蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

名護市長選と公明党(基地問題で揺れた20年)

名護市長選に向けた動きが活発化して参りました。辺野古基地建設問題を抱える名護市長選。沖縄において米軍所属機の事故が立て続けに発生する中、基地建設容認・推進派の渡具知(とぐち)武豊候補は苦しい選挙になるかもしれません(前回、前々回の市長選では基地建設容認・推進派の候補(渡具知氏とは別人)が負けました)。

 

渡具知氏は無所属ですが、自民党県連と公明党県本部からの推薦を獲得しています。注目すべきは公明党が推薦を出したことです。

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名護市の市長選において辺野古基地建設がテーマにあがったのは1998年からですが、この時、公明党は基地建設反対派の玉城義和候補に支持を出しました(推薦ではない)。玉城氏は、社民・共産・民主等から推薦を獲得していた候補でした。

 

社民・共産・民主が推薦する候補を公明党が支持する……というのは今考えると斬新です。沖縄ならではの選挙だったのでしょう。国政で自民党とバトルした直後(4月会問題)というのも関係あるかもしれません。

 

2002年および2006年の選挙においては基地建設容認・推進派の候補に推薦を出しました。こちらも、国政の影響(自民党と連立後)があるかもしれません。

 

前々回2010年の選挙では、基地建設容認・推進派の候補者はどの政党からも推薦を受けずに戦いました(2009年の衆院選挙で自民が大敗した直後でした)。

 

2014年の前回選挙、自民党は基地建設容認・推進派の候補者に推薦を出しましたが公明党は推薦を出さず、支持者(学会員)は自主投票を行いました。自公政権がある程度成熟していた2014年に自主投票としたのは、公明党沖縄本部内で様々な意見があったからでしょう。主力支持者である沖縄学会員に配慮した面もあると思います。

 

1998年から20年。公明党は、辺野古基地建設容認と反対の間で揺れ動いてきました。最初は反対(1998年)、続く2回は容認(2002年、2006)、その後2回は自主投票(2010年、2014)。

 

公明党の安全保障政策は、いい加減で無策。基本的に選挙対策(選挙で負けなければいい)に過ぎませんが、良くコロコロ変えたものです。まぁコロコロ変えたのは南元町信濃町であって、沖縄公明党(と沖縄創価学会)ではないでしょうが。

 

しかし今回、公明党自民党と歩調を合わせ、建設容認・推進派の渡具知氏に推薦を出しました。言うまでもないですが、安倍政権はかなり本気で辺野古基地建設に向けた施策を進めています。

 

20年の月日を経て、公明党もいよいよ最終判断を下した……と考えてもいいかもしれません(自公政権が何かの拍子で壊れて反自民系政権が成立したならば、また基地建設反対派に転向する可能性もありますが)。

 

最初に書いたように、基地建設容認・推進派の渡具知氏は、対立候補に対して特に優勢という訳ではありません。前回選挙では、19,839票vs15,684票(得票率にすると55.8%vs 44.2%、投票率は76.71%)で基地建設反対派が勝利しました。その差4300票。

 

本年1月5日付け東京新聞の記事によると、名護市における公明票は2000票程度(昨年10月に行われた衆議院選挙において、公明党は名護市内で過去最高の比例票(約5700票)を獲得したそうです)。前回結果を考えれば、無視できない数字です。

 

創価学会が組織を挙げて選挙戦を行えば周辺地域の住民を巻き込んで票を底上げする可能性を秘めています。公明党が推薦を出し、原田会長が沖縄幹部会に参加したというのは、大きな意味を持つでしょう。

 

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かつて沖縄創価学会といえば、創価学会が推進してきた平和運動の象徴でした。全国学会員の中で、とりわけ沖縄に住む学会員は平和問題に真剣だったと思います。ミサイル基地を学会の会館にしたこと、人間革命の執筆場所。沖縄戦、米軍統治を含めた歴史的経緯、基地が生活圏にある日常。平和運動を身近なテーマとして捉えてきたのが沖縄学会員かと思います。

