蓮の落胤-創価学会、話そうか

非活動家の学会3世が創価学会、日蓮、公明党等を語ります。

SNSと創価学会とイラク戦争問題

Twitterでも呟きましたが、信濃町はインターネット・SNSの影響力をどうにか抹殺・排除したいようですね。

 

目下信濃町が懸念しているのは、宿坊の掲示板、元職員3名、宮川日護氏の反信濃町御三家の影響力でしょうか。この内、宿坊の掲示板と元職員3名に関しては以下の記事を書きました。

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

宮川氏に関しては現段階で言及したいと思うことは特に無いです。松岡某みたいに水泳の達人にはなれなかったか……程度の感想しか持ち合わせていません。

 

安保法案絡みで反公明党を鮮明にした方々、Web上で哲学・信仰セミナーを開き始めた元教学関係者&元創大教員の方、私含めたブロガー、Twitter上で持論を展開する会員の方々。

 

その全てが反信濃町・反執行部というスタンスかは別にして、本部の統制を無視した意見の発露という点で、信濃町を悩ませていることでしょう。その先にある会員間自由論争は創価学会解体のリスクを含んでいますから。

 

で、今回記事にしたいのは今の状況、第1次SNS問題 (これだとSNS勢力に悪いイメージが付きそうなので駄目ですね) とでも名付けたくなるような状況、この発端がどの辺りにあるかを勝手に考察したいと思います。

 

結論から言いますと2003年あたりが大きなポイントだと思います。こと公明党関連で言えばイラク戦争です。

 

インターネット発達期(2003年、イラク戦争が始まった頃は丁度ADSL接続が一般化してきた時期です)、右からも左からも、そして内部会員からも大きなトピックとして扱われた問題の1つがイラク戦争かと思います。

 

以前少し呟きましたが、イラク戦争に対する公明党の態度に反発した一部の会員が信濃町周辺及び学会本部内(非会員)で署名活動を行ったことがあります。

 

確か朝日テレビだったと思いますが、署名の様子を全国ネットで報道しました。その時のVTRが2010年位まではYouTubeにアップロードされていたと記憶しています。安保問題の原型ともいえる様な出来事です。

 

イラク戦争問題は創価大学内部にも大きな影響を与えました。以下記事を参考にして下さい。

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

こちらも創価大学安保問題の原型と捉えることが出来る事件ですね。当事SNSがあれば絶賛炎上したでしょう。

 

学会関係では少し後の出来事になりますが大分の乱も無視できません。経緯と是非は別にして、創価学会本部に反旗を翻す会員の連携、それがネット上にも飛び火した最初期の出来事かと思います。

 

宗創連携時代から細かい離反はチョロチョロあったようですが、情報がクローズドにされ(なおかつ加工され)、全国会員に与えた影響は非常に限定的だったと思います。

 

 

イラク戦争の頃は丁度ADSL接続が一般化してきた時期でネットによる情報拡散の黎明期でしたが、当時は宗門系の偏ったサイトが乱立していたのと、名誉会長が文字通り表に出ていたこともあって「ネットは見るな」の号令でケリがつきました。

 

イラク戦争当時はブログサービスが普及していなかったので、ホームページを作成する手間暇が情報拡散を妨げる一つの敷居になっていたと思います。

 

山崎正友氏と週刊誌コンビのお陰で「反学会情報は皆デマ」という意識を根付かせることも簡単だったと思います。罵倒系電波系が乱舞するカオスな状況の2ch創価公明板なんかも「デマ」で片がついてしまったように思えます。

  

 

ブログサービスが一般化した頃、教義問題とか公明関係とか難しい話だけでなく、一会員の立場から日々の活動の素朴な疑問を綴る方が現れ始め、SNS前哨戦ともいえる時代をつくりました。この辺りから信濃町主体のネット監視は強化されていますね。

 

同じ頃ですかね、日蓮系YouTuberの樋田氏が動画をアップロードし始めたのは。動画のインパクトは強力でして、今でも信濃町本部連中の頭を悩ませていることでしょう。

 

日本産SNSmixiが流行ったのもブログサービスが一般化した時期と被りますね。mixiでは結構な情報が流出したらしいですが、詳しくは知りません。一部のブログが本部界隈の話をお外に出し始めたのも同時期ですか。

 

2005年頃からは民主党主体の反学会キャンペーンが開始され、ネット上にもそれらしき情報が転がり始めました。ニコニコ動画創価ネタが流行ったのが2007年位からですか。日護会信濃町周辺でしょうもないデモ行動を行ってそれを動画にして……が2009年位かな。SNS前哨戦の時代ですね。

 

この時期の反創価ネタは「ネタ要素」が本当に強く「感覚・感想に訴えて話題にする」というSNS時代到来の気配を感じさせますね。今考えればですが。

 

素朴なブログとインパクト大の動画投稿。一部情報漏洩を含むブログ(及びmixi)。SNS(Twitter & Facebook)が普及する前に創価学会を悩ませたのはこの辺でしょうか(まぁSNSはそれらを全部まとめて発信できる訳です)。

 

 

2010年、名誉会長は表に出なくなり、そのタイミングでTwitterFacebookの様なSNSサービスが発達していきます(Facebookの前にmixi)。

  

