蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

宿坊の掲示板について(会員間論争の活性化)

何かと話題になる宿坊の掲示板について記事にします。と言っても、特に事情を知っているわけではありません。

 

知っている人も多いと思いますが、元々、宿坊の掲示板は対日蓮正宗の掲示板でした(記録されている一番古い投稿は2008年)。古い投稿は、日蓮正宗関連の話題が殆どです。

 

法華講員と思わしき人達も盛んに投稿し、今の様に学会員だけが投稿する場、という訳ではありませんでした(対論チックな場面が何度もあります)。

 

それが大きく変化したのは2014年7月頃。それまでは日蓮正宗の話題が主軸だったのですが、学会本部の動向、原田会長・学会執行部に対する批判がテーマになり始めます。

 

今でこそ、「昭和54年問題総括の場」とタイトルについていますが、掲示板にこの文言が追加されたのは確認できる範囲で2015年に入ってからです(私が確認できた一番古い記録が2015年)。2013年当時の宿坊の掲示板には、「昭和54年問題総括の場」という文言はありませんでした。

 

またこの時期から急激に投稿数が増加します。宿坊の掲示板は現在(2017年11月)、1412ページ存在しますが、その内の1200ページ以上が2014年以降のものです。学会本部の動向、原田会長・学会執行部に対する批判がテーマになり始めてから急激に投稿数が増加しました。

 

その理由の一つは、皆さんご存知の「教学レポート」です。教義会則変更の裏側を取りまとめた「教学レポート」。「教学レポート」の内容が宿坊の掲示板を介して外に漏れてしまったことが「関係者」を含め、投稿数の増加に繋がりました。2014年の夏頃の話です。

 

恐らくですが、多くの方が宿坊の掲示板の存在を知ったのはこの時期以降でしょう。

 

因みにですが、「教学レポート」自体はもう少し前、2014年の6月頃にはネット上に掲載された(直ぐ消されましたが)と記憶しています。また、一部の関係者はもっと早い時期から所有していたようです。

 

次いで2015年の2月頃だったか、「遠藤文書」が流出して、これまた宿坊の掲示板の知名度上昇に一役買います。

 

2014年から2015年にかけて、宿坊の掲示板にはかなりの暴露話が掲載されます。矢野元公明党委員長の暴露本、一部広宣部(創価学会の裏事情に詳しい人達)の内紛も下地になりました。

 

聞いたことのある内容も幾つかあったので、世間は狭いものだと思ったりもしました(笑)。まとめサイトもあるので、気になる方はチェックすると良いでしょう。

 

2015年以降は、集団的自衛権やら公明党の話題やらも追加されながら、現在の状態、原田会長執行部を糾弾する場・池田名誉会長時代への回帰を主張する場へと固まっていきます。

 

前述したように、宿坊の掲示板が全国レベルで有名になった理由の一つは、「教学レポート」「遠藤文書」の流出です。宿坊の掲示板は、それまで極度にクローズドな環境で進行していた「教義問題」をオープンな話題にしてしまいました(教義そのものに拘っている人、教義の変更過程に拘っている人様々ですが)。

 

「教義問題のオープン化」は「議論のオープン化」を誘発し、選挙活動(公明党の在り方等)や教義以外の問題(日々の活動に付随する)に関する議論も活性化させました。

 

現場の組織で忌憚なく意見を言い合えれば、宿坊の掲示板が話題になることも、ブログやSNS創価学会ネタが飛び交うこともそこまで無かったでしょう。

 

宿坊の掲示板が全国レベルで有名になった理由は「教学レポート」「遠藤文書」の流出ですが、あくまでそれは象徴に過ぎず、宿坊の掲示板が果たした本当の役割は、学会内部における議論の活性化。それもネット上における議論の活性化にあると私は考えています。

 

「原田会長執行部の糾弾・池田名誉会長時代への回帰」に賛同する人もしない人も、宿坊の掲示板を気にする理由がそこにあると思います。オープンに創価ネタを提供する数少ない場所ですから。

 

学会本部は当初、宿坊の掲示板に掲載される情報そのものを危惧していたようですが、それは完全に近視眼的判断でした。

 

暴露話の真偽を確認できない一般会員に、本当の意味で影響を与えたのは、創価学会の現状・歴史・教義等を議論する機会の出現。会員間論争を活性化させたことです。

 

情報をクローズドにしていた分、一度はじけると収拾がつきません(これまでも何度か指摘しましたが)。創価学会は、会員間の自由論争に対応する方法を知りません。

 

現場の組織に忌憚なく意見を言い合える風土があれば、会員がどの様な情報に触れようと、恐れることなどないはずですが。これまでの密室主義のツケですね。

 

日寛本尊は三番手以降だった(宮田教授のHPより)

以前、創価大学の宮田幸一教授のHPに記載されている第二次宗創問題裏話を紹介しました。

 

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

実は同じページに、日寛本尊授与の前に日蓮本尊、日興本尊の確保を模索していたとの話が書いてあります。これまた興味深い話なので引用して紹介したいと思います。日本語のHPであり、宮田教授のHPにアクセスすれば誰でも読める文章ですので、一部だけ紹介します。全文を読みたい方はリンク先を参照してください。