 

そのためでしょうか、沖縄創価学会(と公明党)は割と信濃町に対して独自路線を掲げることが多かったと聞いたことがあったのですが……昨今の中央集権的な流れには逆らえなかったのかもしれません。

 

市長選は基地問題だけが争点ではありません。また安全保障という観点では様々な意見があります。それは事実です。

 

ただ今回の選挙、平和問題に一番拘りのある沖縄創価学会が方向転換したという「実績」を残せば、沖縄創価学会の今後の方向性、ひいては創価学会がこれまで行ってきた平和運動(憲法改正問題含む)全体に大きな影響を与えることでしょう。

 

名護市における公明票は2000票程度かもしれませんが、歴史の大きな転換点を作るかもしれません。

 

 

NTTドコモ事件(創価学会員による携帯電話通話記録窃盗事件)

創価査問の年が開幕するとかしないとか話題になっているので、創価学会が本気になればどの程度の事をするのか、その一例を示したいと思います。今回紹介するのは所謂「NTTドコモ事件」です。

 

知っている方も多いかと思いますが、若い方(私もそこまで年取ってないですが)や大本営発表信濃町広報にしか触れてこなかった方の中には知らない方もいると思います。

 

NTTドコモ事件」とは、学会員が関与した携帯電話通話記録の窃盗(不正アクセス)事件です。

 

NTTドコモ事件」は2度裁判になっています(刑事裁判に限定)。1度目の裁判を「女絡み事件(2002年)」、2度目の裁判を「本丸事件(2004年)」と呼ぶことにします。

 

以下、事件の概要と経過を図で示します。

 

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「女絡み事件」に関する補足

 

「女絡み事件」は、創価大学職員(田島稔、根津丈伸)とNTTドコモの子会社(ドコモシステムズ)に勤めていた人物(嘉村英二)の3名が関与(全員執行猶予付き)。

 

田島が当時交際していた女性の浮気を疑い根津に相談、相談を受けた根津がNTTドコモの子会社に勤めていた嘉村に通話記録の取得を依頼、嘉村が携帯電話の通話記録に不正アクセス。実行犯(嘉村)、犯行指示者(根津)、依頼者(田島)。

 

「女絡み事件」は、田島が通話記録(嘉村が不正入手したものを根津経由で取得)をもとに交際女性の知人男性に嫌がらせを行ったことがきっかけで発覚。田島が話す内容が余りにも正確だったため不審に思った男性が警察に相談し発覚しました。

 

事件発生当時、根津は全国副青年部長という青年部の大幹部。

 

 

「本丸事件」に関する補足

 

「本丸事件」は「女絡み事件」の捜査過程で浮上した別の事件です。「本丸事件」は嘉村が「個人的興味」で実行したことになっています(誰が信じるの?)。

 

「本丸事件」の裁判は2004年12月ですが、「女絡み事件」の捜査に関連して浮上したことから、2002年9月の段階で1度捜査が行われていました。2002年9月、「通話記録が盗まれている可能性がる(趣旨)」とF氏・S氏に警察から連絡があり、F氏・S氏は警察の事情聴取に応じ、調書も作成されました。

 

しかしながら何故か捜査は中断。その後、捜査中断に疑問を感じたF氏・S氏が東京地検刑事告発(2003年5月)、刑事事件に発展しました(2004年12月、嘉村に有罪判決)。

 

S氏は「本丸事件」の告発人であるものの、嘉村がアクセスしたデータの種類が他2名(F氏・乙骨氏)とは違ったらしく、「本丸事件」において不正アクセス被害とは認定されませんでした。

 

S氏は妙観講の副講頭。講頭の大草一男氏と親縁関係。妙観講と言えば創価学会にとって不倶戴天の敵。

 