Twitter上でも指摘しましたが、身近な会員の振る舞いでも組織の打ち出しでも疑問に思うことがあった時、真面目な会員ほど教学・幹部指導で乗り越えようとします。その時、大白蓮華や直近幹部の指導で満足しないとなればネットを漁る……そういう時代が到来しました。

 

それまで「見るな」で対処できた純朴会員。ネットの普及とSNSの興隆が「見るつもりは無かったのに見つけてしまった」という状況を作り上げてしまいました。素朴な疑問からコアな情報まで「何処からやってくるか」予測できない時代です。ネットやSNSのない生活は考えられません。「ネットは見るな」で対処することなどもはや不可能です。

 

イラク戦争前後で創価学会が直面した諸問題。インターネットというツール、会員の反応、情報拡散、会員間の連携……今起きている問題の基本は既にあったと思うのです。

 

ツールとしてのSNS創価学会に大きな影響を与えているのは事実ですが、原型は2003年にはあったと。当時積み込んだ因が今の果だと思いますね。昨今の安保法案・教義論争に関連する会員間の分離分断は、SNSイラク戦争問題と言えるでしょう。

 

ただ私が思うに、SNSの本当の破壊力は「身近な感想文」にありそうです。「ちょっと先生の指導と違くないか?」「あの幹部の話はおかしい」「会合が多すぎる」「選挙支援に偏りすぎ」「組織に青年がいない」等々。教義や政治に関連した明確な主義主張以上に多くの会員に影響を与えているのではないでしょうか。

創価学会が失敗した理由

タイトルにある通りです。創価学会が失敗した理由について少し思うところを書きます。

 

何をもって失敗と判断するか。組織の拡大、公明党の支持獲得、教義の確立、三代会長の思想実現、不幸悲惨の撲滅……まぁどの観点からでも失敗と判断出来るのではないでしょうか。

 

道は長いと。失敗は失敗でも先があるのだと。そう考えたい人は、創価学会第1幕の失敗と捉えてください。

 

創価学会が失敗した理由に関して、このブログでもTwitter上でも既に様々指摘してきました。日本という国土、戦後の混乱と急成長(時代背景)、日蓮正宗という出自、時代的制約、日蓮自身の限界etc……沢山上げることが出来るでしょう。

 

その多くは個々の学会員が個人的に努力してどうにかなる問題では無かったと思います。特に、2世3世の会員はシステムとして出来上がった創価学会を継承せざるを得なかった部分が強く、教義や会の指導を取り敢えずは受け入れる必要がありました。と言うよりは気が付いた時には受け入れていたはずです。

 

戦後の混乱期や高度経済成長期に入会したメンバーに、日蓮正宗の歴史・教義を比較検討するチャンスはほぼ無かったでしょう。仏教史を紐解く……その為の教材が一般に流通していたかどうか。情報伝達の手段はどうか。

 

各会長にしても時代の子ですから、その時代の言葉使いや文化風習から逃れることは出来ません。初代、2代は明治生まれです。3代会長にしたって昭和3年生まれ、軍事工場への就労経験があります。戦前の人です。4代会長に至っては海軍兵学校の出身です。

 

会長含め人の子である学会員が時代や地理的要因、情報の制約に抗えなかったことは1つ仕方が無かったと諦めるとします(要検討の部分もあります)。

 

自分達の努力如何で改善できた部分、避けられたかもしれない失策・失敗。創価学会が内側に抱えていた(今も抱えている)失敗の因は何か。

 

「全ての会員が教師であり生徒であるという観点の欠如」を私は指摘したいです。

  

創価学会は名前にある通り、そして出自が示すように、学会です。学ぶ会です。創価教育学会が母体です。校舎なき総合大学を自称する創価学会です。

 

和気あいあいと校舎なき総合大学を運営出来ていたならば、創価学会は随分違ったものになったでしょう。学会を学会として、学ぶ会として存続させることが出来たと思います。

 

ところが上手くいきませんでした。全ての会員が教師であり生徒であるという観点が欠如していました。

 

校舎なき総合大学を運営するには、プロの学者だけでは絶対数が足りません。個人的に興味を持って知見を獲得している講師、在野研究者と言えるような人物が必要不可欠です。研究者という表現は堅苦しいですね。知的好奇心旺盛な探求者。ようは何かを調べ学ぶ人です。分野は何でもいいです。学問に拘る必要も無いでしょう。

 

で、その在野系人材を有効活用出来ませんでした。

 

受動的な会員は盲目的に肩書を信じる傾向が強く、専門家、ジャーナリスト、教授そして職員という肩書に弱いです。その一方で、身近な場所にいる知的探求心の強い会員(在野系人材)を二乗呼ばわりして批判しがちです。校舎なき総合大学なのだから誰もが何かの教師になり得る……という観点が欠如しています。

 

独自に何らかの分野を研鑽している人物、在野系人材は二乗批判を嫌って会員との接触を避けていきます。意見の中身ではなく、発言権を認めてもらえない。これでは離れます。また、議論が出来ない環境に嫌気がさす人も多いです。職業学者層の二面性に辟易する人もいます。教義教学に関しては、日蓮専門家が会内に少ないので、他分野での職業研究者が在野日蓮・仏教研究者になったりします。で、喧嘩します(笑)

 