 

 

多くのスタッフは教義とは無関係に日蓮曼荼羅を欲しがっていた。それで実際に候補になりそうな本尊を探したところ、あるにはあったが、摸刻本尊で、当然オリジナルの本尊は別のところにあるから肖像権の問題があり使用できそうになかった。もう少し準備期間があれば、創価学会の財力に物を言わせて、日蓮筆の曼荼羅を何らかの手段で購入するか、肖像権を購入することはできたと思われるが(その場合は堀日亨も言及しているが、埼玉の日蓮宗寺院に安置されている南条時光授与の本尊が第一候補となるかもしれない)、なにせ突発事故みたいなものだから、泥縄式に探すしかなかった。

 

それで次善の策として日興筆の本尊を探すと栃木浄円寺に日興筆の曼荼羅があったという情報が伝えられた。これは『日興上人御本尊集』にNo. 223と表示されている本尊だが、そこには写真版も図版も記載されていず、未調査の曼荼羅とされている。ところがその後の情報では、御厨子に入れるときに、御厨子曼荼羅よりも小さかったために、曼荼羅の上部が一部分切り取られていて、どうも本尊として使用するには具合が悪いということのようで、この話も立ち消えになった。

 

その後の経過は知らないが、最終的には日寛の曼荼羅を使用することになった。」
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/paper20-1.html

 

 

日寛本尊は三番手だったということです。

 

多くのスタッフは教義とは無関係に日蓮曼荼羅を欲しがっていた」という記述は創価学会の本質を良く表していると思います。スタッフ、つまり創価学会の中心者達は、教義の問題を無視して日蓮真筆に拘っていた。

 

当事の創価学会の教義を考えると、大御本尊にリンクさせ辛い日蓮本尊を会員に授与する……というのはリスクある行為だと思いますが、スタッフの方々は気にせず日蓮本尊を欲したのでしょうか。大御本尊、一機一縁、分身散体。興味なかったんですかね。

 

しかし準備不足から日蓮本尊を手に入れることが出来ず(まぁその後に入手済みかもしれませんが)、この話はお流れに。もし入手出来ていたら、今頃学会員は日蓮本尊を拝んでいたかもしれません。

 

その次に探したのが日興本尊。「それで次善の策として日興筆の本尊を探すと栃木浄円寺に日興筆の曼荼羅があったという情報が伝えられた」にでてくる「栃木浄円寺」は、栃木県小山市にある「淨圓寺」。日寛本尊の提供元「淨圓寺」のことでしょう。

 

「淨圓寺」所有の日興本尊は具合が悪かったようで(曼荼羅の上部を一部分切り取ったのはいつ頃なのだろうか……)、「淨圓寺」側が“申し出た”としても、それを各会員が目にすることは無かったでしょう。加筆修正しなければね……

 

で、最後は日寛本尊に落ち着いたと。日寛本尊の授与経緯についてはこれまでに様々情報が流れています。私は直接何か聞いたことはありませんが、日蓮-日興本尊を探して駄目だったから日寛本尊授与になったといういきさつことを考えると、果たして本当に「淨圓寺からの真心の申し出」だったのか疑わしいです。

 

もしどこかで少し順序が違えば、日寛本尊ではない別の本尊を授与することになっていたと。創価学会の中枢にとって、本尊・教義の扱いはその程度のものなのでしょうかね。

 

第二次宗創問題後、「仏法の本義にかなう 学会の御本尊授与」なるパンフレットをもって、日寛本尊授与の意義を主張した創価学会。そこでは、弘安2年の大御本尊との関係にも触れています(今は関係なくなりましたが)。

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もし日蓮本尊の授与になっていたら、全く別のパンフレットを作って上手いこと解釈と意義を主張したことでしょう。

「戸田会長の悟達(神秘体験)」に対する創価学会の解釈変遷

戸田会長の悟達について。Twitterでも少し呟きましたが、「戸田会長の悟達」に対する創価学会の解釈変遷について記事にします。「悟達」を「神秘体験」と読み替えても構わないと思います。

 

先に書いておきます。創価学会や戸田会長・池田名誉会長を敬愛している方にとっては、気分を害される可能性のある内容です。それが嫌な方は読まないで下さい。

 

戸田会長は「戸田城聖先生 質問会集」の中で、自身の獄中悟達に関して以下の様に説明しています。

 

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文章を読めば分かる通り、無量義経につきあたり悩み考えた後、「仏とは生命なり」と考えが開けたそうです。これを読む限り、戸田会長の悟達の原点は無量義経です。

 

無量義経については、前回記事にしました。

 

「無量義経」にたいする創価学会の態度(グレーゾーン対応) - 蓮の落胤-創価学会、話そうか

 

戸田会長の論文である「生命論」の中においては、「ひたすらに、法華経日蓮大聖人の御書を拝読した」と御書も悟達の要素として入ってきます(恐らくですが、法華経の部分は無量義経を含んでいます)。

