蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

池田名誉会長の大御本尊観(2002年以降)

2002年(前回の教義会則変更)以降の、池田名誉会長の大御本尊観について記述します(考察・解釈の提示であって、私自身の信仰観を主張している訳ではありません)。

 

以前にも少しだけ触れましたが、大御本尊(と日蓮の出世の本懐)について池田名誉会長が直接言及した最新の文献は、私が確認した限り「御書の世界」です。

 

「御書の世界」は、2002年の教義会則変更に呼応して大白蓮華上で連載された対談集です。

 

日蓮の生涯と日蓮遺文(御書)について、2002年の教義会則変更に適合した説明・解釈が対談形式で掲載されています。

 

参加者は、池田名誉会長、斎藤教学部長(当時)、森中副教学部長(現教学部長)の三名です。

 

書籍化された「御書の世界」は全三巻ですが、三巻の後半部分で、池田名誉会長が大御本尊と日蓮の出世の本懐について言及しています。以下、引用します。

 

 

名誉会長

大聖人が「聖人御難事」を認められ、出世の本懐を遂げられることを宣言されたのが、十月一日です。法戦の全魂の指揮を執られながら、一方で大御本尊御建立の準備をしていかれたと拝せられる。

 

斎藤

広宣流布の激闘のなかで大御本尊を建立された、ということですね。

 

名誉会長

広宣流布に戦う信心強き庶民群の本格的な出現を機に、大聖人は大御本尊を建立されたのです。三年前の建治二年(一二七六年)に表された「報恩抄」に仰せのように、南無妙法蓮華経は万年の未来まで流布して末法の人々を救っていける大法である。しかし、出世の本懐である大御本尊の建立は、それを受持し奉る「不惜身命の民衆」の出現を待たれて実現されたのです。捕らえられた二十人は、信念を揺るがさずに毅然たる姿を示した。このことは、何の力も持たない民衆が、障魔の強大な圧力を信心の力で跳ね返したことを示している。民衆が、仏界の生命を顕し、生命の底力を発揮していくことこそが、広宣流布の根本方軌です。熱原の民衆の深く強い信心は、妙法五字の大光明が、虐げられた末法の人々の胸中を赫々と照らしうることを証明しているのです。

 

森中

末法衆生の「無明煩悩の闇」を払う上行菩薩の使命を継ぐ人、つまり地涌の菩薩が無限に出現することをも証明していますね。

 

名誉会長

そうです。後世の地涌の菩薩のために、広宣流布の大願をこめて顕された大御本尊です。何としても広宣流布を実現していこうという信心がなければ、大御本尊の偉大な功徳は現れるはずもありません

 

斎藤

現在、広宣流布の信心を受け継いでいるのは創価学会しかありません。三代会長の不惜身命・死身弘法の信心に連なった実践のなかにしか大御本尊の功力は現れないと確信します。

 

 

引用した名誉会長の発言内容は以下三点に要約できます。

 

  1. 大御本尊を日蓮が建立した日蓮真筆本尊として扱っている
  2. “出世の本懐である大御本尊の建立”とあるように大御本尊の建立を日蓮の出世の本懐であるとしている

  3. 広宣流布に戦う信心強き庶民群の本格的な出現”が大御本尊建立の契機となったと解釈している

 

「御書の世界」は宗門と縁が切れた後に発刊された書籍です(三巻の発刊は2005年)。上記三点を基に、当時の池田名誉会長の大御本尊へのスタンスをまとめると、

 

“大御本尊は日蓮の出世の本懐であり、日蓮真筆の本尊である。また、大御本尊建立には殉教を厭わないような強烈な信徒群(それも非特権階級の信徒群)の誕生が必要だった”

 

ということになります。

 

以前の投稿にも記載しましたが、大御本尊建立の歴史的経緯について、おそらく池田名誉会長は知っていたはずです。また、こちらも以前指摘しましたが、2002年以降、大御本尊を強調するような指導は殆どなくなりました。

 

「御書の世界」における発言にそれら事情も加味して考えると、池田名誉会長が思い描いていた大御本尊に関する出口戦略は、以下の様なものだったのではと私は推測しています。

 

  • 大御本尊の真偽問題には敢えて立ち入らない(真であることを大前提とする)
  • 大御本尊と明確には決別しない
  • 大御本尊の建立が日蓮の出世の本懐であることは否定せず、大御本尊の建立に民衆信徒の出現が必要不可欠であったこと、その後継者が創価学会であることを強調する
  • 広宣流布実現に向けた信心がなければ大御本尊の功徳は無く、創価学会が唯一の広宣流布実行団体であると宣言することで、「大石寺所有の大御本尊」という概念を無効化する
  • 大御本尊建立に至る必要条件と大御本尊が「正しく」機能するための必要条件を再評価することで、大御本尊と決別することなく、出世の本懐を変更することもなく、大石寺及び、日蓮正宗創価学会時代と距離を置く

 

往年の会員、先代の会長陣、日蓮正宗創価学会の履歴、池田名誉会長の過去の発言を考えれば、大御本尊を真偽という観点から否定することは勿論、受持の対象から外すことも、本来ならば致命的です(殆どの会員は興味を示すこともありませんでしたが……)。

 

実際、「御書の世界」の発言からは池田名誉会長が大御本尊を受持の対象外にするとは読み取れません。嘗てのように大御本尊をことさら強調する事はないにしても、将来、教団の信仰対象外に指定する“伏線”は読み取れません。

 

聖教新聞の解説によれば、「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」とのことですが、2005年の池田名誉会長の発言からは、空間的な制約によって大御本尊の価値が変わるかのような解釈は確認できません。

 

むしろ最後の斎藤教学部長の発言を考えれば、「何処の地にあろうが信心次第で大御本尊は価値を示す」というのが当時の池田名誉会長の解釈なのではないでしょうか。

 