「本丸事件」において不正アクセスが認定されたのは、F氏(有名脱会者)と乙骨正生氏。乙骨氏は反学会で有名なアノ乙骨氏。

 

「本丸事件」で被害にあったF氏は、受けた被害(事件の概要)を週刊誌に実名告発しています。その中で、正体不明の人物(複数人)から尾行・盗撮されたと語っています……。F氏は、池田家とも若干の縁があり、社会的にも有名な人物だったので標的になったのでしょう。

 

F氏・乙骨氏に対する不正アクセスが行われたのは、「女絡み事件」における不正アクセスよりも前。不正アクセスの時期(犯行時期)は「女絡み事件」以前であるものの、先に「女絡み事件」の裁判が終了していたため、「本丸事件」は余罪扱いになりました(どっちが余罪かなんて誰でも分かるだろ)。

 

 

 

不自然な捜査中断も含め、創価学会が本気を出せばこの位はやりますよと。SNSへの侵入なんて何とも思わないでしょう。

補陀落渡海

以前沖縄の宗教を調べていた時に偶然知ったのですが、日本にはかつて補陀落渡海(ふだらくとかい)という命を賭した修行(捨身行)があったそうです。

 

補陀落渡海とは何か。以下、和歌山県のHPから引用します(和歌山県那智勝浦が補陀落渡海の地として有名です)。

 

  

勝浦湾に広がる熊野灘はかつて「補陀落の海」と呼ばれていました。熊野には、海の彼方に理想郷があるという「常世信仰」があり、それが観音信仰と結びついて渡海が行われるようになったと考えられています。南海の彼方に観音の浄土「補陀落山」がある、その浄土を目指して何人もの人々が船出していったと言う。

 

男女を問わずすべての者の願を聞き、救いの手を差し伸べてくれるという観音菩薩の住むところが補陀落山でした。補陀落渡海の出発地であった補陀落山寺には、苦しみを逃れて渡海に望みを託そうとする人々が全国から集まったといわれています。

 

最も古い渡海は868年、補陀落山寺の僧、慶竜上人によるもので、渡海は18世紀初頭まで続けられました。

 

一ヶ月分の食料を積み、外に出られないように扉を釘付けにした小さな船に閉じ込められ、伴舟にひかれ、経文を唱えながら補陀落をめざして海へ出て行く生きて再び帰ることのない旅、補陀落渡海。太平洋の彼方に人々は浄土をもとめたのです。

 

http://www.pref.wakayama.lg.jp/nettv/p_ch7/ch7_movie/04_kumano_kenbunroku/2008/04_fudaraku_no_umi.html

引用終わり

 

 

補陀落渡海周辺の信仰観に詳しいわけではありませんが、この様な修行が存在したことに衝撃を受けました。

 

何故そこまでしたのか、観音の浄土(理想郷)に到達出来ると本気で信じていたのか、苦しみを逃れて自殺する理由が欲しかったのか、海に出てから閉じ込められた狭い船内で何を考え思ったか、出港後に後悔しなかったか……

 

想像し考えたところで答えは出ません。推察するだけで狂気に染まりそうです。ちなみにですが、強要されて無理やり渡海させられた例もあるそうです……。

 

補陀落渡海では海の機嫌任せに数日から最大で一ヶ月程度、小さな船内に閉じ込められて海上を漂うことになります。海が荒れれば溺死、荒れずにご機嫌なら餓死か渇死。

 

経を唱えながら確実な死を一人孤独に待つ。その様な行動に出た人物が複数人いるだけでも十分驚きなのですが、歴史の魅力はその上をいきます。補陀落渡海を生き延びた人物がいます。

 

1500年代に補陀落渡海に挑んだ真言宗の僧侶日秀は、那智勝浦からはるばる1000キロほど漂流した後、琉球王国(現在の沖縄県)にたどり着き死を免れたそうです。

 