 

下の画像は「折伏経典(1965年版)」に収録されているものです。

 

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質問会においてはただ言及しなかっただけかもしれませんが、「生命論」の中では御書の影響に言及しています。

 

一方、1975年に出版された「革命の大河―創価学会四十五年史」においては、戸田会長の悟達(神秘体験)は2回あったと書いてあります。以下、該当画像です。

 

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挑んでいたのは法華経の白文であったが、「大聖人の御書を基礎に意味を理解していった」とあります。「生命論」の中に書いてある「ひたすらに、法華経日蓮大聖人の御書を拝読した」という記述に比べると少し弱いです。

 

2度目の悟達においては、「三大秘宝稟承事」の一節が脳裏を横切ったらしいので、法華経オンリーの着想ではなく、前述の様に「御書」が基礎にあったと言いたいのかもしれません。

 

もっとも、戸田会長が何の御書を基準にしていたか、重視していたかは分かりません。

 

「生命論」の中における戸田会長の悟達と思わしき部分は、「革命の大河―創価学会四十五年史」に記載されている1回目と2回目を統一記載していると考えられます。

 

戸田城聖先生 質問会集」においては、1回目の「仏とは生命なり」の部分のみ話題にしていると前向きに考えておきましょう。

 

同じく1975年に出版された「創価学会の理念と実践(東京大学法華経研究会 第三文明社)」の中では、以下の様に、唱題行に軸を置きながら、触れられています。また、地涌の菩薩の自覚という観点が述べられています。以下該当画像を掲載します。

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そして次のページ、「戸田城聖の生命論」の項目において、無量義経法華経を考え抜いた話が書いてあります。御書の話は出てきません。

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また、別ページの「生命論の視点」という項目においても、白文の法華経と格闘したことが悟達のポイントとして記述されています。

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興味深いのは、戸田会長が思い立ったことを「一閻浮提総与の御本尊の流布」とし「一閻浮提総与の大御本尊の流布」としていないことです。東京大学法華経研究会のファインプレーかもしれません。

 

全くの余談ですが、1975年の東京大学(と東京大学大学院)には、現在創価大学に在籍している、宮田幸一教授と菅野博史教授が学生・院生として在学中でした。

 

「一閻浮提総与の御本尊の流布」に関連して掲載しておくと、池田会長(当時)は1960年に出版された「戸田城聖先生 巻頭言集」の発刊の辞において、「第一に、一閻浮提総与の大御本尊を日本に流布することを誓う」と、戸田会長の宣言した誓いについて記載しています。

 

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以上、「戸田会長の悟達(神秘体験)」に関連する記述を4つの書籍から比較してみました。小説人間革命に記載がありますが、あくまで小説なので掲載しません。

 

「戸田会長の悟達(神秘体験)」に関連する記述は書籍によって結構なばらつきがあるのが分かるかと思います。恐らく、私が把握していない(所有していない)、書籍にも何らかの記載があるでしょう。

 

ところでこの「戸田会長の悟達(神秘体験)」。第一次宗創問題勃発時、考えようによっては戸田城聖(獄中時は城外)という一人の人物が、無量義経なり、法華経なり、御書なりをベースに、新しい宗教を創設したのではないか?、戸田会長は日蓮に並んだのか?等と日蓮正宗から非難されることになります。

 

創価学会は池田会長辞任後、第一次宗創問題を宗門側に詫びる為に、「特別学習会テキスト」なるものを会員に配布します。

 

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その中の「教学上の基本問題について」という章において、宗門側の質問に答える形で、過去の発言を撤回したり詫びたりしています。その先頭は、「戸田会長の悟達・創価仏法の原点」という項目です。

 

 

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その項目の中で、以下の文章が質問、回答されています(画像は分かり易いように該当部分だけをトリミングしてあります)。

 

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池田会長は1977年、

 

「戸田先生はあくまで、日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら、久遠の妙法によって法華経を読みきられたのであります。まさにあの「仏とは生命である」との悟達は、この従果向因の行き方から生まれたのであります。」

 

とある様に、戸田会長の悟達は「日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら」達成されたものと説明しています。紹介してきた4つの書籍とは随分と解釈を変えていたようです。最初の「戸田城聖先生 質問会集」で戸田会長自身が話している事と全く違います。

 

しかも、「日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら」と戸田会長の悟達が「大御本尊への唱題」から来たと講義しています。戸田会長の悟達は大御本尊がポイントだったと。

 

続いて、上記1977年の池田会長の講義に対して、宗門サイドから「何が従果向因なのかわかりません。もっと判り易く解釈して下さい」と「詰問質問」されています。

 

それに対する創価学会の「答え」は(なんだよ答えって)以下の通りです。

 

「戸田第二代会長の悟達を「従果向因」と表現したのは、法華経から大聖人の仏法に入ったのではなく、日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されて、法華経を読みきられたとの意であります。しかし、このような場合に「従果向因」の語は適当でなく誤解を生ずるので、第二代会長の自覚に関連したような形では、この語を使わないようにします。」