聖教新聞の解説は、「三代会長の不惜身命・死身弘法の信心に連なった実践のなかにしか大御本尊の功力は現れないのですが、大石寺の謗法に三代会長の信心が敵わず、価値を失いました」ということになるのではないでしょうか。

 

2014年の教義会則変更が池田名誉会長の意向であった場合、池田名誉会長は2005年からわずか9年で、長年の信仰の根幹、自身が「日蓮の出世の本懐」と評価してきたものを信仰対象外に指定したことになります

 

池田名誉会長からは、「文献学的な成果から真偽問題に終止符が打たれ、教義を変更した」等の筋の通った理由は述べられていません。このままいけば池田名誉会長は、「嘘つき・変節漢・無責任」と評価されることになるでしょう。

 

創価学会は2014年の教義解釈変更を経て、長年信仰の中核としていた大御本尊を放棄し、永遠の師匠のはずの池田名誉会長の発言とも異なった解釈を示しました。大御本尊の真偽に触れずとも、日蓮正宗創価学会時代に遡らずとも、創価学会は大きな矛盾を抱えています

 

直接池田名誉会長と対談したはずの森中教学部長は、今の教義が池田名誉会長の意向であると断言できますか?もしそうであるならば、筋の通った解説をして頂きたいですね。教学部長なのですから。

 

 

補足

会則上、教義決定に関する最終責任は現役の会長、原田会長にあります。あしからず。

教義会則変更の片隅で

暫く公明党関係の話題が続きましたが、今回は2014年の教義会則変更に関する話を記事にします。当時私が、本部周辺から聞いた話です(大筋では、教学レポートや遠藤文書の内容と同じです)。時期はあくまでも私が話を聞いたタイミングです。名誉会長等の発言の時期を示すものではありません。

 

私が最初に教学関係の動向を聞いた時、話をしてくれた方が強調していたことは、創価学会の会憲問題でした。会憲の創設によって、より中央集権的な組織になることを危惧している風でした。話を聞いた時期は、2013年末、或いは2014年の初頭だったと思います(教義問題とは別に、公明党の支配者ことS副会長の態度の悪さなども強調されていました)。

 

次に教義変更関係の話を伺ったのは、2014年の夏前後。話をしてくれた方が、「池田先生は、大聖人を上人と、ただの一僧侶とするという方針にNoを示している」「教義を判断できるくらいには体調が安定している」と言っていたのを覚えています。

 

池田名誉会長の健康問題。既に周知の事実と化していますが、2010年以降、名誉会長は少なくとも2回は病気になっていて、2010年以降の体調が一定状態という訳ではないようです。

 

またこの時は、創価学会教学部の実態も聞かされました。教学部といっても教義研鑽に専念しているわけではないこと、中心メンバーが少数であること(10人前後)、講師を読んで他宗の教義や制度の研修を受けていること等を聞きました。

 

本部周辺の方達が話している内容から、「何やら教義関係で動きがあるらしい」ことは感じ取りましたが、その時は、ここまで大きな問題になるとは考えていませんでした。また、私自身の関心もそこまでありませんでした。

 

暫くして、2014年の11月。創価学会の教義会則は変更されました。その少し後、職員関係者の方と会う機会があったので、「教義会則が変更されましたね」と話を振ったところ、「大御本尊が受持の対象から外れた!」と一言目で返してきたのをよく覚えています。

 

当事、「大御本尊」を受持の対象から外すことが創価学会にとってどの様な意味を持っているのか、恥ずかしながら私は良く理解できていませんでした。

 

年が明け、2015年の3月。また縁あって職員関係者と話をする機会がありました。その際は、会則変更をいそがせた中心者の氏名や名誉会長が大御本尊との決別に否定的であったこと等を伺いました。同時に、教学レポートと遠藤文書のデジタル版を譲り受けました。また、反会長サイドで活動している人物(職員)が何名かいることも伺いました。

 

この時期、会則変更に否定的な派閥が森中教学部長を「説得」しようと試みたのですが、彼は動かなかったようですね。

 

創大系の副会長・幹部陣が粛清にあっているという話を聞いたのもこのタイミングでした。

 

私は信濃町の住人ではないので、内部事情を詳しく把握しているわけではありません。あくまで聞いた話です。以下、一連の教義会則変更に関連する話を聞いて感じた事を幾つか箇条書きします。

 

  • 元々閉鎖的な組織だが、重要な事柄は極端にクローズドな環境で決定する。一方、一旦情報が漏洩すると事態を収拾できない。

 

  • 本部職員より、公明職員の方がまだ客観的な視点を残している。

 

  • 信濃町が考えている以上に組織の亀裂は大きい。特に、名誉会長不在で士気が落ちていた団塊世代前後のベテラン会員の一部を面従腹背の状態にしてしまった。アンチでも、冷めた会員でもなく、反執行部の会員を作り上げてしまった。

 

  • 反執行部のスタンスを取る側が、問題を学会の中で収めようとしたため、殆ど何もできずに粛清された。情報を大々的に外部に公開するか、多くの会員が目撃している場で声を上げればまだ効果があっただろう。

 

  • 池田名誉会長と直接会える人物はごくごく限られている。「先生の意向」を確認できる人物は少ない。それでいて、会則上何の権限も無い名誉会長の権威が人を黙らせている。複数代理専制とでもいえるような体制。

 

  • 職員関係者は本音で話せる人が少ない。お互いに、相手が知っていることを探るような態度を示す人が多い。開き直っている人もいるが、大抵アンタッチャブルな立場。

 

  • ある一定以上の幹部はとにかくトラブルを避けたがる。露骨に話題を変えるか、「池田名誉会長が反論しないのだから~」の決まり文句を言う。持論を述べない。

 

  • 会員の大半は、教義なんて興味ない。更に言うと、池田名誉会長の過去の発言にも興味がない。多くの会員は、池田名誉会長を人生の師匠という割に、池田大作の思想性や言葉に拘りがない。