日秀は琉球王国に漂着した後、宗教活動に励み、寺社の創建や再興に関わったという記録が残っています(後付けの伝承もあるそうですが)。最後は再び海を渡って薩摩藩(現在の鹿児島県西部)において没したそうです(薩摩の地においても宗教活動に励んだ)。

 

日秀の詳しい研究

http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6437/1/oki37_takahasi.pdf

 

日秀が補陀落渡海に挑んだとき何を考えていたのかは分かりませんが、琉球王国にたどり着く……などとは想定していなかったでしょう。そもそも琉球王国と言う存在を知っていたかどうか。

 

死ぬことをほぼ確定させた人物が生き永らえ、想定外の場所でその専門性を発揮、功績を残す。その陰には誰にも看取られず海に消えた人物が何人もいるわけですが、歴史が動く時、人知は及ばないのかもしれません。

立憲民主党支持者は学会員を理解できるか

 

選挙が終わって2ヵ月程経ちました。創価学会においては毎度のことですが、投票依頼を熱心にやる一方で、選挙が終わると政治の話題は下火になります。皆無と言っていいです。

 

以前Twitterでも少し呟きましたが、2019年の参議院選挙は、憲法改正の大きな山場になると思います(既に多くの人が指摘していると思います)。

 

1989年以降、自民党参議院で安定過半数を確保していませんが(現在はギリギリ過半数を上回る)、衆議院で圧倒的な勢力を保持している今、参議院でも圧勝すれば憲法改正の第一段階、国会の発議が可能になり得ます。

 

そこでカギを握るのが、連立相手の公明党(憲法改正公明党(創価学会)についてはいずれ記事にしたいと思いますが、)と野党第1党(衆議院)の立憲民主党です。2019年の参議院選挙における立憲民主党の伸び次第で、憲法改正のロードマップは大きく後退するでしょう。

 

創価学会の会員が本気で立憲民主党支援に回ればそれなりの勢力を手にすることが出来るでしょうが、非常に難しいのが現状です。その理由を以下3つ示します。

 

1、公明党以外を支援する学会員は非常に少数である

2、民主党時代の学会批判を忘れない学会員が多い

3、立憲民主党支持者と学会員の相性の悪さ

 

1に関しては殆ど説明不要だと思います。公明支援の打ち出しに唯々諾々と従うメンバーが多数派。公明党以外の政党を支援する会員は非常に少数。ご存知の通りです。

 

2の「民主党時代の学会批判を忘れない学会員が多い」。民主党の学会批判、失策だったと思います。支援団体を狙い撃ちにすることの道義的な問題は別にして、選挙戦術と言う点で、民主党は短絡的かつ見当違いの方法を採用したとみなしています。

 

理由は簡単で、学会(と公明党)を批判したところで(仮にそれが事実だとしても)、学会員の多くは公明党支援を辞めないからです。公明党は基本学会票で維持されていますが、学会員が公明党支援を放棄しない限り、公明党は一定の勢力を維持します。

 

政治や選挙に関心を持っている人物の学会・公明評価はほぼ固定的です。選挙や政治に興味を持っている人物が限定されている状態(投票率の低さが象徴的)で、学会批判は票に繋がりません。学会批判があっても無くても、公明票はそこまで大きく変化しません(今後は徐々に悪化するでしょうけど)。

 

また、公明候補のいない選挙区において学会票は「学会に都合の好さそうな政党の候補」に流れます(信濃町の指示が介在しますが)。民主党時代の学会批判は、結果的に、学会員の選挙区における自民党候補への投票を後押しすることとなりました(今も続く)。

 

「公明議員が選挙で消えても学会員は急には消えない」ということを見落としたのか、ずっと勝ち続けることが出来ると判断していたのか、あるいは学会批判をしてもいずれ取引できる(四月会で暴れた自民党が連立を組めたように……)と考えたのか。いずれにせよ失策です。

 