職業研究者(分野を問わず)。創価に金の繋がりのない職業研究者は、次第に離れていきます。二乗批判も相変わらず。学会と金の繋がりのある人物は、場所によって主張を変えたりします。人によっては三代会長への評価をシーンごとに使い分け……一対一で話してみると結構な物言いです。具体的な主張という点でも、個人的な性格という観点でも、二面性を持つ傾向があります。そうでないと生活できません。立場に縛られず自由に意見を述べる在野系の方との相性は悪いです。

 

職員。知的好奇心・探求心とは無縁です。学会組織の効率的な運営(集団搾取)以外にはほとんど興味がありません。学説・所見に価値を感じているわけではありません。知的好奇心・探求心が無いにも拘らず、会員を指導する立場だと考えています。在野系の自由論争に対応することは出来ませんし、職業学者の専門知識についていくことも出来ません。

 

本来的には、学問分野に限らず、子育てや人付き合いなんかも総合大学で学べる教科だったのだと思います。全ての会員が教師であり生徒……のはずでした。ところが実際には、四重構造といいますか、4タイプに分裂してしまいました。特に顕著なのが教学・教義分野でしょう。

 

以前紹介しましたように、教義問題においては意図的に一般会員を論争から遠ざけた面があります。様々な思惑があったのだと思いますが、結果的に四重構造を強化してしまいました。

 

ただ教義以外の分野、例えば政治に関しても、四重構造化の弊害にやられた感があります。昨今の公明党支援を巡る会員間の分離分断、もっと手前で健全な議論が出来ていれば、全ての会員が教師であり生徒であるという認識で学びディスカッションが出来ていれば違ったかなと思います。

 

これも何度か指摘しましたが、自由論争は学会分裂の危機を招きます。それは事実なのですが、もっと早い時期での自由論争ならば余裕があったかなと。

 

まぁ教義問題はある一定年度まで仕方なかったとして、他分野においても自由に学び合える組織を構築出来なかったのは、学ぶ会の存在意義を否定する、創価学会の敗北と言えるでしょう。学問分野に限らずです。

 

ひたすら受け身で教えを請う生徒、学んだ内容をやり取りできない在野教師、場所によって講義内容が変わる職業教師、学校経営にしか興味のない職員。

 

全ての会員が教師であり生徒であるという観点で活動できなかったことが学会の分裂を招き、学会を学会たらしめることが出来なかった。創価学会が失敗した理由の1つはそこだと思いますね。

男女青年部120万人の算出方法と未来部1学年8000人の出所

創価学会青年部・未来部のリアルな人数を知りたい方が多いのか、以下の記事がよく閲覧されます。

 

hasu-no-rakuin.hatenablog.com

以前ある方から、当該記事における「 男女青年部が120~150万人程度」という数字の根拠を尋ねられたことがありました。

 

その方への返信と被りますが、「男女青年部が120~150万人程度」の計算方法を示しておきます。また、全国未来部20万人の情報源(根拠)についても簡単に紹介します(昨年の今頃、Twitterで少し呟きました)。

 

「男女青年部が120~150万人程度」という数字は、男女学生部を合計10万人と仮定して計算しています。10万人という数字は、2008年前後に学生部幹部の方から伺った話を基にしています。

 

男女学生部が10万人=大学に進学した19~22歳(4学年分)の合計が10万人。話を聞いた当時の日本における大学進学率が約50%程度なので、大学進学者の2倍、つまり20万人が19~22歳(4学年)の青年部員の合計という計算になります。

 

青年部を19~40歳とすると、全部で22学年分あります。4学年で20万なので、22学年ならば110万人です。

 

19~22歳で学会員という方の多くは2世3世の会員かと思います。青年部の1年間の折伏成果が例年約2万5千人~3万人。この折伏による増加分と、学年(年齢)が上がるほど絶対数が多いだろうことを加味して(日本の人口分布を考慮して)、120~150万人という数字を出しています。

 

これはかなり甘い見積もりです。実際には40歳前に結婚して婦人部に回る女子部の方も多いでしょう。学生部には浪人生や大学院生も加算されていますので、このあたりもマイナスですね。同学年ならば全員年齢が同じとは限りません。

 

ベースの10万人という数字は、短期大学進学者をどう計算するかで結構変わると思います。短大生が学生部の扱いになるのか、男子部、女子部の扱いになるのか。地域によって微妙に違うような気がします。

 

話を聞いた当時の日本における短大・四大進学率は約56%なので、全短大生が学生部扱いならば、10万人の2倍ではなく、1.78倍の17.8万人が19~22歳(4学年分)の青年部員の合計という計算になります。

 

一方、世間の大学進学率よりも学会内部の大学進学率はおそらく低いので、ベースとなる4学年で20万人という数字は少し高くなる可能性もあります。

 

ベースが多少増加したところで、女子部から婦人部への移行分を差し引いて考えれば、男女青年部120万人という計算が甘い見立てであることに変わりはありません。退会者の人数も考慮していませんし。超甘目に見積もっても男女青年部で120万人です。

 

「2013年から2014年に、2名の職員の方から伺った話です。現在、統監(学会の戸籍みたいなもの)上、小学校一学年の未来部員の数は全国合計で1万人を割っています。未来部合計20万人の時代です。」

 

上記話は、大学及び学園の入試に関係する方から聞きました。創価大学及び創価高校の入試情報にアクセス出来るポジションの方です(当時)。創価教育の未来を計算するために行われた調査だったようです。コンサル指示かどうかは分かりません。

 