 

 

教義会則変更の片隅で私が感じたこと。無関心こそが組織を動かしている。

池田会長と公明党の関係につて(暫定的なまとめ)

前々回は、竹入公明党委員長の池田会長批判について。前回は、池田会長が公明党の方向性に不満を抱いていたことを、創価学会からの情報としてアメリカ大使館が記録していることを紹介しました。

 

池田会長と公明党の不一致(1975年、竹入公明党委員長の池田会長批判) - 蓮の落胤-創価学会、話そうか

池田会長は公明党の方向性に不満を抱いていた(1975年、創共協定に関連する外交公電より) - 蓮の落胤-創価学会、話そうか

 

記事でも書きましたが、当初調べたかったことは、公明党の安全保障政策の転換理由とその発起人です。端的に言えば、池田会長の指示で公明党は安全保障政策を変更したのかどうかが知りたかったことです。

 

上記疑問のヒントになるような資料が何かないか、日米安保公明党の動向に焦点を当てアメリカ公文書館のデータを探していたところ、公明党の安全保障政策の転換に、矢野元公明党委員長(当時はまだ委員長では無いですが)が重要な働きをしたことを示唆する文章を見つました (いずれ紹介します)。前回、前々回紹介した外交公電は、その作業の途中で見つけたものです。

 

最初は単純に矢野元委員長の該当資料(外交公電)を紹介しようかと思ったのですが、様々な文献を読んでいるうちに、単純に結論付けれそうにないと思ったので、記事にするのを取り敢えず控え、他の資料の検証作業をしています(矢野元委員長の書籍(いわゆる暴露本)にもチラチラ目を通しています)。

 

 

以下、現在までに判明していることを幾つか箇条書きで記します。

 

 

  • 公開されている複数の外交公電からは、池田会長が直接、アメリカ大使館と政治的なやり取りをしていた形跡は見つからなかった(私が今のところ調べた限りでは)。但し、当時の創価学会本部とアメリカ大使館の間には、それなりの交流があった。

 

  • アメリカ大使館側は、公明党の行動を、ある程度池田会長の意図で動いているものと認識していた。但し、前述したように、直接的なやり取りを示す文章は公開されておらず、あくまでも公明党議員や創価学会幹部を通じたやり取りである。

 

  • 機密解除されたCIA作成の文書には、”Komeito’s policy apparently is determined by only four or five men dominated by Soka Gakkai president Daisaku Ikeda.”と書かれている(文章作成は1970年)。直訳すると、“公明党の政策は、明らかに、池田大作創価学会会長によって支配された4-5人の男によって決定されている”。

 

(上記文面は、Weekly Summaryという各地域の情勢・トレンドを定期的に報告するために作成された文章に掲載されています。謀略・陰謀論じみた内容の文章ではなく、日本情勢の一トピックとして、公明党が注目されることもあったということ。記事末尾に該当部分の画像を貼り付けます。文章自体もいずれ紹介できればと考えています)

 

 

  • 創共協定は、アメリカ大使館も事前に知らないことであった。公明党は創共協定に賛同していなかった。竹入委員長は、池田会長に創共協定の中止を申し入れる立場になかった。池田会長は竹入委員長をコントロールできていなかった。これ等は、外交公電、矢野元委員長の書籍の双方から判断できる。外交公電には「池田会長は自身の政治力の強さを見誤った(趣旨)」というアメリカ側のコメントも載っている。

 

  • 昭和54年(1979年)の池田会長辞任を分析している外交公電では「池田会長の辞任は直接的には公明党の活動に影響しない」とアメリカ大使館側は分析している(この公電もいずれ紹介します)。

 

  • アメリカ大使館に対して複数名の公明党議員が「池田会長の辞任は(公明党に対する)宗教的認識を削減させる機会を公明党に提供していると指摘した」ことも記録されている(池田会長辞任を分析している外交公電内において)。

 

  • 公明党のアメリカ大使館との連絡役として名前がよく上がっている人物は黒柳明氏。黒柳氏は、創価学会の海外係担当でもあった。また、議員経験者でもある。

 

  • 矢野元委員長の書籍によれば、池田会長が直接政策に口を出してくるようなことは無かった。但し、意を汲んだ学会幹部が指示をしてくることはあった。また、議員側が過剰に忖度することもあった。

 

  • 池田会長(名誉会長)と日本の首相との会談や懇談が、公明党の頭越しに行われることがあり、その結果、池田会長(名誉会長)の政治的な影響力が行使されることもあった(矢野元委員長の書籍に記述がある。但し、年代は1975年前後の事ではない)。

 

 

池田会長=創価学会公明党という図式は必ずしも成り立たない。また、池田会長、創価学会公明党は指揮系統や責任が随分と曖昧な関係だったのではないでしょうか(名誉会長時代には更に曖昧になったのではないか)。

 

責任の所在、最終決定権、一般会員の認識、選挙支援のモチベーション・スローガン。皆バラバラだった様な気がしてきます。

 

もう少し調べてから、またまとめてみたいと思います。

 

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CIAの報告書、該当部分。

 

 

 

 

 

追記:

私のブログを読んで下さる方には様々な立場の方がおられかと思います。現執行部に反対でも、池田名誉会長には賛成の方。池田大作という人物込みで今の創価学会に批判的な方。両方肯定している方。是々非々な方等。

 

私は成るべく、他人が見て嫌な思いをする内容は書きたくありませんが、確度の高い情報から推測できることは記述せざるを得ません。その辺、ご理解して下さるとありがたいです。

 

 

 

 

池田会長は公明党の方向性に不満を抱いていた(1975年、創共協定に関連する外交公電より)

池田会長(名誉会長)は公明党をどう評価していたのか。創共協定関連の外交公電を調べていたら、当時の池田会長と公明党が随分離れていたこと、池田会長が公明党の方向性に不満を抱いていたことを示唆する文章を見つけましたので、紹介します。

