • 池田名誉会長の意思に反している
  • 会則変更に関連する本部周辺の動向を受け入れられない
  • 会則変更に関連する末端組織の動向を受け入れられない
  • 近年の創価学会の動向全般に疑問を抱いていた(会則変更がその象徴に感じられた)
  • これまでの主張と矛盾する(自語相違、過去の活動の否定)
  • 中途半端な変更(遺文解釈や日蓮研究に対する妥協)

 

等があると思います(重複して抱いている人もいるかと思います)。

 

私は、文献学の成果を取り入れること、これまでの創価学会の認識間違いを指摘すること、自語相違を批判すること、池田名誉会長の発言を批評することに何の抵抗もありません。また、信濃町および学会組織を特に愛していません。

 

私のスタンスは私のものとして、他の会員が様々な拘りを持っていることを否定しません。むしろ、今まで熱心に信仰してきた会員が今回の会則変更に疑問や拒否感を示すのは自然なことだと思います。

 

宗門と縁を切った時もそうですが、創価学会が会員を混乱させた原因の一つは、教義研鑽・教学研究を閉じた場で行ってきたからです。広宣部等の他宗対応部隊が、隠れた存在だったのもその為です。

 

元々、情報の遮断は会員を混乱させない為の手段だったのですが、インターネット等の情報閲覧・拡散手段の発達により、それまで伏せていた情報が流れる様になってしまいました。

 

また、教学関係者同士の主張の違い、反目も大きな影響を与えています。教学関係者の意見の相違を抑えていた(コントロールしていた)のが池田名誉会長だったのですが、昨今の健康問題から影響力が低下したと考えられます。

 

そこにきて、信濃町内部での派閥争いが教学関係者を巻き込んでしまったが為に、2014年のキメラ教学が誕生することになってしまいました。

 

教義変遷の背景、論者の立場、議論の前提条件、テーマにしたい論点。インターネット空間含め、議論する際には、考慮すべきことが幾つかあると思います。それ等を無視して話をすると、お互いの拘りをぶつけるだけの喧嘩になってしまうでしょう。

創価学会の独自教義

一つ前の投稿において、「今後の学会が独自の教義を持つべきかお聞かせ願えれば幸いです」というコメントを頂きました。コメント欄で返信するには文章が長くなり過ぎたので、この場で返答したいと思います。

 

以下、「創価学会の独自教義」をテーマに、私が考えていることを書きます。

 

まずは創価学会日蓮正宗(大石寺)周辺に限定して話をします。ここでは日蓮には触れません。

 

以前の投稿においても指摘しましたが、元々、創価学会日蓮正宗(大石寺)の教義は厳密には一致していません。教義が一致していなかったという表現は少し過剰な書き方かもしれませんが、教義解釈・運用において一致していなかったのは事実です。

 

創価学会は、初代会長は価値論をベースに日蓮正宗の教義を解釈し、戸田二代会長は生命論を語りました。第三代の池田会長は、日蓮仏法を人間主義や平和主義等の現代思想に結び付けて解釈しました。

 

日蓮正宗においては、文字曼荼羅=法本尊、日蓮御影=人本尊としてきた歴史があります。日蓮=大御本尊、各人が拝する曼荼羅本尊は大御本尊の分身散体、曼荼羅本尊=人法一箇の本尊という戦後の創価学会日蓮正宗が掲げてきた教義解釈が一般的になったのは、戸田会長以降です。

 

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日蓮に言及するまでもなく、創価学会は、独自の教義解釈を展開してきたと言えます。化法、化儀という観点から大きな変更はなかったと考えることもできますが、教義の解釈・運用形態には、日蓮正宗を含め、一貫性はありませんでした。

 

確かに創価学会日蓮正宗の在家信徒団体として誕生し、表面的には日蓮正宗の教義を踏襲していました。しかしながら、大石寺の歴史、日蓮正宗の教義解釈の変遷、歴代会長の振る舞い等を考えると、両団体は誕生当時から独自の教義を保有(あるいは解釈・運用)していたと考えてよいと思います。

 

大石寺周辺(日蓮正宗という呼び方が使われるのは1912年前後から)の教義・教義解釈に一貫性があったかどうかもかなり疑わしい状態です(例えば文献学的に信頼できる文章からは、日興が大御本尊や日蓮本仏論について直接言及している文章は確認されていません)。

 

「日興以降連綿と続いてきた一貫性のある教義を創価学会日蓮正宗は共有していた」という主張は、様々な点から否定されています。つまり、創価学会日蓮正宗も、最初から「独自教義」の状態に近かったということです。