2013年あるいは2012年、小学校に入学した未来部員(学会所属の小学1年生の数)は8000人です。もう時間も経ちましたので、正確な人数を言っても良いでしょう。

 

人数的には創価教育の余命計算とも言える状態ですね。未来部全国20万人というのも実は甘めの計算でして、8000人×18学年分としますと、144000人。15万人を切っている状態です。

 

参考になりましたら幸いです。

「内側から見る 創価学会と公明党」ー「創価学会と会社」は「道徳教」の分派

前回に引き続き、「内側から見る 創価学会公明党」に関して記事にします。今回は議論されている具体的内容に切り込んでみたいと思います。

 

最初に断っておきますと、私は著者の教学理解レベル、政治及び宗教に関する知識量を把握していません。著者の人格・性格に関しても全く把握していません(創価学会に愛着があることは書籍内容から把握しています)。また、私は本書で引用・参考にされている文献全てに目を通している訳ではないです。

 

前回記事においても記載しましたが、著者が「内側から見る 創価学会公明党」を執筆した目的、動機、執筆方針・守備範囲は以下の通りです。

 

目的

社会と学会の双方が「創価学会公明党というテーマ」をともに論じるための足場を構築すること

 

動機

創価学会公明党を論じた本でまじめに読めるものがきわめて少なかったから

 

執筆方針・守備範囲

会員にも同意してもらうため退会者や露骨な批判者の証言資料はできるだけ採用しない

「とある幹部筋」「学会の内部事情」などの暴露話の類は資料として採用しない

活字化された資料を軸に議論する

会員へのインタビュー資料はあまり使用していない

歴代会長等リーダー達の発言・執筆内容には触れる

発言・執筆内容がどの様に会員達に解釈されたかに関しては限定的にしか触れない

創価学会という運動体における地域差・世代差・男女差への言及は今後の課題とする

 

「議論の足場を構築すること」が目的であった以上、構築された足場の上で議論が展開されることを著者は望んでいる……と考えるのが妥当でしょう。誰かが歌うこと踊ることを期待せず舞台をセットアップしたというならばかなりマニアックな趣向の持ち主です。

 

そこで本記事では、具体的な書籍内容に切り込んで私自身の考えを投げ込み、用意して頂いた「足場」の上で拙いながらの演舞を披露しようかと思います。著者が書籍に設定した執筆方針・守備範囲を理解した上で、それを飛び越えることになります。ご了承ください。

 

手始めに、第1章の執筆内容である「創価学会と会社」に関して意見を述べます。「内側から見る 創価学会公明党」のメインコンテンツは創価学会の政治参加に関するものです。今回記事で触れる部分は書籍の導入部分です。2章以降の内容については、私自身の考えをまとめた後、いずれ記事にしたいと思います。

 

書籍引用部分はカッコ内に青字表記します。

 

第1章「創価学会と会社」について

第1章において、「創価学会と会社は都市部に現れた新しい村である」という著者の仮説が検証されています。先行研究のデータを引用しつつ、大きく以下四点を指摘・検証しています。

 

高度経済成長期に特異的な地方から都市部への人口流入創価学会発展の構造的要因であったこと、創価学会は地方から流入してきた労働者を吸収・組織したこと、創価学会と会社は高度経済成長期を共に補うように発展してきたこと、70年代の超安定社会形成以降は会社(と核家族)に創価学会は顧客を奪われたこと。

 

高度経済成長の中で部分的に生じた軋みや歪みを下から支える社会的アブソーバーとして創価学会は機能した」という著者の簡潔にまとめられた意見は非常に妥当だと思います。

  

創価学会が末端労働者を吸収組織したこと自体は事実として、先行論者の多くが余り指摘しない点が1つあります。創価学会は初期段階から「それなりの人材」を擁していたという観点です。正確な数を追ってみないといけませんが、経済的な上下はともかく、草創期から幹部陣の多くは大卒者(あるいは同等の教育機関)ではないでしょうか。

  

創価学会は地方出身労働者の受け皿として機能しましたが、指導層は最初からある程度整っていた。1950年代から(人口流入以前から)、会員数という点では東京が最多であり、流入者を指導するコアメンバーを育てることに成功していた。そのコアメンバーを育てたのは戦前から比較的立場の高い層だったのではないか……と私は推測しています。

 

創価学会は都市部に出来た村かもしれないが、初期村民の一部はテクノクラートだった。戸田会長の政治コネクションは言わずもがなですが、完全更地のゼロから村を開拓したわけでは無かったと。

 

一つ極端な例を紹介しますと北条雋八氏(北条会長の叔父)。戦前貴族院議員を務め、家柄も全国レベルの名家です(遡ると伊達政宗に連なるレベル)。途中で離縁することになりますが、戸田会長の事業家仲間もそれなりのメンツだったのではないでしょうかね。今風に言えば、創価学会のスタートアップメンバーですか。

 

宗教団体に限定することなく、創価学会は戦後の混乱期にありながら一定の人材を擁していた。それがその後の拡大を支える骨組みになったと言えるのではないかと思います。「戦後タケノコのように出現した」と評されることもある新興宗教の中で、初期メンバーの充実度はそれなりだったのではないでしょうか。

 

言ってしまえば、創価学会は会社に負けたのだ。裏を返せば会社こそ戦後もっとも成功した新興宗教であるとも言えるかもしれない。」とは著者の率直な感想だと思いますが、その先にあるものを考察して頂きたいですね。