 

紹介する外交公電は二報。一つは創共協定が締結されたことを伝えるもの。もう一つは、宮本共産党委員長ー池田会長会談の解析といった内容です。

 

どちらの外交公電もアメリカ公文書館がインターネット上で公開している機密期間の切れた公文書です。両公電共、機密区分はConfidential。1975年7月に作成されたものです。

 

まずは協定締結を報じている公電について簡単に紹介します。リンク先を見ると分かりますが、こちらの公電は創共協定締結の事実が淡々と報告されている短い文章です(アメリカ大使館の簡素なコメントも併せて記載されています)。

 

 

創共協定締結を報じた公電

タイトル:JCP AND SOKA GAKKAI SIGN CO-EXISTENCE AGREEMENT

(日本共産党創価学会、共存協定締結)

 

PDF文章へのリンク

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=145966&dt=2476&dl=1345

 

上記リンクの文章は、基本的には協定締結の事実とそれに対する短いコメントを伝える文章ですが、コメントの部分に当時の創価学会公明党の関係を示唆する興味深い記述があるので、抜粋して紹介します。

 

KOMEITO INTERNATIONAL BUREAU CHIEF KUROYANAGI TOLD EMBOFF JULY 28 PARTY LEADERSHIP WAS UNAWARE OF AGREEMENT AND ITS ANNOUNCEMENT HAS PRODUCED SHOCK AND DISMAY WITHIN PARTY.

(公明党国際局長の黒柳は、7月28日、大使館側に「党執行部は協定に気づかなかった。また、創共協定の声明は、党内に衝撃と落胆を引き起こしている」と伝えた)

 

ここに出てくるKUROYANAGIなる人物は、創価学会の海外係も務めた黒柳明氏と推測されます(他の公電で、AKIRA KUROYANAGIという表記が何度か出てきます)。

 

創共協定というものが、創価学会(池田会長)の独自行動であったことは恐らく事実です(前回記事で紹介した公電からも推察できますし、次に紹介する公電においても示唆されています)。

 

1975年の時点で創価学会(池田会長)と公明党は、別々のヴィジョンを持ち行動していたということでしょう。

 

 

宮本共産党委員長ー池田会長会談の解析

タイトル:"HISTORIC" JCP/SOKA GAKKAI MEETING CAUSES STIR

("歴史的"な日本共産党/創価学会会談、物議を醸す)

 

PDF文章へのリンク

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=151564&dt=2476&dl=1345

 

こちらの文章には、宮本共産党委員長と池田会長の会談(とそれに続く創共協定)に関連して、池田会長の報道関係者への応答内容(インタビュー)、宮本委員長の動向、会談の前後関係などが記載されています。

 

例によって全体的に興味深い文章ではありますが、創価学会(池田会長)と公明党が、当時どの様な立場関係にあったのかを示す部分に焦点を当て、いくつかのセンテンスを紹介します。

 

KOMEITO REACTION WAS INITIALLY GUARDED, WITH KOMEITO CHAIRMAN YOSHIKATSU TAKEIRI SHOWING APPARENT SURPISE* AT MEETING AND SAYING HE WISHED TO DISCUSS MATTER WITH GAKKAI PRESIDENT IKEDA.

(公明党の反応は当初用心深く、公明党委員長の竹入義勝は(大使館との)会談で外見上は驚きを示し「池田会長と問題を議論したかった」と話す状態だった)

*恐らくSURPRISEの誤植

 

TAKEIRI TALKED WITH HIM JULY 15 AND REPORTEDLY RECEIVED IKEDA PROMISE THERE WOULD BE NO CHANGE IN GAKKAI SUPPORT OF KOMEITO.

(竹入は7月15日に池田会長と協議した。伝えられるところによれば、創価学会公明党支援に変化は無いという池田会長の約束を受けた)

 

竹入公明党委員長は創共協定に関して蚊帳の外だったと推測できます。個人的には、REPORTEDLY(伝えられるところによれば)という表現が興味深い点で、池田会長とアメリカ大使館との間に、政治(政局)レベルでの活発な連携が無かったことを示しているのでは?と考えています。

 

池田会長が、直接的にアメリカ大使館と政治上のやりとりを頻繁にしていたならば“伝えられるところによれば”という表記にはならないのではないか。アメリカ大使館側としても、直接、池田会長に聞けば分かる話です。

 

実際、1975年の11月に当時のアメリカ大使と会談したという記録が残っています(記録がマイクロフィルム上にあるので、オンラインでは中身が確認出来ません。お金と時間に余裕が出来れば、直接アメリカ公文書館に行って確認してみたいです)。推測になりますが、11月の会談では、創共協定の真意について、アメリカ大使から質問が出たのではないでしょうか。

 

 

ALTHOUGH NEWS OF MEETING HAS CAUSED CONCERN IN MANY JAPANESE PARTIES, SOKA GAKKAI'S OWN CLEAN GOVERNMENT PARTY (KOMEITO) IS CLEARLY HARDIST HIT.

(会談のニュースは日本の大多数の政党に懸念事項を生じさせたが、創価学会自身の政党である公明党が明らかに最も大きな打撃を被った)

 

PARTY LEADERSHIP, AND PARTICULARLY CHAIRMAN TAKEIRI, HAS BEEN ACTING AS IF IT DID NOT KNOW OF MEETING. (MAINICHI REPORTER AWARE OF MEETING ARRANGEMENTS HAS TOLD US THIS IS NOT SO, BUT TAKEIRI WAS IN NO POSITION TO TELL IKEDA TO CALL IDEA OFF.)