「熱心で活動的なマイノリティーを排撃し、より内側に狂信・教条的にした」と私は民主党の学会批判を総括しています。民主党時代に創価学会を攻撃したことで、信濃町主導の立憲民主党非難を会員が鵜呑みにする土台を作ってしまった。

 

3番目の「立憲民主党支持者と学会員の相性の悪さ」。あまり語られることはありませんが、大きな意味を持つテーマだと思います。

 

立憲民主党首脳部がここでもう一度創価学会批判を選挙戦略に策定したならば「無能集団」というタグ付けが相応しいですが(そしておそらく憲法は改正される)、今回は控えるでしょう。

 

しかしながら、支持者の方は「素直な思い」を口にしてしまうかもしれません。「公明党を無批判で支持する学会員、君らは間違っている」「学会は日本政治の癌だ」と。

 

その批判、逆効果です。前述したように、学会(と公明党)を批判したところで(仮にそれが事実だとしても)、学会員の多くは公明党支援を辞めません。

 

立憲民主党のサポーターが創価学会批判をすればするほど、立憲民主党学会票を取り込めなくなるでしょう。「今の公明党(と創価学会執行部)は支持できないが創価学会には愛着がある」と考えている人が投票を回避します。

 

学会組織に未練の無い会員で他党支持の方は躊躇わないかもしれませんが、「学会組織に未練の無い他党支持会員」なんて全体からみれば極少数です。

 

その辺りを本邦タカピーリベラルさん達が認識できるかどうか。「そも民主主義とは云々」と御高説の方々が「仕事終わに政治学習会」「選挙の為に土日遠征」「モチベーションは信仰」「道でわざと転んで声かけてきた相手に投票依頼」と一筋縄ではいかないドブ板泥んこ政治活動を50年以上やってきた集団を抱擁できるか。立憲民主党支持者は学会員を理解できるか。

信濃町に目を付けられてしまう人

信濃町に目を付けられてしまう人。

 

端的に言うと、金と票にならない会員を増加させ得る方です。

 

インターネットの普及により情報の拡散に歯止めが掛からなのはもう何年も前からですが、各種SNSの存在は会員に議論の場を提供したという点で目新しさを感じます。

 

知っている方も多いと思いますが、反創価学会系のサイト(HP)は以前から多数存在していました。ただ、古くから(1990年代後半から2000年代前半)存在する学会批判サイトの多くは創価学会を全否定するタイプ (日蓮正宗系サイトや反公明系サイト(反日云々の右翼系))だったので、会員にたいする影響力は限定的だったと思います。

 

1990年代後半から2000年代前半と言えば、創価学会が週刊誌とバトルしていた時期でもあり、「反創価系情報=デマ・ウソ」の構図が各会員の中でも強かったと思います。また、インターネットが今ほど普及していませんでした。

 

2000年代後半からでしょうか。ブログの普及によって、個人がネット上で情報発信するハードルが下がり、学会員が個人的に情報発信する場所が増えたと考えています。活動家系、アンチ系、観察系、資料系、素直な感想系……様々な情報が流れる様になったのではないでしょうか。

 

ブログの普及時期と前後して、反創価学会に限定されない、反日蓮正宗教学、反富士門流のスタイルのサイトも増えたのではないかと個人的には感じています。

 

少し余談ですが、今言われているような教義問題の多くは、少しネットを漁れば幾らでも出てきます。創価学会に限定せず、日蓮正宗教学、日蓮法華経等、随分前から指摘、考察されていたようです(書籍上ではもっと古いですが)。

 

しかながら全体的に知名度が低く、加えて学会員の多くが教義問題に余り関心を示さないので、創価学会にとってクリティカルな案件であっても、学会本部は特に取り合わずに済んできました(これからはどうかな?)。

 

古くから存在するアンチ系サイトの特徴は、学会(教義含め)と池田名誉会長を全否定するところにありますが、そのスタンスに影響される方の多くは第二次宗創問題前後で既に創価学会を去っているだろうと私は推測しています。

 