 

法華経から入ったのではない」としています。その上、「日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されて、法華経を読みきられた」の部分は変更していません。

 

1977年と1979年の解釈(個人の悟達、神秘体験に他人が解釈というのがそもそもおかしいのですが)では、「日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されて」と戸田会長の悟達が「大御本尊への唱題」から来たと「答え」ています。

 

1977年における池田会長の解釈、1979年における創価学会の解釈は、

 

日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら、久遠の妙法によって法華経を読みきられた

 

となっています。僧俗和合時代だった云々してもいいですけれど、それにしても変わり過ぎです。出世の本懐の意味を変える様な団体ですから、この程度何とも思わないのかもしれませんが。

 

さらに、僧俗和合時代だったにしても、池田会長が1977年に「戸田先生はあくまで、日蓮大聖人の御書にのっとり大御本尊への唱題の行を持続されながら、久遠の妙法によって法華経を読みきられたのであります」と講義していたのは事実です。これを無かったことにすることは出来ません。

 

で、現在はどうかと言うと、創価学会のHPによれば以下の通りです。画像と該当部分の文章を引用します。

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「獄中にあった戸田は1944年(昭和19年)の元朝から、毎日1万遍の唱題(南無妙法蓮華経と唱えること)に励み、法華経全巻を読み進めていきました。法華経を3回繰り返し読み、4回目に入ったとき、一つの壁に突き当たりました。それは法華経の序説(開経)にあたる無量義経徳行品第一の一節でした。

「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず……」と34の「非ず」が並んでいる個所です。「其の身」が仏の身を指していることは理解できましたが、34もの否定が何を表現しているのか分かりませんでした。

“この文は何を意味しているのか”

——戸田は深く悩み、唱題しては思索し抜く中、3月のある日、「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある、宇宙生命の一実体である」と直観したのです。

その後も法華経を読み続けるなかで、戸田は、仏から末法広宣流布を託された「地涌の菩薩」の一人であるとの使命を深く自覚するとともに、生涯を広宣流布に捧げる決意を定めたのです。」

 

 

驚くことに、「戸田城聖先生 質問会集」における説明に、大筋において先祖帰りしています。大御本尊は勿論、御書も出てきません。良くもまぁ恥ずかしげなく変えてきたものです。

 

因みにですが、「法華経の智慧(1995年、大白蓮華にて掲載開始)」の中で、池田名誉会長は戸田会長の悟達を以下の様に語っています。何か所か引用します。順不同です。

  

 

名誉会長: 大事なことは、私どもの原点である戸田先生の悟達が、この「獄中」でなされたという一点です。

 

名誉会長: 一言でいえば、戸田先生の悟達は、創価学会こそ日蓮大聖人の仏法の継承者であることを明らかにした、記念すべき瞬間です。今日の広布進展の原点であり、仏教史上、画期的な出来事であったと、私は確信しています。

 

名誉会長: 戸田先生の悟りの全容は、到底、語り尽くせないが、先生は法華経ゆえに投獄された。迫害に耐えて信念を貫いた。そのこと自体が法華経を身をもって読むことであり、全人格的な体験です。

 

 

解釈はコロコロ変わってきたけれど、「原点」だそうです。「戸田先生の悟りの全容は、到底、語り尽くせない」にもかかわらず、様々な解釈を時代に応じて展開してきました。そして先祖返りです。

 

途中でも言いましたが、個人の悟達・神秘体験にたいして、後世の赤の他人が勝手に解釈をつけるという行為がそもそもおかしいのですが。

 

無量義経から出発して、あらためて戸田会長の悟達(神秘体験)を調べてみようと思ったが、こんなにバリエーションに富んでいるとは思わなかったです。

 

「無量義経」にたいする創価学会の態度(グレーゾーン対応)

Twitterでも少し呟きましたが、「無量義経」が「偽経(中国撰述)」であれば、創価学会は触れたくない難問を追加でオーダーすることになるでしょう。

 

恥ずかしながら、私は今まで特段気にかけませんでした。「無量義経」が「偽経(中国撰述)」であれば、創価学会はかなり苦しい立場になります。

 

調べてみると、「無量義経」が「偽経(中国撰述)」であるとの指摘はそれなりに歴史があるらしく、特に近年湧き出てきた問題ではないようです。

 

インターネット上では、複数の論者が研究結果を引用しながら「無量義経」について言及しています。人によっては、経典そのものをある程度読んだ上で判断しているでしょう。「無量義経偽経(中国撰述)説」に反論している方もおります。

 

私は経典を直接研鑽した上での研究結果を自分の言葉として述べられる様な知識・学識を持ち合わせていません。

 

その上で、各論者の主張を読んでみた感想は「疑わしい」、つまり「偽経(中国撰述)」である蓋然性は高そうだと考えています。幾つか理由を書いても良いのですが、殆ど孫引きにしかならないので止めておきます。

 