(党執行部、とりわけ竹入委員長は、まるで会談の存在を知らなかったかのように振舞っている(会談の設定を承知している毎日新聞の記者は「竹入委員長は会談を知らなかったのではなく、池田会長に会談を中止するよう伝える立場になかった」と我々に語っている))

                                            

あくまで毎日新聞記者からの情報提供という形ですが、竹入委員長は会談を知らなかったのではなく、池田会長に会談を中止するよう伝える立場になかった。前回の記事でも指摘しましたが、当時、公明党委員長と池田会長は随分離れていたということでしょう。

 

 

A SENIOR IKEDA ADVISOR, CALLING ON DCM JULY 15 IN ADVANCE OF IKEDA'S FORTHCOMING VISIT TO HAWAII, EAGERLY PRODUCED PRESS MATERIALS ON THE IKEDA-MIYAMOTO MEETING AND ANSWERED QUESTIONS ABOUT IKEDA'S THINKING.

(古参の池田会長の相談役*は、7月15日、まじかに迫った池田会長のハワイ訪問を前に主席公使(大使館ナンバー2)に電話をしてきたが、しきりに池田‐宮本会談の報道資料を提示し、池田会長の考えに関する質問に答えた)

*池田会長の上級顧問とも訳せる。相談役にしろ、顧問にしろ、誰かは不明。

 

HIS RATIONALE BOILED DOWN TO THREE POINTS:

(A)GAKKAI AND JCP ARE NOT JOINING HANDS;

(B)IKEDA DID NOT "RECOGNIZE" JCP; AND

(C)IKEDA'S PURPOSE STEMMED FROM BUDDHIST TENETS REQUIRING UNIVERSAL FREE INTERCHANGE AND OPENNESS, AND WAS DIRECTED TOWARD "PROTECTION OF HUMAN FREEDOM."

(彼の論理的根拠は三点に要約される。

(A)学会と日本共産党は手を取り合って連携しているわけではない

(B)池田会長は日本共産党を評価しなかった

(C)池田会長の目的は仏教徒としての信条‐その信条とは世界をまたぐ自由交流と寛容性を求めている‐に由来したし、人類自由の保護に向けられていた)

 

GAKKAI MAN EMPHASIZED THAT "NOTHING HAS CHANGED," NO POLI- TICAL PURPOSE IN MEETING, AND "AMERICANS SHOULD NOT WORRY."

(何の変化もないこと、会談に政治的な目的が無いこと、アメリカが心配しなくともよいことを学会側は強調した)

 

アメリカを警戒させないよう、創価学会サイドが注力していたのが分かります。公明党ではなくて、創価学会からの説明であったことが肝だと思います。例え非政治的な行動であっても、自分達の政治的影響力の強さが、想定以上の波紋を広げることを体感したのではないでしょうか。

 

BE THAT AS IT MAY, CLEARLY THERE ARE COMMUNICATIONS PROLEMS* BETWEEN IKEDA AND KOMEITO CHAIRMAN TAKEIRI IF NOT ANTIPATHY. (WE HAD HEARD EARLIER FROM GAKKAI SOURCES THAT IKEDA WAS NOT HAPPY WITH CURRENT PATH OF KOMEITO.)

(いずれにせよ、池田会長と竹入公明党委員長の間には、反目とは言わないまでも、意思疎通上の問題が明白に存在する(我々は以前、学会からの情報として、池田会長が現在の公明党の方向性に不満であることを聞いていた))

*恐らくPROBLEMSの誤植

 

アメリカ大使館は、池田会長が当時の公明党の方向性を良く思っていないことを、学会筋の情報源から把握していた様です。アメリカ外交公電に、池田会長≠公明党であることが明記されていました

 

今回紹介した外交公電は、池田会長(名誉会長)が公明党の意向に常に賛同しているわけではないことを強く示唆しています。

 

前回、1975年当時、竹入委員長が池田会長をボロクソに批判していたことを紹介しました。今回、池田会長の方も公明党の方向性を良く思っていなかったことが明らかになりました。また、池田会長と竹入委員長が随分と離れていたことも改めて浮き彫りになりました。

 

つまり当時の公明党は「池田会長の思想に賛同する創価学会活動家に支援されていたが、党のトップは池田会長に批判的かつ距離が遠く、池田会長自身も公明党の動向に不満を抱いていた」ということになります。公明党支援という活動はかなり昔から壊れていたのかもしれません。

 

前回の繰り返しになりますが公明党は池田先生が作られたのだから池田先生は公明党の方向性や政策を支持しているし、池田先生と公明党の考えは一致している」という発想は間違いです。

 

池田会長が公明党の動向に不満を抱いていたこと、公明党委員長と池田会長の間に深い溝があったことが公文書に記録されています。

 

 

追記:

個人的に興味深いと思う部分を抜き出して紹介しました。より詳しく公電内容を知りたい方は、是非原文をお読みください。

池田会長と公明党の不一致(1975年、竹入公明党委員長の池田会長批判)

公明党の変質はいつから始まったのか。以前、公明党は右傾化したかという記事において、宗教政党という看板を下ろして以降は時流に乗っていただけで、現実路線の維持という点で、公明党は変化していないのではないかと記述しました。

 

では、原理主義的な宗教政党からの離脱を公明党の再スタート地点とし、具体的な政策の変遷を評価するとどうか。

 

公明党の代表的な政策変遷の一つに日米安全保障条約(と自衛隊憲法9条)に対する評価の変化があります。

 

公明党は当初、日米安全保障条約の段階的撤廃を訴えていました。1978年頃から主張に変化が見え始めますが、大きく動いたのは1981年。部分的にですが、公明党のHPにも掲載されています。以下、引用します。

 

 “公明党は1981年12月の党大会で、党のそれまでの安全保障・自衛隊政策を現実的に見直す安全保障政策を発表。日米安全保障条約の存続を容認するとともに、領土、領海、領空の領域保全に任務を限定した「合憲の自衛隊構想」を提起しました。”

https://www.komei.or.jp/news/detail/20140918_14951

 

 