 

次に、日蓮にまで範囲を広げて言及します。多くの方が指摘している様に、当時の情報量の制約から、日蓮には歴史的事実に対する幾つかの認識間違いがあります。釈尊の生没年代、経典の成立過程に対する認識等です。また、日蓮法華経(大乗)を釈尊の直説であると認識しています。

 

現在の創価学会では、歴史学の成果を踏まえ、大乗非仏説(大乗非直説と書いた方が適しているか)を受け入れています。また、釈尊の生没年代についても、日蓮とは異なり、おおむね現在の定説を踏襲しています。この辺りの事は「法華経の智慧(1995年、大白蓮華掲載開始)」や「教学の基礎(2002年発刊)」に記載されています。

 

また、第一次宗創問題のゴタゴタで無かったことにされていますが、1974年発刊の「私の仏教観」の中で、池田会長(当時)は、法華経釈尊の直説でないことを認めています。

 

2014年の教義会則改定に関係なく、創価学会日蓮の文言を超えた解釈を運用しています。

 

更に突っ込んで話をします。日蓮は現代の民主主義では受け入れ難い様な思想を幾つか残しています。例えば撰時抄には「建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」とかなり過激な思想が見られます。

 

追加で書くと守護国家論では、「涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う」と涅槃経に言及しながら、ラディカルな発言を残しています。

 

撰時抄には真筆が現存し、守護国家論もかつて身延に真筆が存在していたと言われる信頼のおける文章です。この様な現代においては受け入れ難い、少なくとも文字通りには受け取りがたい日蓮の思想を、創価学会は引用しません。引用するにしても、現代的にアレンジして引用します。

 

日蓮が文字に書いた以上のことを検討する行為は、日蓮を超えた行為と捉えることが出来ます。どの遺文に重きを置くか、遺文の真意は何かと複数の遺文を比較検討する行為は、事実上、独自の宗教(あるいは信仰を)を創るのと同じです。本当のところは日蓮しか知らない訳ですから。

 

私は、「宗祖が存命でない宗教団体は、いずれ独自の教義解釈・運用をするようになる」と考えています。それは時代の変化に対応する上で必要不可欠な行為です。

 

既に創価学会は独自の教義解釈・運用をしているし、これまでもそうしてきた」まずはこの事実を認識する必要があるかと思います。

 

上記の認識に基づいた上で、創価学会が独自の教義を持つこと」に私は賛成です。と言いますか、独自の教義を持たざるを得ないと考えています。

 

 

補足

史実の釈尊、経典の翻訳過程、中国における仏教の発展、最澄と日本仏教の関係等。話を広げるとキリが無いので、創価学会日蓮正宗(大石寺)、日蓮に限定して記述しています。

第二次宗創問題の裏で(宮田教授のHPより)

創価大学の宮田幸一教授のHPを読んでいたら、興味深い記述を発見しましたので紹介したいと思います。日本語のHPであり、宮田教授のHPにアクセスすれば誰でも読める文章ですので、以下一部だけ紹介します(文中の「私」とは宮田教授のことを示しています)。

 

「それがどういう事情かはいまだによく分からないが、第二次宗門問題が生じた。その問題が生じてまだまもない翌年の1月に、創価学会の組織センターの幹部であった東大の先輩から、日蓮正宗の僧侶と新宿の居酒屋で会うから同席して欲しいと言われ、私と中野毅が同席した。そのときの会談の相手は現在教学部長をしている水島公正であった。水島は第一次宗門問題のときは、創価学会批判の中心人物の一人であったが、阿部日顕創価学会攻撃中止命令を出したとき、自分が出家するときに世話になった師匠から、本山の法主を護るようにという遺言があったため、理としては納得できないが、法主には従うという趣旨の弁明文を『大日蓮』に掲載して、その後正信会とは分かれた経緯を持っていた。