一つだけ言及すると、創価学会も本心の部分では「無量義経」をインド撰述とは考えていないだろうことが、公式HPから推測できます。創価ネットの教学用語検索では、「無量義経」について以下の様に紹介しています。

 

中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎[どんまかだやしゃ]訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。

 

“曇摩伽陀耶舎[どんまかだやしゃ]訳。” 「無量義経」をインド撰述とするならば、「曇摩伽陀耶舎[どんまかだやしゃ]著」と書くわけにはいかない。当たり前です。では、何語を訳したのか。

 

無量義経」はサンスクリット本の存在が確認されていないようです。曇摩伽陀耶舎訳とは、何語版を訳したのか。敢えて言及していない。また細かい指摘をすると、”「無量義」という名の経典を説いた”という部分にも疑問が持たれているようです(サンスクリット法華経の漢訳作業を再考察した結果だそうです)。 

 

因みにですが、創価ネットの教学用語検索では「法華経」の項目において、サンスクリット原典の諸本、チベット語訳、漢訳(3種)があることに言及しています。更に、“経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。”と最近の学説を採用しています。

 

で、後半部分。

 

中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。

 

無量義経」は中国において「無量義」という名の経典と同一視され、中国において法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられたと書いてあります。

 

無量義経」=「法華経序品で言及される無量義という名の経典」という発想がインドにおいて存在しなかったことを認めています。インドにおいては、「無量義経」が法華経の開経であるという解釈が存在しなかったことを認めています。

 

無量義経」が法華経同様、釈尊の言葉なり真意なりを含むものとして、釈尊滅後のインドにおいて何らかの形で継承されていた……と確信しているならば、後世の解釈とは別にその点を記載するでしょう。

 

インド撰述ではない法華経編纂時代に存在しなかった経典を、後世他国における解釈を用いて、「法華経の開経(法華経の一部)」と評価する……というのは無理があります。創価学会もその辺を良く理解しているから、上記表現に留めたのでしょう。

 

何語版を訳したのか記載できず、曇摩伽陀耶舎著と書くわけにはいかず、近年の主流学説を無視して「無量義経」がインド撰述と断言する事も出来ず。さりとて、「偽経(中国撰述)」を認めれば日蓮系としても戸田会長の悟達という観点でも極めて都合が悪い。だからグレー対応。

 

創価学会の公式HPの記述を考察すると、創価学会は「無量義経」をインド撰述とは考えてないと判断するのが妥当かと思います。それをどう評価するかは、それぞれの信仰者に委ねられています。

 

 

補足

法華経二十八品の成立過程も議論されている状態です。その他経典がどの様な成立過程にあろうと、特に驚く必要はありません。どの道、釈尊直筆は存在しません。天台やそれを参考にした日蓮歴史認識が間違っていたとしても、時代的制約から仕方が無いことです。

 

原田会長の愛人疑惑について

タイトルにある通り、原田会長の愛人疑惑についてです。と言っても、大した話ではありません。私が以前、職員関係者から聞いた話を書きます。

 

正直なところ、スキャンダラスなネタ、イエロージャーナリズムに加担するような話題は余り記事にしたく無いのですが、公明党国会議員の愛人騒動が連チャンで報道された昨今無視も出来ないかなと思い書くことにしました。ネット界隈でも度々話題になりますし。

 

最初に断っておきますが、又聞きレベルです。また、北海道時代やら隠し子やらマンションやらと具体的な話が飛び出ていますが、そちらに関しては知りません。

 

話を聞いたのは2014年の夏頃だったと記憶しています。話をしてくれたのは年配の職員関係者。仮にA氏とします。

 

A氏に話を伝えたのはA氏の後輩B氏。B氏とは、私も何度か顔を合わせたことがあります。B氏は職員関係者ではないですが、組織で役職を持ちバリバリ動き回る典型的な活動家幹部でした(今も)。

 

B氏には妹がいて、B氏が妹から聞いた話をA氏に伝え、それを私が聞く形となりました。

 

私がA氏から話を聞いたのは2014年の夏頃ですが、A氏がB氏から話を聞いたのはもっと前。B氏から話を聞いたのがいつだったのか、私はA氏に尋ねなかったが、B氏とB氏の妹の年齢から考えて、2005年前後だと推測しています(A氏とB氏の年齢、B氏の妹が女子部であったことから推測しているが、大きく外れている可能性もある)。

 

B氏の妹→B氏→A氏(2005年前後)、A氏→私(2014年)、という時系列。

 

B氏の妹は当時(私の推測するところで2005年前後)、女子部員として新宿区で活動していました(非職員関係者)。

 

B氏の妹がB氏に話したのは、当時新宿区周辺で話題になっていたある目撃談と噂。新宿区で目撃されていたのは何故か変装していずこかに向かう原田会長(2005年以前だとするとまだ会長ではなく事務総長)。

 

奇妙にも変装して移動する姿が目撃されていたおかげで、キャバクラか?風俗か?それとも愛人か?と噂になっていたそうです。

 