私が興味を持ったのは、この政策変更の判断に池田会長(名誉会長)はどの程度影響力を与えていたか。はっきり言うと、池田会長(名誉会長)の指示で政策変更を行ったのかどうかです。

 

池田会長(名誉会長)の公明党への影響力はどの程度なのか。これは多くの人物が気にかけていることではないでしょうか。

 

公明党が非難される時は創価学会が非難され、そのターゲットは池田大作という一人の人物に集中してきました。そこには、公明党は池田会長(名誉会長)の指揮下にあるという世間の認識がありました(今もあります)。

 

また、創価学会員が公明党を支援する理由の一つは「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」というものです。

 

もし、池田会長(名誉会長)が公明党に対して影響力を与えていなかったとしたら、公明党支援と池田大作という人物を短絡的に結びつけるのは難しくなります。また、世間の批判の大半も的外れのものになります。

 

何かヒントになるような文章は無いかと、例によってアメリカ公文書館のデジタルデータを漁っていましたら、1975年、竹入公明党委員長(当時)が初めて駐日アメリカ大使と会談した時の公文書を見つけました。

 

驚くべきことですが、公文書から推察すると、1975年当時、池田会長(当時)は竹入公明党委員長に全く影響力を与えていない。命令や指示を下していない。少なくとも、コントロールできていない。

 

池田会長時代には、ある程度公明党に指示や影響力を行使していたと私はイメージしていたので、かなり驚きました。

 

以下、該当公文書PDFへのリンクです。

https://aad.archives.gov/aad/createpdf?rid=316726&dt=2476&dl=1345

 

Document Number:1975TOKYO13532

Draft Date(原稿作成日):1975年9月25日

SUBJ: AMBASSADOR'S MEETING WITH CGP CHAIRMAN TAKEIRI

(題名:大使と公明党委員長竹入の会談)

 

 

全文を通して興味深い内容が多いのですが、何点かに的を絞って取り上げます。ちなみにですが、文章の機密レベルはConfidentialです。

 

まずは文章の要約部分とその和訳を紹介します。和訳は()内に示します。

SUMMARY: DURING HIS FIRST MEETING WITH THE AMBASSADOR, CGP (CLEAN GOVERNMENT PARTY--KOMEITO) CHAIRMAN TAKEIRI URGED US SUPPORT OF UN UNIVERSITY, DESCRIBED IKEDA-MIYAMOTO MEETING AND 10-YEAR SOKA GAKKAI/JCP COEXISTENCE AGREEMENT AS A "MISTAKE," UNDERLINED THE IMPORTANCE OF US RELATIONS TO JAPAN, AND PRONOUNCED HIMSELF DEEPLY AWARE OF CGP RESPONSIBILITIES AS A POTENTIAL LDP COALITION GOVERNMENT PARTNER. TAKEIRI CAME ACROSS AS SINCERELY PRO-AMERICAN, BUT THERE ARE CLEARLY POLICY NUANCES, IF NOT DIFFERENCES, WITHIN CGP.

(要約:公明党委員長の竹入は、大使との初めての会談中、国連大学の支援を要請し、池田‐宮本会談と創共協定を過ちだと表現し、日米関係の重要性を強調し、潜在的な自民連立政権のパートナーとしての公明党の責任を深く認識していると発言した。竹入委員長は心から親米的という印象を与えたが、もしその印象が違わない場合、公明党内には明らかな政策の差が存在する)

 

竹入委員長は、公明党自民党連立政権のパートナーになり得ると考えていたようです。1975年頃の公明党は、表向きは反自民党の要素も強かったはずですが……自民党との連立政権が現実となっている現状においては、何とも感慨深いものがあります。

 

 

創共協定に関するコメントは興味深い内容が多いので、少し詳しく紹介します。

TAKEIRI SAID IT WOULD BE CORRECT TO UNDERSTAND SOKA GAKKAI/JCP COEXISTENCE AGREEMENT (AND PRESUMABLY THE MIYAMOTO-IKEDA CONVERSATIONS) AS A "MISTAKE."

(竹入委員長は、創共協定(とおそらくは池田‐宮本会談)を過ちと理解することは正しいだろうと述べた)

 

REFERRING TO NON-GAKKAI/CGP SPECULATION, TAKEIRI NOTED POSSIBLE IKEDA MOTIVATIONS: (A) THAT IKEDA WAS SIMPLY OUTSMARTED BY MIYAMOTO;(B) THAT JCP HAS SOMETHING ON IKEDA; (C) THAT IKEDA'S MEETINGS WITH WORLD LEADERS HAVE MADE HIM EGOISTIC AND ARROGANT; AND (D) THAT IKEDA IS INTENT ON NOBEL PEACE PRIZE.

(竹入委員長は、非学会/公明党系の推測に言及し、池田会長の(創共協定に対する)考えられる動機に言及した。

(A)池田会長が単純に宮本委員長にしてやられた。

(B)日本共産党は池田会長の弱みを握っている。

(C)池田会長の世界の指導者との対談が、池田会長をわがままで傲慢にした。

(D)池田会長はノーベル平和賞に執心している)

 

 

1975年の時点で、公明党委員長と池田会長がここまでずれているとは思いませんでした。竹入委員長の池田会長評価はボロクソです。創共協定の是非はともかく、池田会長は竹入委員長を全くコントロール出来ていない。あるいはコントロールしていない。上記の(A)~(D)のコメントを竹入委員長の口からアメリカ大使に伝えて、池田会長に都合の良いことは何もないでしょう(普通に考えればマイナスでしかない)。

 

 

最後に、アメリカ大使側のコメントの一部を紹介します。

WHILE HIS COMMENTS GENERALLY WERE LITTLE DIFFERENT THAN WHAT WE HAVE HEARD PRIVATELY OVER THE YEARS, HIS CRITICAL REMARKS ABOUT IKEDA STRUCK US AS BREATH-TAKINGLY CANDID AND INDICATIVE OF PROFOUND POLITICAL DIFFERENCES BETWEEN THE TWO MEN.