 

それは「道徳」。

 

何を言っているのかと思う方もいるかもしれませんが、「道徳」は事実上日本の国教です。正確に言います、この国の宗教教育は「道徳」という名の授業で賄われています。選択性も多層性もありません。あるいは選択性も多層性もないおかげで、情操教育のはずの「道徳」が宗教として機能しています。

 

先進国と呼ばれる様な国においても未だに宗教の授業が義務教育期間中に存在します。米国は有名ですが、ドイツやイギリスにも存在します。基本はキリスト教について学ぶことになる訳ですが、非キリスト教の家庭に生まれている場合は「非キリスト教系の宗教授業」を選択する事も出来ます。この辺りは国や州によって異なります(調べている最中です)。

 

公共の場から宗教性を排したフランスには情操教育は存在しても宗教の授業は存在しません。但し地域のコミュニティ(家庭含む)で、情操教育とは別に宗教を学ぶチャンスがあります。

 

日本以外の「先進国」においては、宗教教育or情操教育に選択性あるいは多層性が確保されています(内容を詳しく調べないといけませんね)。

 

創価学会は会社に敗れたのではなく、会社が新興宗教なのでもなく、そもそも「創価学会と会社」は「道徳」という国教の分派ではないか。

 

「道徳」を戦後新興宗教扱いしても良いのですが、教育勅語との絡みなどを考えるとかならずしも「戦後」新興宗教とは言えない気がします。

 

日蓮や三代会長の言葉を引用するにせよ、その内容・方向性は「道徳」で価値的とされるものを止揚していることが多く、「道徳」を学会流(法華・日蓮・三代会長)にアレンジして再解釈していると。創価学会マインドの基本は、法華経でも日蓮でもなく、「道徳」ではないか。私は常々そういう疑問を抱いてきました。

 

「青春対話」「希望対話」などの未来部向け書籍を読むと良く分かります。内容は「道徳の教科書」です。そもそも初代牧口会長が道徳を重視する方でした。

 

歴代会長、特に池田会長以降は今で言うところの「道徳」を戦後トレンドの「人権・平和」を抱き込んだ形で運用した側面が強い……と私は考えています。法華経日蓮はその権威付け、宗教団体としての表装に過ぎないと。中身は戦後「道徳」教育と大差がないと。

 

日本人は道徳以外の宗教教育or思想教育を受ける機会が無いので、時代が安定し、戦乱・貧困・病気と様々な縁から思想・哲学・宗教に興味を持つチャンスが減るにつれ、会員が自分で宗教を学ぶ機会が減るにつれ、その傾向は強くなったと。

 

3章、4章の戒壇論の遷移にもつながりますが、創価学会は「道徳」というこの国の国教に逆らうことを止め、徹底的に同一化したと。そして生き延びた。与党になれた。

  

SGIと日本の創価学会に差を感じるとしたら、それぞれの会員が受けた宗教教育の差ではないでしょうか。日本人は選択性も多層性もない宗教教育(つまり刷り込みや洗脳に近い)を受けています。おそらく「道徳」を宗教教育と考えることも無いくらいに染まっています。

 

じっさい日本企業の努力主義と創価学会のそれとの類似性・親和性は多くの論者によって指摘されていた」と著者は記していますが、両者とも「道徳」という国教の教義を重んじた結果ではないですかね。先行論者の指摘がどこにあったか把握していませんが、この国の宗教教育としての「道徳」を意識すれば自明の話かと思います。

 

 

なぜ創価学会が世間に迎合していったのか、自民党と親和性を強めることが出来たのか、企業文化と比較されるのか。

 

創価学会は「道徳」という宗教のブランチになったのです。学会に限らず、日本の宗教団体の大半は「道徳教」のブランチです。場合によっては「道徳教」の異端派です。会社・学校は「道徳教」の教会みたいなものです。

 

 

定量的な統計データから道徳教育が創価学会員に与えた影響を検証するのは難しいと思いますが、次の書籍があるならば、日本の思想教育との比較の中から創価学会を捉えてほしいかななどと思ったりしました。

 

簡単ですが今回は以上となります。次はもっと深く切り込みたいですね。

「内側から見る 創価学会と公明党」のレビュー(全体の雰囲気に関して)

創価大学卒業の若手研究者(といっても私より年上の方ですが)、浅山太一氏が世に送り出した創価学会公明党研究の新書、「内側から見る 創価学会公明党」をレビューしたいと思います。長くなりそうなので2度に分けて紹介します。

 

書籍や論文を評価する上で重要な観点は、目的・動機・方針・守備範囲を意識することと私は考えています。

 

目的に合致していない情報・資料は、例え一級品であっても採用しないものです(街の道案内に地価は記されていないでしょう?)。目的を無視して「あれが書かれていない!」と批評するのは的外れです。

 

目的を達成するために規定された方針・守備範囲が目的を鑑み妥当かどうかを判断する事と、方針・守備範囲をそれぞれ単体で批評することは違います。

 

著者が規定した方針、その方針が守られているかどうかを批評する事と、著者の方針を読み手が好むか好まないかは別次元の問題です。

 

著者は「内側から見る 創価学会公明党」を執筆した目的について「社会と学会の双方が「創価学会公明党というテーマ」をともに論じるための足場を構築すること」と述べています。執筆理由に関しては「創価学会公明党を論じた本でまじめに読めるものがきわめて少なかったから」と記しています。