後になってから様々知って……という方もいると思いますが、創価学会と池田名誉会長を全否定する格好で学会を抜ける人・活動家を辞める人は少数派なので、世間へのイメージ対策と言う点では信濃町も看過出来ないはずですが(この辺は信濃町の怠慢)、既存会員への影響力に関しては無視できる範囲です。

 

これまでの反創価学会的主張の多くは、学会・公明党・名誉会長を一緒くたに非難する傾向にあったので、池田名誉会長を尊敬する会員の多くは、その手の主張を一緒くたに否定してきました(その是非はともかく)。

 

反池田名誉会長路線に同調者が殆ど出ないことを知っている信濃町は、古いタイプのアンチにそこまで関心がありません(一部の人達が無関係になったはずの日蓮正宗系信者と泥仕合続けていますが……近年、反池田名誉会長路線で最も影響を与えたのが妙相寺樋田系かな)。

  

信濃町が警戒しているのは、池田名誉会長を尊敬しつつ(あるいは尊敬するからこそ)現学会執行部や公明党に異議を唱える人物が増加することです。

 

理由は簡単で、同調者を量産し金と票にならない会員を増加させるポテンシャルを秘めているからです。

 

池田名誉会長をベースに、反執行部・反公明党の輪が広がることを信濃町は危惧しています。名誉会長が直接指導をしなくなった今、名誉会長の発言を巡って解釈論争をすれば創価学会は分裂一直線です(どのみち不可避だとおもいますが……)。

 

統率の危機であり、具体的には金と票を減らします。末端会員には関係ありませんが、職員にとっては死活問題です(名誉会長の発言を巡って会員と職員が解釈論争する時点で信濃町の統率力低下、敗北だと思いますがね)。

 

査問の話がチラホラ話題にのぼっていますが、学会(現執行部)・公明党(現政策)・池田名誉会長の三点はセットで肯定しないと、信濃町から目を付けられてしまいます。

「若悩乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」

複数の方に何度も指摘されていますが、「若悩乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の二文は全ての曼荼羅本尊に記載されているわけではありません。

 

むしろ日蓮真筆本尊と見なされている本尊群の中で(現在確認されているのは127体(幅)というのが一応の定説だそうです)上記二文が記載されている本尊は少数派に属します。

 

また、「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」ではなく「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」が用いられているものもあります。「若悩乱者頭破七分」と「讃者積福於安明」の組み合わせもあります。

 

「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」を全部載せている本尊もあります。

 

以下、日蓮真筆本尊の相貌が確認できるサイトのリンクを貼り付けておきます。おそらく、山中喜八氏の本尊集をベースにオンライン化したものです。

http://juhoukai.la.coocan.jp/mandara/mandaraitiran.html

  

「若悩乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の記載がある本尊は、弘安年代のある期間に作成された本尊に限定されます(弘安元年から2年まで)。

 

弘安4年や5年、日蓮最晩年に作成された本尊には見られません。ついでに言うと、弘安2年に作成されたとされる大御本尊には「若悩乱者頭破七分」と「有供養者福過十号」の記載はありません。

 

何か理由があるのかもしれませんが(授与者の違いとか?)、同じ日に作成されたと思われる本尊(図顕日が同年同日)で、片方の本尊には「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」「謗者開罪於無間」「讃者積福於安明」が全部記載されているにも拘らず、もう片方の本尊には一つも記載されていなかったりします(上記リンク先、61番と62番の比較)。

 

本尊の相貌について詳しいわけではありませんが、日蓮自身、本尊作成に関して試行錯誤(あるいは臨機応変さ)があったのかな等と考えたりします。

 

ちなみに、最初に作成されたとされる本尊(通称 楊枝本尊)はかなりシンプルな構成です(佐渡に渡る直前という余裕のない状況も関係するかもしれませんが)。

 

創価学会では罰論・功徳論に絡めて「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」の部分を強調しがちですが、果たして本当にその必要があるのですかね?