(竹入委員長のコメントは、概して、ここ数年間、非公式に聞いてきたものとほとんど違わなかったが、彼の池田会長に対する批判的な発言は、我々に、あっと言わせるような率直さと、池田会長‐竹入委員長間の深い政策差を印象づけた)

 

 

1975年に竹入公明党委員長は、アメリカ大使を前に池田会長批判を行っていたこんなにも早い段階で、公明党委員長と池田会長は相違していた。1975年と言えば、池田会長に一番力があった時期ではないでしょうか。

 

推察するに、1975年の時点で、池田会長は公明党の政策に非干渉であった。あるいは、影響力が及ばなかった。1975年の時点で、政策面において、池田会長と公明党委員長は意見を相違させていた。

 

上記の事実は「公明党の独立性」という点では評価出来ますが、「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」という学会員の選挙モチベーションを完全に否定する内容です

 

また、最初に記述したように、池田会長(名誉会長)が公明党に対して影響力を与えていないならば、公明党のトラブルを理由に池田会長(名誉会長)という人物を批判するのは的外れです。

 

党は独立させると言っていた池田会長の言葉は、対外的な釈明・建前論では無かったと推測してもいいのではないでしょうか(竹入委員長の発言は、その後の公明党の政策変化を暗示しています)。

 

この竹入委員長とアメリカ大使の会談の場には、竹入委員長以外にも公明党議員が少なくとも一名、参加していたことが記載されています。その公明党議員は、池田会長と公明党委員長の間に意見の相違があること、公明党委員長が池田会長に批判的な態度をとっていることを知っていたことになります(おそらくは、他の公明党議員も知っていたでしょう)。

 

竹入委員長は、1990年代、朝日新聞への回想録の公表を発端に、“裏切り者”として、糾弾された人物です。“裏切り者”として批判された時、竹入委員長が非難された内容は金銭問題や学歴問題でした。

 

1975年当時から池田大作批判を行っていたこと、公明党委員長の見解が当時の一般的な公明党支持者(学会員)と異なっていたことが批判されたことはありません(少なくとも私は見たことがありません)。

 

学会幹部と公明党議員は、知らなかったというのでしょうか?竹入委員長だけ個人的な見解だったと逃げるのでしょうか?その後の公明党の政策変更も含め竹入委員長個人の判断だったというのでしょうか?(公明党日米安全保障条約に関する政策変更と、竹入・矢野両名の関係を示す公文書も見つけましたので、いずれ紹介します)

 

もし創価学会が竹入委員長を“裏切り者”として批判するというならば、1975年当時、池田会長と意見を相違していたこと、池田会長批判を行っていたこと、そういう人物が率いる政党を支援していたことを会員に表明するべきです(創価学会の理屈から言えば、その点こそ裏切り行為にあたるので)

 

その上で、「池田先生が作られた公明党、池田先生は公明党を支持している、池田先生と公明党の考えは一致している」という理屈で選挙活動を行ってきた人達に謝罪し、「池田先生と公明党は必ずしも意見を一致させていません」と宣言すべきです。

 

 

追記:

名目上、創価学会公明党は独立した別の団体です。選挙活動のモチベーションが信仰基盤にある必要は特にありません。池田名誉会長に拘る必要もありません。誰もが好きなように、己のスタンスで政治に関わることが出来ます(それは信仰と矛盾しません)。また、選挙活動に関わらないというのも自由です。

 

この公文書は様々興味深い内容です。より正確に内容知りたい方は、是非原文をお読みください。

 

K元副学長の件(職員による讒言)

前回、創価大学のT元副学長が創価学会の圧力によって更迭され、あわやクビになるところだったという記事を書きましたが、今回はK元副学長の更迭に関して記載します。T元副学長の件同様、職員関係者から伺った話です。

 

結論から言いますと、K氏は大学職員に後ろから刺されました。職員による密告です。K氏は悪いことをしたわけではないので、密告ではなく讒言です。

 

2017年人事で副学長を更迭されたK氏。K氏は創価大学法学部の卒業生。学生からの信頼の厚い教員で、多くの学生に愛されていました(少なくとも私の周りでは愛されていました)。

 

1998年から2007年まで創価大学の学生部長に就任。30期生前後の卒業生には、KGBことK氏の世話になった方も多いのではないでしょうか。

 

また、ここ最近の創友会総会(創価同窓の集い)は30期生前後が対象でしたので、前回記事にしたT氏同様、久しぶりにK氏と再開された方もいるのではないでしょうか(今年から創友会の運営方針が変更されたので、今後はどうなるか分かりません)。

 

K氏は何を問題視されたかというと、独自の勉強会・懇談会を開いたことを問題視されました。学内における、創価大学公式でないグループ活動を指弾された。この辺、本当に信濃町によく似てきました。

 

K氏の独自行動というのは、将来の創価大学を見据えての懇談会の開催。各学部(学科)から有志を集い、創価大学の将来についてディスカッションする場を定期的に設けた。

 

未来部の減少=志願者の減少、創価学会員の減少=寄付金の減少。創価大学の将来に大きなリスクが存在することを、教職員は把握しています。

 

リソースの減少、という点だけでなく、前回の投稿で指摘したような信濃町の異常干渉、創立の精神からの離反。創価大学の存在意義が問われています。

 

本当に大学の未来を考えている人物ならば、何らかの対応を打ちます。あるいは、対応を打つための状況把握に努めます。K氏の行動は理にかなっています。

 

ところが今の創価大学では、独自行動、統率を乱すような行為は処罰対象。中身ではなく、行為そのものが問題視される。前回紹介したT氏の「質問自体が問題視」と同様の構図です。

 