 

加えて著者は、執筆にあたっての方針及び守備範囲をおよそ以下の様に規定・宣言しています。

 

会員にも同意してもらうため退会者や露骨な批判者の証言資料はできるだけ採用しない

「とある幹部筋」「学会の内部事情」などの暴露話の類は資料として採用しない

活字化された資料を軸に議論する

会員へのインタビュー資料はあまり使用していない

歴代会長等リーダー達の発言・執筆内容には触れる

発言・執筆内容がどの様に会員達に解釈されたかに関しては限定的にしか触れない

創価学会という運動体における地域差・世代差・男女差への言及は今後の課題とする

 

本書を評価するならば上記の目的、動機、執筆方針と守備範囲を念頭におく必要があるでしょう。

 

「会員にも同意してもらうため退会者や露骨な批判者の証言資料はできるだけ採用しない」という方針は合理的だと思います。アンチの意見を併記すれば学会員が拒否感を示し、「社会と学会の双方が」という執筆目的の達成を困難なものにしてしまうでしょう。

 

活字化された資料を軸に議論する、会員解釈に関しては限定的な言及に留める、地域差・世代差・男女差への言及は今後の課題とする……という守備範囲の設定も第1作目の著書であることと「議論の足場作り」という目的からすれば非常に妥当ではないでしょうか。「最初の足場作り」を優先し、複雑で考証し辛い部分は次回作以降に回すと。

 

目的を鑑みた時、上記執筆方針と守備範囲の設定は理にかなったものであると判断できます。

 

執筆方針と守備範囲の設定を是とした上で書籍全体に目を通せば「社会と学会の双方が「創価学会公明党というテーマ」をともに論じるための足場を構築する」という著者の目的が見事達成されていることを感じ取れると思います。

 

私がそう判断する最大の理由は、引用文献・参考文献の記載が丁寧に分かり易く展開されているからです。「何を当たり前のこと言っているの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、この当たり前が出来ていない書籍が多いからこそ「創価学会公明党を論じた本でまじめに読めるものがきわめて少なかった」のです。

 

引用文献・参考文献の記載がしっかりしているからこそ客観的に論証できる書籍、「議論の足場」と成り得ます。

 

細かい点ですが、戸田会長や池田会長のスピーチ・講義を、両会長の全集からではなく個々の講演集や論文集から引用している点も好感が持てました。

 

文章のタッチとしては、書籍全編に渡り学会員への配慮・優しさ(易しさ以上に優しさ)を感じることが出来ます。非学会員・非信仰者に学会員マインドを嫌悪感なく理解してもらうため著者が努力したであろうことも伝わってきます。比喩や例え話が効果的に用いられています。

 

「社会と学会の双方が」という目的を達成するために著者が払った工夫や努力を、議論の中身以上に文章の運び方から感じることができます。

 

突っ込んだ形での創価学会論を期待すると肩透かしを食らうかもしれませんが、タイトルにもあるようにこの書籍のテーマは「創価学会公明党」です。創価学会の政治参加を追いかける内容になっています(著者は創価学会とは如何なる宗教かに迫ることを執筆目的に設定していません)。

 

創価学会公明党をテーマにするとスキャンダル・イエロージャーナリズムが跋扈するのが常ですが、著者が「退会者や露骨な批判者の証言資料はできるだけ採用しないこと」「暴露話の類は資料として採用しないこと」を貫き通しているので、どの様なスタンスの方であっても熱くなることなく読み進めることが出来ます。著者の方針及び守備範囲は全編を通してぶれていません。

 

学会系出版社以外の学会本を読むことに抵抗感・忌避感を覚える学会員であっても、不愉快になることなく(読後感は各会員のセンスに依存する話ですが)、創価学会公明党」の関係について分かり易く復習することが出来ると思います。巻末には簡素ながら分かり易い年表もついています。

 

創価学会や信仰には特に興味がないけれど国政における公明党を理解したい……という方にもお勧めです。著者自身が本文中で述べていますが、信仰に関する部分は飛ばしても理解できる内容になっています。

 

本書に触発されて「創価学会公明党」に関してもっと深く調べてみたい……と感じたならば本書の引用・参考文献にあたってみるとよいでしょう。引用文献・参考文献の記載がしっかりしている書籍だからこそ、そういう使い方が出来ます。

 

本文内で展開されている議論の内容は個別に評価する必要がありますが、「創価学会公明党を論じたまじめに読める最新の本」と評価すべき書籍に仕上がっていると思います。

 

次回記事では議論されている具体的内容に少しツッコミを入れたいと思います。

元創価学会職員3名を批判する前に

黙殺できないと判断したのか創価新報が元職員3名のことを記事にしました。印象操作に重きを置いて、相手方の主張と対峙しないあたりいつもの創価学会です。

 

「学会本部を中傷するブログを立ち上げ、その年の12月から学会本部周辺でのサイレントアピールなる行動を開始」と新報の該当記事には記述があります。

 

知っている方も多いと思いますが、元職員3名が中核となっている「サイレントアピールなる行動」は政策論争的要素も大きく、前半部分「学会本部を中傷する」とは関係ありません。公明党の政策に反旗を翻し、公明党を支援している創価学会(実際はこちらが本体ですが)を批判しているのは事実ですが、「学会本部を中傷する」行為にはならないでしょう。