 会談の始め頃に、水島は思い出話を始め、僧侶になりたての若い頃、創価学会の青年部と一緒に折伏活動をしたことを懐かしそうに語り、言外に創価学会との争いはできれば避けたいという寺持ち住職としては当然の意志を示した。そこから話は本題に入り、一体日顕上人はどこまでやるつもりかということを、情報収集を任務としていた先輩幹部が尋ねた。すると水島は自分にもよくわからなかったので、正月になってからある会合で日顕上人に、今回のことは教導が目的なのか、それとも別の意図があるのか、と質問したら、日顕上人から、お前が何をとぼけたことを聞くのか、という顔をされたので、これは本気だなと思ったという話をした。(このときには日蓮正宗にC作戦があったということは知られていず、水島もそれには関与していなかったと思われる。)私も中野もできればどこかで手打ちをしたいのだが、その可能性があるだろうかと尋ねると水島は両方のボスが先頭切って戦い始めたら誰にも止められない、創価学会でもだれか池田名誉会長を止められる人がいますか、所詮創価学会も宗門もボスが右向けといったら、私もあなたも右向くしかないでしょうという趣旨の話をした。なおも私は食い下がって、江戸時代には法主でも法義に反して造仏をした人もいたでしょうと『随宜論』を持ち出したが、水島は、あれは単純にそうは読めないという趣旨の話をして、『随宜論』に関しては論争する意志があることを匂わした。7時頃から始まった会談も終わったのは12時近くになり、私は終電もなくなり、幸い多摩センターまでの高速バスがあったので、それで終点まで行き、その後30分ほど冬の寒空を仰いで、まだ理論的準備も整っていないのに、日蓮正宗と戦争するのかという、暗澹たる気持ちで、歩いて帰ったことを思い出す。」

http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper20-1.html

 

 

末端の会員と法華講員が、血みどろの戦いを繰り広げることになる直前、創価学会の教学関係者(宮田教授、中野教授)が宗門の幹部(後に教学部長になる人物)と会談を行っていたとは。しかも両サイド共「できれば争いたくない」という想いを抱いていた。

 

宮田・中野両教授は、東洋哲学研究所の関係者であり、学者という立場です。彼等が創価学会日蓮正宗の戦争を望まなかったのは自然なことだと思います。教義論争の危うさと社会的なインパクトの大きさから、紛争が両団体を疲弊させることを予見していただろうからです。

 

また、末端会員とは信仰に対する態度や感覚も違ったことでしょう。冷静な学者としてのスタンスが末端の熱狂的な会員と一致しないのは頷けます。現場の活動に邁進する末端会員と、知的作業で創価学会を支える知恵袋幹部では、見ている風景が違ったと。

 

日蓮正宗の水島氏も中々興味深い発言をしています。日蓮正宗の僧侶ならば「先頭を切って」創価学会との闘争を宣言してもよさそうなものですが。日蓮正宗側においても、冷静な判断の出来る人は、そこまで創価学会と戦う気はなかったということでしょうか。

 

さらに突っ込んで言えば、話題にしている『随宜論』とは17世日精の仏像造立問題に関連するが、この時点で創価学会側、日蓮正宗側の解釈は異なっています。それでいてその場で本気の教義論争はしない。本来、信徒側の創価学会が違う解釈を述べているのだから「教導」する必要があるのだが……

 

この会談から数年後、信徒同士が遺文召喚バトルを熱心に繰り広げることを考えれば、なれ合いとも妥協とも取れます。両陣営の教学関係者からすればその程度の感覚だったということでしょうか。

 

水島氏が発言したとされる「両方のボスが先頭切って戦い始めたら誰にも止められない、創価学会でもだれか池田名誉会長を止められる人がいますか、所詮創価学会も宗門もボスが右向けといったら、私もあなたも右向くしかないでしょう」という内容は、現実的にはその通りだったのかもしれない。

 

しかしながら、その後の創価学会日蓮正宗の末端信徒同士の血みどろの紛争を考えると、余りにも空しい。末端信徒が非難の応酬をしている中で、教義的な問題の中心人物の何人かは紛争そのものを望んでいなかった。宗創問題でいくつの人生が滅茶苦茶になっただろうか。

 

以前の記事でも述べたように、私は創価学会日蓮正宗は分離する運命にあったと考えていますが、もう少しマシな別離の仕方があったようにも思っています。その可能性を破壊した一人が山崎正友なのかもしれませんが……

 

現在の創価学会では、日蓮正宗との闘いは池田名誉会長を中心に皆が望んだこととされています。しかし実態は違うのでしょう。それぞれの立場で思うところはあったが、ボスの意思と末端会員の熱気に押された。日蓮正宗の方も、日顕氏はともかく、創価学会との紛争を望まぬ者もいた。

 

今もなお、創価学会活動家と日蓮正宗法華講員は様々な場所で教義論争、遺文召喚・解釈バトルを繰り広げていますが、両団体の教義関係の幹部陣の何人かはそもそも紛争に否定的だったことを記憶しておくべきでしょう。上は元々そこまで熱心ではなかったのだと。

 

 

補足

引用した部分以外にも興味深い記述があるので、別の機会に紹介するかも知れません。