婦人部ならともかく、女子部の間でも噂になるというのは中々厳しい事態(目撃者の中に女子部がいたのかもしれません)。普通、噂話の中心は婦人部。危険な話は男子部の特別部隊と一部壮年部に限定と相場が決まっています。ある程度話が広まっていたのでしょう。

 

幹部が変装して移動するというのは私も見たこと(聞いたことも)無いので、当時の新宿区で、原田会長の夜遊び/愛人疑惑が出てきても自然なことかと思います。

 

後ろめたさや隠し事でもない限り、学会幹部が人目を忍んで行動する理由がありません。目立ちたいとは思わないでしょうが、敢えて変装する合理的な理由がありません(それこそ変に勘繰られます)。

 

保安上の理由……というのも考えられるのですが、原田会長(事務総長)クラスになれば、警護の1、2人付けることが出来るでしょう。保安上の理由ならば単独行動こそ避けるはずです。

 

理事長や副会長クラスの人物が新幹線に一人で搭乗していたとの目撃談を何度か聞いたことがあります(地方出張かな)。勿論変装なんかしていません。やはり変装して移動するというのは不自然です。

 

その後、噂がどうなったのか私は知りませんが、原田会長の愛人疑惑は突然ネット上に登場した話ではありません。地域によっては以前から囁かれていたことです。

 

一部職員関係者(とおそらく活動家幹部)の間では普通にシェアされていたのでしょう。私がA氏から上記の話を聞いたのは、全然関係の無い話をしていた時でした。ふと、“幹部の実態”的な話題になった時、「原田会長も~」とサラリ。

 

学会員が全国にいる以上、隠し事を続けるのは困難です。私も職員関係者の風俗通いや幹部の不適切な関係を直接耳にしたことがあります。悪事は大体知られています。弓谷元男子部長なんか、表沙汰になる前から周りは実態を把握していたことでしょう。表に出るかどうかはその時々の権力者の都合によります。

  

まぁ、私の聞いた話が本当はどうだったのか、例えば何らかの後ろめたくない事情で原田会長は変装せざるを得なかったのか(考え辛いですが)、それは分かりません。変装した原会長自体が誤認かもしれません(地域で噂になるくらいですからこれも考え辛いですが……)。

 

気になる方は、新宿区周辺で活動している、活動していた人に聞いてみると良いでしょう。箝口令や苦しい釈明が既に敷かれているかもしれませんが。

 

創価学会は嘗て日顕氏のシアトル疑惑を大々的に報道し、責め立てた団体です。“末端御僧侶の実態”等も公表してきました。「日顕宗」悪僧列伝なる書籍すら発刊しています。

 

創価学会は「宗教団体トップ・幹部の破廉恥な言動」を厳しく糾弾することを是とする団体です。身内にだけ甘いというのは通じませんね。

 

 

日興の扱いについて(後編)ー宗教法人として

前回に続き、日興の扱いについてです。

 

日蓮世界宗創価学会なる計画。この実態が何なのか、明確に知っているわけではありませんが、もし「宗教法人」としての創価学会を改定する計画であるならば、日興から距離を置く必要性が法律という面から存在するのかもしれません。

 

文化庁が配布している宗教法人運営に関するハンドブックの中で、宗教法人の要件について以下の様に説明しています。

http://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/kanri/pdf/h22_shukyohojin_unei_guidebook.pdf

 

宗教団体の要件

○ 教義をひろめる

宗教なら、当然、教義があるはずです。また、単にあればいいというのではなく、それを人々にひろめる活動をしていなければなりません。

 

○ 儀式行事を行う

宗教活動の一環として、日頃から儀式行事が行われていなければなりません。

 

○ 信者を教化育成する

教義の宣布によって信者を導くことが行われ、信者名簿等も備わっていなければなりません。

 

○ 礼拝の施設を備える

邸内施設ではなく、公開性を有する礼拝の施設がなければなりません。

 

  

2014年の教義会則変更からもうすぐ3年が経過する訳ですが、宗教団体の要件に含まれている「教義を広める」の項目は、創価学会にとって困った存在であったのかもしれません。

 

1991年に勃発した宗門との紛争以降、創価学会は徐々に「大御本尊」から距離を取ってきました。もっとも、登山停止状態だったので、物理的にも距離を置かざる得ない状況でした。

 

大御本尊から距離を取った理由は様々あったわけですが、創価学会の教義会則に大御本尊が入っていた以上、宗教法人としての創価学会は「教義を広める」つまり大御本尊を広める必要性があったと言えます。

 

2014年の教義会則変更により、宗教法人としての創価学会は大御本尊を広める必要は無くなったわけですが、教義会則の中には「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」という文言が残っており、「日蓮大聖人を末法の御本仏」と広める必要性は残っています。

 

日蓮大聖人を末法の御本仏」とする解釈は、日蓮系でもかなり限定された、日興門流の一部に限定された解釈です。創価学会日蓮正宗時代の名残を消すことに必死ですが、「末法の御本仏」という解釈は、宗門との紛争以降も外してこなかった(準備してこなかった)ので、恐らくしばらくは用いるつもりなのでしょう。

 