ラーメンとラーメン屋、旨い不味いと原産地

同じラーメン屋で食事をするなら動機、そのラーメン屋をチョイスした基準も同じかと言えば必ずしもそうではありません。

 

店のラーメンが単純に好きな人

ラーメンのうたい文句に惹かれている人

ラーメン以外のサイドメニューが好きな人

店長や店員の人柄に惚れている人

客同士の交流が好きな人

全体的な店の雰囲気に愛着がある人

店に通った良い思い出のある人

家の近くで何となくという人

などなど。もちろん、複合的な動機の方もいると思います。

 

逆にラーメン屋を批判する場合も、その理由・根拠・観点が同じとは限りません。ラーメン屋のラーメンが悪いのか、店の雰囲気や店長、店員の問題なのか。客層なのか、営業時間帯なのか。ラーメン屋なのにラーメンを疎かにし、サイドメニューにばかり力を入れているからか。様々です。

 

通っていた店から人が離れる理由も多様です。「店員の態度が悪かった」「隣の客がうざかった」「店長が変わった」「味が落ちた」「最近味をころころ変える」「雰囲気が悪くなった」「値上げした」。

 

国産大豆醤油と秘伝のタレをベースにしたスープ、それがあるラーメン屋の提供するラーメンのうたい文句だったとしましょう。更に店独自の調理法が厳格に決められていて、作法を守らなければ本当の味は作れないと宣伝していたとします。

 

ところがある時、国産ではなく輸入品の大豆を用いた醤油を使っていたことが判明する。

 

「旨いからそんなの関係ない」と言う人もいるかもしれません。「国産だろうと輸入品だろうとこの店のラーメンが好きだ」と主張する人もいるでしょう。「誠実な店長が嘘をつくわけがない、国産のはずだ」と考える人もいるかもしれません。

 

「輸入品の大豆を用いたが、輸入先の農家は日本式の農法で、国産大豆と同じ品種だから国産大豆と解釈できる」と反論する人もいるかもしれません。

  

どの様に感じ取るか、判断するかは各人に委ねられます。ただ、国産大豆が輸入品であった事実は変わりません。その先の解釈は自由ですが。

 

秘伝のタレが秘伝でも何でもないただの市販化学調味料だったら、調理法が他店舗からの(一部でも)借り物だったら、決められているはずの調理法が守られていないことが判明したら、やはり批判されるでしょう。

 

ラーメンが旨いか不味いかと、原産地の偽装表示とは次元が違う問題です。国産大豆醤油が実は輸入大豆醤油であったと指摘することと、ラーメンの味を非難することは違います。

 

ラーメン屋(店長と店員)への批判には繋がるでしょうが客(とその味覚)を非難しているわけではありません。ましてや、店への愛着を蔑んでいる訳でもありません。

 

店長と店員。知っていたのか知らなかったのか。知っているなら何時からか。知っていて黙っていたのかどうか。そこは批判の対象になるでしょう。国産大豆醤油はどうした?秘伝のタレは?厳格な調理法が守られてきと言っていたではないかと。

 

先代から店を継いだ店長。事情があったのかもしれない。何か考えがあったのかもしれない。先代の指示か。知らなかったのか。それは推測するしかありません。店長が店先に立たないなら尚更です。

 

店員は店の売り上げを気にするからか、店長からの指示なのか、または客への配慮なのか、多くを語りません。客側が勝手に判断するしかないでしょう。

 

「味の旨さは大豆産地とは関係ない」というスタンスを取るのも自由です。「旨ければそれでいい」それもありです(味覚には個人差があります)。

 

ただ、他人に勧めるとなると話が難しくなります。ある店のラーメンを勧めているのか、あるラーメン屋を勧めているのか、両方なのか。その点も問題になります。

 

ラーメンの話をしているのか、ラーメン屋なのか、旨い不味いの感想なのか、原産地を問うているのか。意識したいものです。