 

学会本部としては、敢えて元職員3名の主張に踏み込まず印象操作に注力することで、「正義の学会を裏切った反逆者一味」というイメージを形成したいのでしょう。冒頭部分でテレビ東京が放映した番組に触れながらその中身-公明党批判-には触れていないのも同じですね。

 

人格攻撃や印象操作によってコアな情報から会員を遠ざけるのはいつもの学会の手口です。昔から変わりません。

 

「各地で座談会と称して人を集めたり、本を出版するなどして、学会への批判活動を行ってきた人間たちです」と上で紹介した文章の後に創価新報では続きます。

 

「人間たちです」という書き方に強い違和感を覚えますが(人間扱いしているだけでもありがたいと思えってか?)、「学会への批判活動」は許されないのですかね?全部従えと?本音が出ていますね。

 

因みにですが、創価新報は名誉棄損裁判で反学会の有名人、乙骨氏に負けています。言論戦で実績豊かな機関紙です。

 

断っておくと、私は特に元職員3名の主張に賛同しているわけではありません。今後彼等に与することもないでしょう(大きく批判することも恐らく無いでしょう)。様々な観点から、彼等に批判的な学会員がいることも良く承知しています。

  

彼等元職員3人組を批判する人達には(おそらく賛同している人達にも)幾つか欠如している視点があると感じていたので、今回はそのことを記事にします。問題は創価学会の人材育成機構にあると。特に職員。

 

創価学会本部に新卒で入職する人物は大体18~20歳で「発心」している必要があります。

 

新卒として創価学会本部に入職する人物の大半は学生部で部長を務めている人物です。首都圏の学生ならば本部着任系の人材グループ(誓城会とか)に所属しているとより高評価が付きます。大阪等の大都市には似た様な人材グループがあるかもしれません。

 

学生部で部長級役職に任命されるには、グループ長を経験する必要があります(グループ長未経験者の学生部部長を私は知りません)。グループ長は大学3年次生で任命を受けます。

 

この辺の役職体制は地域によって微妙に違いがあると思います。私が話しているのは八王子の事例です。八王子学生部はグループ長2年生、部長・副部長3年生という時代もあったようですが、2005年頃に学生部の戦力強化という意味合いからグループ長3年生、部長・副部長4年生に変更されたそうです。

 

3年生でグループ長に任命されるには、大学1、2年次に信心で何らかの結果、グループ長に推薦してもらえるような「功績」が必要です。折伏成果が基本になりますが、選挙活動・会合への出席率等も評価対象です。2年次生が主に対象の人材グルーブ(21世紀伸一会とか)に所属している方などは有力なグループ長候補ですね。

 

またグループ長人事の推薦は現役の部長及びグループ長が行うので、先輩幹部から嫌われていないことも重要です。先輩幹部から推薦された人物がグループ長面接の対象となり、地域の学生部幹部(書記長・学生部長クラス)との面接に挑みます。面接は余程馬鹿なことをしなければ基本的に通ります。

 

学会本部入職には学生部で部長経験が必要で、部長経験者となるにはグループ長を経験する必要があり、グループ長になるにはその前に実績を積む必要がある……18~20歳程度で職員ルートに乗れるかどうかがおよそ決まります。

 

このルートに乗れば必ず職員になれるかというとそんなことはありませんが、首都圏近郊の学生で学会本部職員に新卒入職した人の大半はこのルートに該当すると思います。公明党や外郭団体も本部職員と同じルートです。

 

私は以下3点、大きな問題だと思っています。

 

1. 幹部に気に入られる人物が有役職者になりその中から職員が誕生する

2. 情報が遮断され創価広報を鵜呑みにする人物が育ちやすい

3. 職員登用とは関係なく大量の学生ボランティアが学会を支えている

 

1に関してはイメージしやすいかと思います。幹部に好まれるかどうかが職員の条件、学生部幹部の気質となりがちです(学生部に限らず学会幹部全般に言えると思います)。組織に従順、あるいは服従する人間が重用されていきます。

 

同じ教育システムからは似たような人物が量産されます。評価基準が変わらなければなおのことです。組織志向の幹部はそれを満たす人物を登用します。組織からずれた学生は副部長には登用されますが、部長になることはなく、職員になることもありません。

 

元職員3名が学会本部に入職した経緯を私は詳しく把握していませんが、22~23歳くらいまでは直属幹部に気に入られていた、少なくとも信頼されていたと推測しますね。そうでなければ職員になれません。関係が拗れたのはその後でしょう。で、拗れた後の収拾方法を学会は持ち合わせていないのです。今も昔も。

 

2も分かり易い話ですね。18~20歳程度から活動に精を出すと創価学会オフィシャルのみを「正義」「真実」と教育されやすく、幅広い見識など身につけようがありません。内外の情報を幅広く収集し比較・発言したりすると「幹部に気に入られる」を満たせなくなります。

 

教義問題にしろ学会の実態にしろ、20歳前後から組織活動漬けになれば、何か偶発的なイベントでもない限り大本営創価学会の情報を鵜呑みにするようになるでしょう。教義に関して興味を持つ学生は最初から少ないですが……

 

3は職員採用には直接関係が無いのですが、私は一番の問題だと考えています。学会職員候補の学生を主軸に、創価学会が大量の学生ボランティアに依存している現実。学生に限りませんが、創価学会は大量のボランティアに支えられています。