前回記事でも指摘しましたが、創価学会の生まれ育ちを大石寺と切り離すことは出来ません。その為、1991年以前は、大筋において大石寺の教義を用いてきました(実際は複雑ですが)。

 

宗教法人としてもそれで問題は起きませんでした。大石寺に存在する大御本尊を形式的には広めていたので(実態は違うと私は考えています)、宗教法人としての創価学会は「教義としての大御本尊」を広め、法人格の要件を満たしていました。

 

創価学会が名実ともに大石寺から独立した今、他教団の教義や他教団所有の本尊を広める必要性はありません。むしろ、自分達の正当性&正統性を傷つける自殺行為です。更に、「宗教法人」としての要件にも傷をつけかねません。

 

「教義は教団運営上の都合によって左右されては云々、大御本尊が根本なのだから云々」とがなりたてる人も居るでしょうが、そこに真偽問題が絡んでくるわけです。

 

大御本尊が教義の根幹にあって、日蓮から外せないものと本当に確信出来るならば、創価学会も大御本尊から離れなかったでしょう。

 

教団運営上、他宗所有の大御本尊が都合悪い存在になったとしても、争ったときに負けてしまう教義を採用しては、それこそ運営上の大障害になってしまいます。

 

創価学会は、大御本尊を外しても大丈夫そうだと、自語相違以外に責められる点はなさそうだと、結論に達したわけです(宗門所属時代から下準備はあったわけですが)。その結論は、宗教法人としての創価学会にも都合が良いと。

 

話を日興に戻します。日興が教義に直結していると、創価学会宗教法人の要件を満たすため、日興を広める必要性が生じてしまいます。

 

創価学会は仏教団体として根本的に敬うべき三宝(仏法僧)を、

 

仏宝 日蓮大聖人

法宝 南無妙法蓮華経の御本尊

僧宝 日興上人

 

としています。僧宝、敬うべき僧侶は日興であると宣言している状態です。大石寺の開祖、開山の僧侶を僧宝にしている。これは独立教団として非常に都合が悪い。生まれ育ちから仕方がないとはいえ、宗教法人の要件を満たすために縁を切りたくてたまらない大石寺を宣伝するような真似はしたくない。

 

で、僧宝の解釈に関して、創価学会は以下の様に言葉を足しています。

http://www.sokanet.jp/pr/kyougakunyuumon/sekaikoufutosoukagakkai/bukkyounoninngennshuginokeifu/09-2/

「現代日本では、男性の出家者のみを僧と呼びますが、「僧」は、僧伽の略で、〝集い〟を意味する古代インドの言葉「サンガ」に漢字を当てたものです。意味をとって「和合」と訳され、二つ合わせて「和合僧」とも言います。」「尊崇の対象となる三宝を正しく護持して伝え広める人々の集いも、広い意味での僧宝です。今日では、日蓮大聖人の御心と御振る舞いを継承し、世界広宣流布を推進している創価学会が、僧宝に当たります。」

 

創価学会三宝の解釈に、僧宝=創価学会が誕生したのがいつ頃なのか、私は把握していませんが、宗門との紛争以降(あるいは独立を見越してそれ以前から)日興を三宝から外す準備を進めてきたのではないか?なんて思っています。

 

余談ですが、日興のみが僧宝ではなく、在家信徒も僧宝に含まれるという解釈を日寛およびその他歴代法主の言葉から導き出すのは非常に馬鹿げた行為です。

 

宗教法人の要件を満たすため、僧宝=創価学会、日興だけではなく在家信徒も僧宝に含まれるという解釈を、日寛およびその他歴代法主と一緒に広めることになります。早速独立教団ではありません。

 

これまた余談ですが、宗門と一緒にいた頃は、法宝=南無妙法蓮華経の大御本尊だった可能性もありますね(宗門時代の創価学会三宝観がわりません)。

 

三宝の中に日興が入っていれば、どう解釈をつけようと、宗教法人の要件を満たすため、日興を「僧宝」として広める必要性があります。

 

もし本当に、僧宝は日興のみであると確信出来るならば、創価学会は日興から離れないでしょう。大御本尊と同じで、争ったときに負けてしまう教義を採用することはありません。ここにも、真偽の問題が絡んできます。

 

信濃町は日興の扱いを低くすることに何の抵抗もないでしょうが、団塊世代以上を中心に、日興なくして日蓮なしと捉えている人は多いだろうと私は考えています。ある意味で、大御本尊を外す以上にハードルが高いと思います。

 

様々違和感を覚えながらも大筋において信濃町に従ってきた会員は、日興の扱いを変化させても創価学会についていくのだろうか?