K氏はB学長から独自行動を咎められる形で更迭されましたが、B学長に話を持ち込んだのは何と大学職員。大学の未来を考えて行動している教員を職員が後ろから刺す。創価大学出身の職員が創価大学の教員を讒言するとは、一体何がしたいのか。

 

K氏は2005年前後の本部幹部会で、池田名誉会長から直接激励される機会がありました。断っておきますが、創価大学創価学会は別々の独立した団体です。その上、私は池田大作からの評価が高い人物だからと、誰かを無条件で受け入れることもありません。

 

ただ近年の本部幹部会において、大学関係者が池田名誉会長から直接激励されるのは珍しいことだと思います。K氏は「これは創価大学の学生部長であるK君に」と池田名誉会長から声を掛けられ、色紙か何か贈呈されていました(私の記憶です)。

 

K氏は学生部長時代、学生対応の責任者として多くの学生の相談相手を務めました。ある時、花形クラブ団体がトラブルを起こしてしまい、当時のW学長が「廃部だ!」と怒り狂う中、事態の改善に奔走することもありました(クラブは廃部を免れ、体質も改善されたと所属学生から伺いました)。

 

前回紹介したT氏にも言えますが、自分で考え、行動するタイプの人間が排斥されています。マニュアル以上の対応が出来る人です。結果的に、唯々諾々と上の命令に従う人、体制に無関心な人が重宝され、残っていきます。

 

以前にも言及しましたが、大学職員は信濃町に忠実です。意見を言う教員は排除されつつあります。また、大学は信濃町に金を握られているので、信濃町の意向に大きく反抗することは出来ません。

 

創立者池田大作の言葉を信用するならば、池田大作にとって教育は最後の事業です。「一宗一派の為に作ったわけではない」というのが創価大学です。

 

在学生の事を考えれば、創価大学を悪く言いたくはないですが、このままいけば、池田大作最後の事業は失敗扱いになるでしょう。

 

創価大学への人事干渉(質問したらクビになる)

いよいよこれを書く時が来ました。信濃町の横暴、創価大学への人事干渉です一人でも多くの方(特に若い方)に知ってもらいたい内容です。

 

創価大学には副学長が2名いますが、2016年と2017年の人事によって、1名ずつ副学長が変更されました(それぞれT氏とK氏)。今は別の2名が副学長になっています(T中氏およびK立氏)。

 

T氏の副学長更迭に関して、創価学会サイドからの圧力があったと、ある職員関係者の方から伺いましたので以下、紹介します(K氏に関しても別途記事にします)。

 

2016年に副学長を更迭されたT氏。T氏は、創価学園創価大学の卒業生。書籍において、池田名誉会長と対談したこともある人物です。

 

T氏は創価学会の副会長でもありましたが、副会長職も失っています。2015年、原田会長の再選が決定した際の幹部人事で、何名かの副会長と一緒に副会長職を失いました。

 

T氏は安保法制関連での発言が引き金となって副会長職を失ったとされていますが、それだけではないようです。

 

2014年、創価学会の教義会則が変更されましたが、2014年以前より教義会則変更の準備は、一般会員の知らないところでひっそりと進んでいました。

 

その最中、ある会議の場において(師範会議だと聞きました)、質問をしたことが問題視されたそうです。質問内容ではなく、質問したこと自体が問題視された。

 

なぜ質問したことが問題になったのか。それは、原田会長が会議の前に「会議で質問しないように」とのメールをT氏に送信していたからだと。

 

質問の出来ない宗教団体。上からの指示に従うだけの宗教団体。そこに何の価値があるのでしょうか

 

質問内容は「大御本はじめ、教義解釈を変えるならば、SGIメンバーへの説明はどうするのか?(趣旨)」というとても常識的な、会員への配慮があれば誰もが疑問に思う内容だったそうです。

 

ちなみに、その質問に対して谷川某は「そんなものは翻訳者が考えればいいんだ!」と返答したとか。いやー慈悲深い方ですね。

 

信濃町は何がそんなに気に入らなかったのか、あろうことか創価大学の人事に干渉。T氏を創価大学から追い出せ、創価大学をクビにしろと要求。

 

それに対してB場学長は、創価学会がそこまで大学人事に口を出すならば、大学は記者会見を開く信濃町に切り返したそうです。

 

「記者会見を開く」の言葉が効いたのか、T氏は大学から追放されることはありませんでした。しかしながら、T氏は学内における主要な役職を失うことになりました(ギリギリの手打ちということでしょう)。副学長更迭です。また、創友会委員長(創価大学生の同窓会)の役職も失うことになりました。

 

T氏に関して、興味深いエピソードを聞いたことがあります。かつてT氏は、創価大学創価学会の連絡会の場において、池田名誉会長、秋谷会長(当時)を前にして質問をしたことがあったそうです(勇敢というか無謀というか)。

 

連絡会において、創価学会側が創価大学首脳陣に対して質素倹約を(それこそ鉛筆一本無駄にするなと細々に)指示している最中、連絡会に出席していたT氏は「創価学会創価大学をどうしたいのですか?」と質問とも反発ともとれる発言を創価学会側に投げかけたそうです。

 

T氏の「創価学会創価大学をどうしたいのですか?」という質問に秋谷会長が答えられないと、池田名誉会長は「止めだ!」と連絡会を中断。その後、池田名誉会長からT氏へ電話が掛かってきて「T、お前がやれ」と。

 

T氏は池田名誉会長にも秋谷会長にも質問をした。創価学会に反発するかのような質問をした。それは咎められなかった(当たり前)。

 

今では質問しただけでクビになり得る。独立した団体の人事へ干渉してくる。圧力をかける。

 

創価大学創立者池田大作です。創価学会ではありません。創立者は大学の自治権を保障しています。学生第一の大学と言っています。教育は最後の事業だと言っています。創価学会創価大学への干渉は、創立者池田大作への敵対行為です。

 

創価学会創価大学の人事に口を出す正当性はどこにもありません。