 

学会本部も地域の学会組織も学生部をフリーで利用できる環境を当たり前だと思っています。選挙期間、日中に動ける学生部は重宝されます。創価大学にて創友会等のイベントがあるとなれば学生部はじめ地域の青年部がスタッフとして駆り出されます。昼食くらいは出ますが。

 

学会本部への着任も基本的には無報酬です(グループによって日当が出ることもあるようです)。加えて言うと大学の授業を休むことになります(平日昼間の着任がデフォルト)。本部着任者の出席を他学生が代返することもしばしばです。

 

地域によっては学生部や青年部が希少であまり実感できないかもしれませんが、若い世代を広く酷使することによって創価学会は機能しています。

 

幹部に気に入られた有役職者が創価広報を鵜呑みにして無報酬のボランティアになる。それが職員・幹部育成システムのベースであり、創価学会を機能させるための条件となっています。

 

上記システムの下では、組織に従順でない職員、幹部、活動家を育成するのは困難です。多様な見識を持たせることも難しいでしょう。閉じた環境で奉仕従順を教育されればどうなるか。何かの拍子で意見の対立が起きた時どう対応するのか。考えれば道理だと思いますね(日本社会全体にも言えるかもしれませんが)。

  

元職員3名の主張を様々批判するのは良く理解できます。私自身、彼等の具体的な主義主張には疑問を持つ部分がそれなりにあります。日頃の私の言説を考えれば、私も批判する側でしょう。

 

ただ、彼等があの様な行動に打って出た理由も(彼等を支える人がいることも)頷けるのです。彼等は職員として会員からの財務で禄を食んでいましたが、創価システムの象徴&犠牲者でもあると思います。

 

彼等の主義主張や態度を批判するのは簡単ですが、現執行部寄りか否かに関係なく、彼等を批判できる立場を誰もが手に入れられる訳ではないことも事実かなぁと思います。

殆どの創価学会員は諦めたのだと思います

創価学会員は諦めたのでしょう。世間が理不尽にまみれていること、人の不幸の上に自分の生活を築くこと、どう努力しても池田名誉会長にはなれないこと(名誉会長への評価はともかく)。全部仕方いないと、しょうがないと。

 

本当に大勝利していますか?職場で、地域社会で、学会員であることが評価されますか?学会員であることに自信を持てますか?学会宣言なるものに躊躇いや後ろめたさ損得勘定を感じませんか?それでも大発展しましたか?

 

一部の狂信的活動家を除けば、頭のどこかで気付いている。創価学会が失敗したこと。創価学会がこれ以上発展しないこと。公明党が権力サイドにあること。庶民が団結できないこと。日本が、社会が、苦しい方向に落ちていること。

 

分かっている、分かっているけど辞められない。今更引き返せない。駄目になった現実を直視できない。数十年の人生を否定できない。

 

家族のしがらみがある(それを責めません)。自分の人生から余裕のある範囲で趣味で宗教活動して、家族という枠組みからは逃れることが出来ず。徹底的に敵対することも、先頭に立って-原田会長を押しのけて-旗を振ることも出来ず(それを責めません)。

 

諦めながらもちっぽけな自分の人生が為に他人を道連れにする。選挙で、あるいは活動で。

 

20万人の未来部に未来はない。創価学会にはもちろん、日本社会に明るい未来があるかも疑わしい。若い世代にそんな社会を引き渡すことを申し訳なく思う。創価学会を破滅させるなり改善させるなり出来ないこと、慙愧に耐えない。

 

今の創価学会を支えている活動家は未必の故意、幹部・職員は故意犯。狂信者は確信犯。壮年婦人の逃避行・時間稼ぎ・自己満足に多くの若者が道連れにされる。職員の生活を支える為に一般家庭が燃料になる。これも日本の縮図だろうか。

 

創価学会員は諦めたが、口では広宣流布師弟不二と言い、達成可能とは思っていないことを推進している(そも何を推進しているか本人達が理解しているか怪しいですが)。年寄りが一人勝手に活動したければどうぞご自由に。若い世代を巻き込むなと。

 

もっとも、若い世代にしても既存のリソースに乗っかれる組と踏み台になって餌にされている組とで大きな差がある。酷いものだ。生活として創価世襲できる青年部は無関心かつ無知。

 

世界青年部総会で青年部が増加する、非学会員が創価学会に魅力を持つと本気で考えた会員が何人いただろうか。「結集目標をこなそう」「やり過ごそう」そう考えていた人が大半ではないか。

 

歴史的な大会から60年。戸田会長、あなたの組織は腐りました。無関心に負けました。いまや極少数の職員と政治エリートを支えるだけの下衆組織に成り下がりました。人の不幸を何とも思わない組織になりました。気概も誇りもありません。銭勘定と票計算しか出来ません。それを殆どの会員が咎めもしません。あなたの後継者である3代会長はひっそりと、彼が敬愛したナポレオンの様に幽閉されて死を待つだけです。

 

世界青年部総会、ヨレヨレの組織から60万人集めたのかもしれません(本当に60万人参加したかはともかく)。参加人数は100倍になったとして、政権に「必要とされる」勢力になったとして、60年前に集った6000人の方がよほど前途洋々でしたね。気概も誇りもあったでしょう。