 

一定数の人が見切りをつける、組織からの離反者が増加するのではないかと私は推測しています。無論、気にせず追従し続ける人も多数いるでしょう(信濃町の望む模範的な会員ですね)。

 

今年の11.18に何をするつもりなのか。日蓮世界宗創価学会がどういう代物なのか。正確な予測は出来ませんが、いずれ日興の扱いを下げる蓋然性は高く、それに反発して一定会員の離反も予期されます(どうも信濃町は会員の反発を低めに見積もっている気がしますね)。

 

宗教法人日蓮世界宗創価学会」は誕生するのか?日興は消えるのか?いずれにせよ、日興の扱いを間違えれば、信濃町は想定外のトラブルを抱え込むことになるでしょう。

日興の扱いについて(前編)

5回にわたってストレートな政治ネタを記事にしました。本当はもう少し続けようかと思ったのですが、飽きました。そして疲れました。

 

だからという訳ではありませんが、今回は教義に関する話です。私が個人的に気にかけていること、創価学会における日興の扱いについて綴ります。

 

Twitterでも少し呟きましたが、創価学会の指導から日興が消える日が来るかもしれません。消えるというのは大げさな表現ですが、消えないまでも、今より扱いが低くなる蓋然性は高いと見ています。

 

創価学会はこれまで、日興を日蓮とセットで宣揚してきましたが、それは創価学会大石寺に縁のある団体として機能してきたことに由来します。

 

生まれ育ちが大石寺に由来している創価学会は、自分達の正統性&正当性を主張する上で大石寺の正統性&正当性も主張する必要性がありました(日蓮正宗所属の在家団体でしたから)。

 

創価学会はこれまで、大石寺流の解釈を採用する形で、日蓮直弟子の6老僧を日興vsその他の構図、五一相対として捉えてきました。日蓮仏法の正統継承者は日興ただ一人であり、日興につながらないことには日蓮に連なることが出来ないという理論を採用してきました。

 

日興は創価学会にとって、自団体の正統性&正当性を補填する人物でした(一応、今もです)。

 

日興が日蓮法華経講義を筆録したとされる「御義口伝」。日蓮宗(身延)からは殆どまともに相手にされない文章を、創価学会は重書として遇してきました。恐らくですが、これまで学会が引用した「御書」のなかでも「御義口伝」は最多クラスではないでしょうか。

 

以下、幾つか示します。

 

「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」

この部分は師弟を強調する目的もあって、第二次宗創問題の勃発後も良く用いられた印象です。

 

「経とは 一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと」「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり」

二か所セットで主に「敵」を責めることの正当性を強調する指導に組み込まれてきたと思います。

 

「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」

モーレツ学会員、火の玉活動家を育成する言葉としてよく使われてきました。

 

「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」

勢い任せな指導をする人から良く聞いた記憶が。南無妙法蓮華経はとにかく凄いんだ!みたいな。

 

日蓮→日興と血脈が相承されたという部分は、日興から下の展開と血脈の解釈は別にして、創価学会(と大石寺&その他日興門流)も是としてきました。表向きは今もそうです。

 

宗門とのバトルが開始された後、富士の清流伝説、明治以降の大石寺周辺の混乱、相承詐称・相承未達の法主等、大石寺周辺の歴史を指摘(指弾)する場合においても、日興にメスが入ることはありませんでした。

 

むしろ、大石寺の開祖である日興の言葉を盛んに用いて、当時の法主日顕(と法華講員)を責め立てました。「日興遺誡置文(遺誡置文二十六箇条)」はその代表格でしょう。

 

散々日興を持ち上げてきた手前、日興への解釈変更は、自語相違として批判される危険性を持っていました(今もです)。宗門との紛争においても、日蓮→日興の流れは前提条件として両団体の間に存在しました。

 

Twitterでは既に何度か言及しましたが、日興が残したとされる「御義口伝」には日興真蹟が存在せず、最古の写本も日興年代から随分離れた時期のものしか残っていません。日興遺誡置文に関しても同様です。

 

創価学会大石寺と縁を切って久しい今、創価学会は日興の正統性&正当性に嘗てほど拘る必要がありません。むしろ拘るのは組織の存在条件を危うくします。その上、真偽問題が信徒の間にも広がり、日興唯一人を日蓮の後継者と認定するための根拠が揺らいで久しい状態です。

 

私個人としては、日興の文章なりその他真偽未決の文章なりを「日蓮仏法」の歴史的遺産として、著者や真偽に関係なく用いるのならば、それはそれで一つの方法だと思います。

 

何度も言いましたが、歴史上の釈尊が発言したと断言できる言葉はありません。そこから後ろの人達も似たり寄ったりです。天台智顗にしろ、弟子の章安との合作なのか、章安の創作なのか研究が進んでいる状態です。

 

先師の言葉を「先行研究」と位置付けて、取捨選択、比較検討、新説提示を繰り返してきたのが宗教の歴史と言えます。

 

日興にも価値があると思うのならば、何故用いるのか、用いる際の基準と根拠を示せば、日興なり日興が残したとされる文章なりを使用しても構わないと思います。相承書の有無や自団体の出自を気にする必要は無いです。

 

ただ、これまでの日興への評価に、大石寺生まれの自団体を権威付ける目的が含まれていただけに、大石寺を「全く無関係の存在」と創価学会のオフィシャルが宣言する昨今、創価学会において日興の扱いが低下する蓋然性は高いのでは?と考えています。

 

後半ではちょっと違う観点で話します。